たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
このエントリはShell Script Advent Calendarとのクロスポストです。(→Qiitaの方の投稿)
前回は自作のBashスクリプト製Twitterクライアントをネタに実装を解説しましたが、今日は他の言語で多少のプログラミング経験はあるんだけど、どうにもシェルスクリプトは苦手だ……という人のための、シェルスクリプトによるプログラミングの勘所を解説してみようと思います。多分、プログラミング入門レベルの人や上級レベルの人よりは、中級レベルにいる人や、初級から中級以上に成長したいという感じの人にとって役に立つ話だと思います。
結論から先にいうと、「引数」と「配列」の事を忘れればシェルスクリプトはグッと書きやすくなります。というおはなしです。タイトルからして期せずして前の日の方の話の全否定になっちゃいました。ごめんなさい、他意は無かったんです……
このエントリはチャットボット Advent Calendarとのクロスポストです。(→Qiitaの方の投稿)
チャットボット Advent Calendarをご覧になっているような方々はフレームワークやニューラルネットでディープラーニングなAIといった最新のbot事情に関心の強い方が多いと思うのですが、今日の記事は時代に逆行しまくって、Bashスクリプトで昔ながらの人工無脳botを作りましたというお話です。
この記事では以下のことを書いています。
このエントリはShell Script Advent Calendar 2016とのクロスポストです。(→Qiitaの方の投稿)st
Linux Advent Calendarの方にGUIアプリのスクショを定期的にSlackに流すシェルスクリプトの話でエントリーしたのですが、Shell Script Advent Calendar的にはそれをこっちを投稿した方が良かったかもと今更思いつつ、今日は別の話題です。
シェルスクリプト製Twitterクライアントには恐怖!小鳥男やtweet.sh(同名の別実装)などいくつか実装例がありますが、自分も2015年末頃からtweet.shという汎用のTwitterクライアントを開発しています。この記事ではtweet.shをネタに、以下の事を解説します。
nkf
といくつかの一般的なコマンドでURLエンコードするキー1=値1,キー2=値2,...
の形に変換するこのエントリはさくらのアドベントカレンダー(その2)とのクロスポストです。(→Qiitaの方の投稿)
この記事では自分で自由に使えるLinuxなサーバーかPCがあるという事を前提として、さくらのレンタルサーバーのライトプランで静的コンテンツだけのWebサイトを公開・運用する際のノウハウをご紹介します。
なお、自分では調べていませんが、スクリプト内で使用しているlftp
等のコマンドがHomebrew等でインストール可能なのであれば、macOS(OS X)でもこの方法をそのまま使えるかもしれません。
このエントリはLinux Advent Calendar 2016とのクロスポストです。(→Qiitaの方の投稿)
連載の方で書くには粒度の大きい話題だったので公開するのにいい場所はないかなあと思っていたらLinux Advent Calendarという名前を見かけて、まだ空きがあったので「これや!」と思って勇んでエントリーしたのですが、埋まってみると皆さん当たり前ですがカーネルの話中心で、そんな中で一人だけディストリビューションより上のレイヤの話でなんかほんとごめんなさい……シェルスクリプトアドベントカレンダーとかの存在を知ったときにはもう後の祭りでして……
そんな感じで空気まるで読めてない内容ですが、生暖かい目で見て頂けましたら幸いです。
先日参加したイベントの懇親会で、「シス管系女子」の本をご覧になった方から「Google Analyticsのグラフを何分間隔とかでスクリーンショットとってSlackに流したいんだけど、本にはそういう話は書かれてなかった……」というご相談を頂きました。
本の中では主にSSHでLinuxのサーバーにリモート接続してコマンドで操作する時の話を取り扱っているため、GUIアプリの話はあまり、というか全然取り扱っていません。しかし、何かしら方法はありそうな気がします。
という話をつぶやいたところ、フォロワーの方にヒントを教えて頂けて、最終的にそれらしいことを実現できる筋道が立ちました。なのでこの場を借りて、得られた知見を共有したいと思います。
自分で立てたやつ
参加中・参加予定
見てるだけ
見ようと思ってそれっきりになってたやつ(ってもう2年前……)
他にもめちゃめちゃいっぱいあるので、自分がやってる事なんて埋没してしまいそう。アドベントカレンダーでアピールしてみようっていう狙いがもう出遅れてたなと今更後悔してる……
Let's note CF-SX3をUbuntu 14.04LTSで使ってたんだけど、16.04LTSへのアップグレードではこういう所で詰まりましたという話。
ATOK X3を使っていたUbuntu 14.04LTSから16.04LTSにアップグレードしたら、ネットワークに繋がらなくなった。 これは、Ubuntu 16.04でATOK X3を使うに記載がある「ATOK X3のインストールスクリプトが/var/runを壊す」という問題がこのバージョンで表面化したせいだった。
リンク先の記事では正常な環境で新規にATOK X3をインストールする場合について書かれてるけど、既に過去のバージョンでATOK X3をインストールしていた場合 /var/run が既に壊れた状態になっていて、しかもロックがかかっていてそのままでは手の施しようがない。なのでリカバリモードで強制的に修正する。
ls /var/run
とls /run
を実行し、それぞれの結果を比較する。両者が同一なら問題ないが、内容が異なっている場合、その環境は壊れているので次のステップに進む。rm -rf /var/run
で今ある/var/runを消す。
……と言いたい所なのだが、そのままやっても以下のようなエラーになる。
rm: cannot remove `/var/run/vmblock-fuse/dev': Function not implemented
rm: cannot remove `/var/run/vmblock-fuse/blockdir': Function not implemented
これは、/(ルートディレクトリ)以下が読み込み専用でマウントされているせい。
なのでmount -o remount,rw /
というコマンド列を実行して、読み書き可能な状態にしてから、改めてrm -rf /var/run
で今ある/var/runを消す。
ln -s /run /var/run
を実行し、/var/runを/runへのシンボリックリンクにする。exit
でログアウトする。以上の手順で、壊れた/var/runを正常な状態に戻す事ができた。 ATOK X3を使っていなかった環境ではこの作業は不要です。
Ubuntu 16.04でATOK X3を使うという記事に色々情報がある。ただ、環境の違いのせいか、自分の環境ではそのままではうまくいかなかった。また、一部の手順はUbuntu 14.04 LTSをインストールした直後に行う設定という別のページを参照するように書いてある。全部転記すると余計に訳が分からなくなりそうなので、適宜リンク先を参照する前提で手順をまとめる。
必要なパッケージをインストールする。リンク先の記事でも同様の手順があるが、そこに書かれていないパッケージが必要になるので先に入れておく。
sudo apt-get install libpangoxft-1.0-0:i386 libpangox-1.0-0:i386
自分の環境はUbuntu 16.04LTSの64bit版なんだけど、これらの32bit版パッケージが無いとATOK X3がエラーで起動しなかった。ATOK X3のインストールスクリプトの実行時点で「libpangoxft-1.0.so.0: cannot open shared object file」というエラーが出ていて、このメッセージを検索した所、同様のエラーで詰まっている事例 が複数見つかったので、それらの事例で解決策として紹介されていた手順に従った。
/opt/atokx3/sample/iiimf_status_hide
と追記する手順があるが、これも飛ばす。(ここに書いても期待通りの結果は得られなかった)上記「変更点3」で作成したファイル「~/.xinputrc」の末尾に、さらに以下の2行を書き足す。
/opt/atokx3/bin/atokx3start.sh
/opt/atokx3/sample/iiimf_status_hide
これをやっておかないと、ウィンドウの左下のインジケータがいつまでも出るとか、ATOK X3が起動せずATOKパネルが表示されないとかの問題が起こる。
GNOMEの既定の配色でツールチップが黒背景・白文字になっているが、この状態だとATOK X3の補完候補のツールチップ等が「黒背景・濃いグレーの文字」になって読みにくいため、以下のファイルを管理者権限で編集して配色を変える。
tooltip_bg_color:#000000
→ tooltip_bg_color:#f5f5b5
にするtooltip_bg_color:#ffffff
→ tooltip_fg_color:#000000
にするtooltip_bg_color:#000000
→ tooltip_bg_color:#f5f5b5
にするtooltip_bg_color:#ffffff
→ tooltip_fg_color:#000000
にするtooltip_bg_color #000000;
→ tooltip_bg_color #f5f5b5;
にするtooltip_bg_color #ffffff;
→ tooltip_fg_color #000000;
にするsedでやるなら、こう。
sudo sed -i /usr/share/themes/Ambiance/gtk-2.0/gtkrc -r -e "s/tooltip_bg_color:#[0-9a-f]+/tooltip_bg_color:#f5f5b5/i" -e "s/tooltip_fg_color:#[0-9a-f]+/tooltip_fg_color:#000000/i"
sudo sed -i /usr/share/themes/Ambiance/gtk-3.0/settings.ini -r -e "s/tooltip_bg_color:#[0-9a-f]+/tooltip_bg_color:#f5f5b5/i" -e "s/tooltip_fg_color:#[0-9a-f]+/tooltip_fg_color:#000000/i"
sudo sed -i /usr/share/themes/Ambiance/gtk-2.0/gtkrc -r -e "s/tooltip_bg_color #[0-9a-f]+/tooltip_bg_color #f5f5b5/i" -e "s/tooltip_fg_color #[0-9a-f]+/tooltip_fg_color #000000/i"
システムを再起動する。
以上の手順で、Firefoxやgeditなどでは問題なく日本語入力できるようになった。
ただ、Linux版SkypeのようなQtアプリや、Wine上で動かしてるWindowsアプリでは、日本語入力ができなくなってしまった(以前はibus-mozcで一応は入力できる状態だった)。 これは解決の方法が無いっぽくてお手上げです……
ホットキー(Fn+ファンクションキー)でというか、そもそもUbuntu上で画面の輝度を変えられなくなっていた。Ubuntuの画面の明るさの調整を有効にする - ’s blogによると、これはGRUBの設定を変更すればいいようだった。 リンク先のページの後半にある通りにやったらホットキーが機能するようになった。
sudo vim /etc/default/grub
のようにしてファイルを開く。GRUB_CMDLINE_LINUX_DEFAULT="quiet splash"
とある箇所をGRUB_CMDLINE_LINUX_DEFAULT="quiet splash acpi_backlight=vendor acpi_osi="
に書き換える。sudo update-grub
でGRUBを再設定する。14.04ではgpointing-device-settingsでこの設定ができたんだけど、16.04ではパッケージが提供されなくなっている。
検索したら、設定ファイルを直接編集すればいけるという情報があった。Let's Noteのタッチパッドの回転スクロールがログアウトすると無効になってしまうのを改善した。 - ここはひとつ、当て推量で。の記述を見つつ、
sudo mkdir -p /etc/X11/xorg.conf.d/
sudo cp /usr/share/X11/xorg.conf.d/50-synaptics.conf /etc/X11/xorg.conf.d/50-synaptics.conf
sudo vi /etc/X11/xorg.conf.d/50-synaptics.conf
という感じで設定ファイルをテンプレートからコピーして用意した上で、
Section "InputClass"
Identifier "touchpad catchall"
というセクションの最後に
Option "CircularScrolling" "on"
Option "CircScrollTrigger" "0"
EndSection
という設定を加えてから再起動すれば、回転スクロールできるようになった。 各設定の意味はSynaptics タッチパッド - ArchWikiに詳しい情報がある。
何かあったらまた追記するかも。
Firefox用アドオンは現在、Mozillaによる署名が必須となり、未署名のアドオン=Mozillaによる内容のチェックが行われていないアドオンはインストールできない、インストールしても有効化できなくなっています。
Firefox 47までのバージョンおよび法人向けの長期サポート版(ESR版)ではxpinstall.signatures.required
という隠し設定を使って未署名のアドオンを強制インストールできるようになっていましたが、この設定はFirefox 48で削除されました。
そのため、リリース前に自作アドオンを自分で使って試したい(ドッグフーディングしたい)人は、正式リリースされたFirefoxでアドオンを試す方法がなくなってしまっています。
この問題に対する救済措置として、上記隠し設定が利用可能な「ノーブランド版Firefox」がアドオン作者向けとして公開されています。 このエントリでは、ノーブランド版Firefoxの使い方と注意点をまとめておきます。
ノーブランド版と通常リリース版の違いは以下の点です。
xpinstall.signatures.required
をfalse
に設定すると、アドオンの署名チェックを無効化できる。Mozilla Wikiの、アドオンの署名に関する情報のページ内の「Unbranded Builds」という項目にインストーラのダウンロード用リンクがあります。 2016年8月3日現在ではリリース版Firefox 48.0相当の物へのリンクがありませんが、親ディレクトリから辿っていくとインストーラを入手できます。
このインストーラを実行すると、通常のFirefoxとは異なり、構成ファイル一式は「C:\Program Files (x86)\Mozilla Developer Preview」のようなフォルダにインストールされるようになっています。 インストールしたはずの物が見つからない!という時はインストール先を確認してみて下さい。 カスタムインストールすれば今までと同じ位置(「C:\Program Files (x86)\Mozilla Firefox」など)にインストールする事もできます。
xpinstall.signatures.required
を再設定してアドオンを有効化する。
今まで通常版のFirefoxでxpinstall.signatures.required
をfalse
にして使っていた人が、Firefox 48に自動アップデートされてアドオンが無効化されたという場合、「このアドオンは署名チェックに引っかかって無効化された」という情報がプロファイル内に保存されます。そのため、その後でノーブランド版を入れて起動しても、アドオンは無効化されたままとなります。
xpinstall.signatures.required
を1回true
に設定して、もう1回false
に設定し直すと、この情報がリセットされてアドオンが再び有効になります。自分はこれに気付いていなくてハマりました。browser.tabs.remote.autostart
=true
(これは設定ダイアログにあるチェックボックスに対応する項目)browser.tabs.remote.force-enable
=true
(アクセシビリティ機能によるe10s無効化を抑止)extensions.e10sBlocksEnabling
=false
(アドオンがあることによるe10s無効化を抑止extensions.e10sBlockedByAddons
=false
(同上)ちょっと前に「政治的中立を逸脱した教員」を通報する窓口を自民党が公開した件が一部の間で話題になってました。
僕自身は、そのフォームの存在にキナ臭いものを感じて、否定的な思いを抱いてる。これは事実。
でも批判の記事をボンヤリ読んでても「悪いから悪いのだ」的な事を言ってるように見えてしまうし、「密告したかった授業」ハッシュタグの様子を見てると市井では「何も問題無い、いいぞもっとやれ」的な盛り上がり方をしている雰囲気すら感じられる。 自分も、その盛り上がりの様子を見て「分かる」という感覚はあって、この種のフォームの存在を肯定するような感情を抱いた。これもまた事実。
この矛盾しているように見える2つの思いにどう折り合いを付ければいいのかを考えていて、自民党のフォームに元々あったであろう意図と、それを礼賛している人達がそのフォームに期待しているであろう物との間にズレがあるんじゃないのか? と思った。
で、「あの頃のあの嫌な先生が憎い」という感情が優先で先のフォームの問題点がスルーされているんだったら、それって良くないんじゃないの、と思った。
この件を問題だと感じた、と書いている時点で「左翼の左翼擁護乙」と思う人もいると思うんだけど、以下の文はそういう人にこそちゃんと考えてもらいたいと思って書いてます。
自分の子供の時の事を思い返してみて、確かに問題教員と言えるような人はいたと思う。 そういう人を「通報」する先は必要だと思う。
でもそれは「自民党が」やるべき事というわけじゃないですよね。 いや、自民党がやってもいいんだけど、本来だったら教育委員会なり何なり、教育関係者の中での監査役みたいな存在がやるべき事だと思う。
いま現在然るべき通報先が無いのならそれは教育関係者の怠慢だし、通報先があっても問題が握り潰されるなどしてまともに機能していないなら、それもまた怠慢です。 教育関係者の間での自浄作用が期待できないから外部からの黒船に頼るしかないんだ、という現実があるんだったら、それは早急に解決されないといけない問題だと思う。
繰り返すけど、それを自民党がやったらいけない、とは思いません。 実際、必要があって生活保護の申請をしてるのに通らないという場面で共産党がコンサルのような事をしているという話はあって、これを「本来は行政がやるべきだけどできていない事を外部の人間が代わりにやっている、それがたまたま政党だっただけだ」と言うなら、同じような事を自民党がやって悪い道理はないです。
今はもう削除されてるけど、最初は自民党のフォームには「『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生」という文言、改訂後は「『安保関連法は廃止にすべき』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生」という文言があった。 あくまで例示という形だけど、「そういう人は通報されるべき」という意図の表明ではある。
「戦争法なんてけしからん。子供を戦場に送る悪法だ。そう思う子は手を挙げなさい。ん、なんでお前は手を挙げないんだ? あんな物を良しとするのか? じゃあお前は平和の敵だな。先生はお前には授業をしない。教室を出ていけ。」って言う教員がいたとして、そういう教員をこのフォームから通報したら、当初の説明文の例に似てるし、これはまあ確実に調査対象ですよね。
じゃあここで意地悪なことを考えるんだけど、「同性愛なんてけしからん。子供を作る気がない奴は、国を滅ぼす非国民だ。渋谷区のパートナー条例みたいな物は即刻やめるべきだ。そう思う子は手を挙げなさい。ん、なんでお前は手を挙げないんだ? あんな物を有り難がってるのか? じゃあお前は非国民だな。先生はお前には授業をしない。教室を出ていけ。」って言う教員がいたとして、そういう教員をこのフォームから通報してちゃんと取り扱ってもらえるんだろうか?
フォームの趣旨があくまで「政治的中立性」に関してだから、同性愛云々は政治的中立性とは関係無い事例だから調査対象じゃないと言われるかも知れない。
あるいは、自民党の憲法草案に表れているように自民党としては「伝統的な家族のあり方」を大事にしてるので、伝統的家族観を破壊する同性愛は認められない、だからその教員の言動も党の方針と矛盾してないので問題なし、と判断されて握り潰されるかもしれない。
あくまで悪意に取った想像ですよ。 こういうのもちゃんと調査してくれるかもしれませんよ。 真の保守たる政権与党なら、そういうふうにまっとうに仕事をして欲しいと思ってますよ。
僕は、どっちの教員も問題教員だと思うし、調査されるべきだと思うし、教育の現場にそういう人がいて欲しくないです。 でも、その理由は「政治的に偏ってるから」ではないです。
先の例のような左翼先生だけが取り締まられて後の例のような伝統的家父長先生が取り締まられないんだったら、それって結局、ただの左翼狩りになってしまう。 それこそ政治的な偏りだと思う。
両者を等しく取り締まるには、政治と無縁の人だけを集めるか、あるいは、右からも左からも人を集めてきて、事例を握りつぶせないような状況を作るかしかないんじゃないの?と思う。
っていうようなことを言うと、みんな口を揃えて「中立なんてあり得ない」と言うんだけど、論点はそこじゃないでしょう。 中立じゃなきゃ取り締まれない、というタイプの問題じゃないじゃないですか、これ。
まあ、教室から出て行けみたいな極端なことを言う人は今時いないと思います(そう思いたい)。 でも細かい所でチクチク嫌がらせされたり嫌味を言われたりってのはありうると思う。 嫌いな子供だけ無視したり、他の子なら聞くような訴えでもその子が言った時だけは握り潰したり、そういう消極的な嫌がらせもあると思う。 僕はそういうのが「問題教員」って事だと思ってるんですよ。 (なので、以下で僕が「問題教員」と書いている箇所は、そういう横暴を働く人の事を指していると思って読んで下さい。)
そういうのを取り締まるのに、右翼か左翼かってほんとに関係あるんですか?
僕が言いたいこと、分かってもらえますでしょうか。 教員であるという立場を利用して、権力を笠に着て、横暴を働いて教え子を虐待するのが問題だと僕は思ってるんです。
体罰の問題と本質は同じですよね。 「教育のためなら『体罰も許されるのだ』」はNGだ、っていうコンセンサスが現状ですでに得られてるじゃないですか。 それと同じように、 「(平和|愛国)教育のためなら『横暴も虐待も許されるのだ』」はNGだ、っていうコンセンサスも得られるんじゃないですか?
もう1回書きますよ。 「教育のためなら『横暴も虐待も許されるのだ』」はNGだ、っていうコンセンサスは左右を問わず得られるんじゃないですか?
実際、左翼が行きすぎて共産党系組織からすら支持されなかったような人が、後に処分された事例もあるそうだし、不可能な事じゃないと思うんですよ。
仮に教育の現場に虐待の問題があって、現場が左翼に牛耳られていて、問題教員が左翼だから問題が表面化してないんだとしたら、なおさら、そういう人達の中の良識的な人達にも同意できる線で解決を図った方が実効性が高いんじゃないんですか? 虐待の問題を本当に早急に解決することを優先するなら、変な反論のできない、ぐうの音も出ない交渉の仕方をした方がいいんじゃないですか?
「左翼の先生にそういう問題教員が多い」というなら、それは別にいいんですよ。 問題教員をばんばん取り締まった結果左翼先生ばっかりだった、っていうのはありうる話です。
仮にそういう状況なんだったら、「左翼先生を取り締まれば問題教員がいなくなる」っていうのも確かに真ではあります。 左翼先生が100人いて、そのうち50人がそういう横暴を働く問題教員で、左翼先生以外の先生に問題教員がいないんだったら、左翼先生を排除すれば確かに問題教員はいなくなる。 でも、問題教員じゃなかった50人はただの巻き添えです。
教育における政治的中立性を維持するにあたって、一人の人が完全に中立っていうのは非常に希だと、僕は思ってます。
教員には、大学で教職課程を取って、教員免許を取ってそのまま教師になって、学校という社会しか知らないまま大人になった人が多いと聞きます。 そんな世間知らずな先生が、右にも左にもかぶれないで中立を維持できるとは僕にはちょっと思えないです。 なので、右の人も左の人もいろんな思想の教員がいて、両方の話を聞いた子供が結果的に中立になる、というのが現実的な落とし所になるんじゃないかと僕は思ってます。
そう考えると、左翼先生だけがいなくなるのは宜しくないと僕は思う。 別の立場の人からの批判に晒されて考え方が洗練されていくという事が起こらなくなるのは、右翼にとっても宜しくない事だと思う。 批判に晒されてない洗練されてない考え方を盲目的に受け入れてるだけの人は、外に出てちょっと批判されたら、すぐ極端から極端に転向しちゃいますよ。「これが真実だったのだ!!」って目覚めて、良からぬ方向に走っちゃいますよ。
(だから、教員が左翼ばっかりだったらそれもマズイわけです。幼稚な左翼にかぶれてた子供が、ネットで「真実」に触れて一気にネトウヨ化、なんて今でもよくある話じゃないですか?)
僕がここまでで書いた話を「議論のすり替えだ」って思いますか?
逆じゃないんですか? 問題教員に悩まされてきた人達のやり場のない怒りを、「それは左翼のせい」という政治的立場の話にすり替えて通報を募る方が、議論のすり替えなんじゃないんですか?
いや、自民党のフォームを作った人達がそこまで悪意を込めてやってたとは限りませんよ。 純粋に、彼らは彼らの思いがあって左巻きの教育を苦々しく思っていて、現状を調査したかっただけかもしれません。
(とはいえ、政権与党で、それなりに各方面に影響力の強い自民党が、左翼教師の通報を募ってたら、それって実質的にはやっぱり左翼狩りになるんじゃないの? と僕は思いますけど。)
自分の知る限りは2回の改訂を経て、自民党の件のフォームからは左翼を狙い撃ちにする感のある表現がなくなりました。 右翼思想の教員や、宗教思想の教員を通報するためのフォーム、というふうにも見えるようになっていますし、実際に当初からそのような教員の通報を期待しているのかもしれません。 右でも左でも関係無しに政治的偏り自体を問題視してたなら、最初からそうしておくか、あるいは、こういう余計なゲスの勘ぐりをされないためにも、左翼を想起させる例だけじゃなく右翼を想起させる例もそれ以外の例も併記しておいても良かったんじゃないかと思います。
でも、それでもなお、本来問題にするべきは権力を笠に着て横暴を働き虐待をする教員の方で、何らかの思想に偏っている教員ではないと自分は思ってます。
この文章を「左翼の左翼擁護だ」と思うのはべつにいいですよ。 事実として僕は左巻きを自覚してるし、問題教員としてよく語られる事例はどれも左翼教員ばっかりに見える(日教組が、というフレーズもよく目にします)から、事実として左翼の左翼擁護になってると言われたら否定はできないです。
でも、左翼憎しで雑に考えないで欲しいんですよ。 理性的であって欲しいんです。
これが逆に、共産党が右翼狩りを呼びかけてる例だったら、「ああまたアホなことを……落ち目の奴がそんなことやっても的を増やすだけやろ……」くらいで済ませてしまって、ここまで掘り下げて考えてなかったかもしれない。 「理性的に」って書いたけど、自分自身が理性的に考える前に感情で切り捨ててたかもしれない。 残念だけどそれも否定できないです。 でも、「せやろ。そんな程度の良識しか無いお前が言うなや」で済ませられてしまうのは嫌です。
右からでも左からでも上からでも下からでもどこからでもいいから、より本質に近いところに切り込んでいけるならその方が望ましいと思います。
くどくど繰り返し言うんですが、問題教員は実際いるし、そういう人達に苦しめられた人達が怒ってるのも分かるんですよ。 でも、それで理屈を忘れて本来叩くべき先と違う物を叩くのは、変だと思います。
僕からは、以上です。
僕は今33歳でもうすぐ34歳になろうとしていますが、16年前は17歳か18歳。 2016年7月10日の参議院選挙は選挙権が与えられる最低年齢が引き下げられて以後初の国政選挙で、当時の自分と同じくらいの年代の人も投票できるようになっています。 考えに考え抜いて投票先を選ぶ人も、自分が支持する人の方に勝って欲しいと思う人もいると思います。
当時僕には選挙権はありませんでしたが、それでもテレビで報じられる投票率の低さにイライラしていました。 みんなが選んだと言える事ならまだ納得できなくはないけど、みんなが選んだと言えないほど投票率が低くてどうして納得ができようか、と。
参院選を前にして、16年前の当時書いた文章がなぜか参照されていた形跡があったので改めて読み返してみましたが、いやぁ若いですね恥ずかしいですね。顔から火が出るなんてもんじゃないですね。でもこれも自分を形作ってきた物のひとつという事で、消さずに残しておくことにしました。
ところで昨今、僕が支持している考え方やそれに近い考え方の陣営が下手を打って自ら株を下げているように感じられゲンナリさせられることが度々あります。
中には、事実と確定していないデマと思しきものもあります。 しかし16年前の当時の自分や、自分が体験した事例を思うと、「やらかしててもおかしくない」と思わずにはおれません。 世間からも「こいつらならやらかしててもおかしくない」と見なされている、そういう風潮を感じます。 16年前の自分が書いた文章を読み返して恥ずかしかったのは、それも理由の1つだと思いました。
なので、そういった事例と絡めて、その頃の自分にも聞かせるつもりで、今現在自分が思っている事を改めて書き残しておこうと思います。
(ところで、大前提として選挙には行きましょうね。 そこは当時も今も相変わらず思ってます。 選挙権を20歳で得て以降、自分は今の所、公的な選挙は記憶にある限りでは全部行ってます。)
当時の僕は「選挙の後にガタガタぬかしても変わらない。選挙で物事が決まるんだ。だから選挙に行かなきゃいけないんだ。」という感じの事を語ってましたが、浅かったです。実際には選挙と選挙の間、選挙がない時の方が大事です。勉強と同じですね。普段勉強していれば試験でいい点が取れて、勉強してなければ点は取れない。試験は「普段のあなたがどうであるか」が可視化される機会でしかなくて、試験で点を取る事は目的ではありません。それと同じで、趨勢は選挙の前にだいたい決まっていて、選挙もそれが可視化されるというひとつの区切りでしかありません。
だから、選挙の時に熱くならないで下さい。
というか、選挙の時じゃなくても熱くならないで下さい。
我々には資金や組織力が無いからゲリラ戦を挑むしか無いのだ、みたいな自己正当化をして無関係の他の人の邪魔をしたり迷惑をかけたりしないで下さい。
自分は正しい事を広めようとしてるんだから少々の事は許されるのだ、みたいな思い上がりからルールを軽視し犯すような真似はしないで下さい。
「協力してくれるなら味方だ」みたいな二元論でもって無限の同意や無償の全面協力を強いたりしないで下さい。 ましてや、勝手に人の名前を使ったり意思を騙ったりしないで下さい。
(上記の例には、誰がやったのかも定かでない、事実かどうかも定かでない、という物も含まれています。が、前述の通り自分は「こういう事が実際あってもおかしくない」と思っていますので、以下の話はそれを前提として書きます。)
「今は特別な時だから」とか「自分は正しい事をしてるから」とか、そういう都合のいい例外を自分で作ってルールやマナーを勝手に歪めて考えないで下さい。 そういう傲慢さや、見識の狭さや、頭の悪さは、見透かされます。 そういう人を、良識を持ったまっとうな人は支持しませんし、好感も抱きません。
厳密に言えばグレーゾーンなんだから、黒と確定してるわけじゃないんだから、やっちゃった者勝ちなんだから、やっちゃえばいいじゃん。 「あいつら」がやってるんだから「こっち」だって同じことをやりゃいいじゃん。 おあいこで相殺されるでしょ。 そう思うかもしれませんが、周囲の第三者はそういう甘い判断をしてくれません。 良識ある人達は好意的に見てくれるはずだ、なんて思い上がらないで下さい。 良識のある人は、わざわざグレーゾーンに踏み込みません。 グレーゾーンに踏み込んだ時点で、良識のある人から見れば、あなたはもはや「良識が無い・一顧だにするに値しない、良識に反する敵」なのです。 そこを勘違いしないで下さい。
なぜそんなに熱くなるのか。 当時の自分を思い返すに、「普段の鬱憤を晴らしたい」とか「今までの不利を一気にひっくり返したい」とか「今まで認められていなかったぶん、認められて評価されたい」とか、そういう思いがあったと思います。
選挙の前に趨勢は決まっている、世論という物はだいたい形成されている、という事は、なんとなく皆さん感じていると思います。 そういう物を自分一人の努力で容易に変えられはしないという事も、薄々分かっていると思います。 自分が思った事とか考えた事を披露しても聞いてもらえない、賛同も得られない、言えば言うほど嫌われ避けられる、それどころかそもそも言いだす事すら憚られる、そんな感覚がなんとなくあるんじゃないでしょうか?
だから、選挙というタイミングで一発逆転したくて、もしかしたら一発逆転できるかもと期待して、熱くなるのではないでしょうか。 少なくとも僕は、そう考えていたと思います。
そんな風に虫のいい事を考えているから、嫌われるような事をやらかすんですよね。 今になって改めて、自分はそう思います。
虫のいい事を考えている間は、そういう考えを捨てられないという本質的な人間性が変わらないままでは、「ルールを守って」とか「マナーを守って」とかそういう事に気をつけようとしても、どうせできやしません。 先に挙げたような迷惑行為を表面的に慎もうとしても、違った形で迷惑行為をやらかします。 絶対にボロが出ます。 コーラを飲んでゲップを我慢しても、代わりにオナラが出るのです。
一発逆転を目指さない、とはどういうことか。
今の僕は、これが大事な点だと思ってます。
そういう風にやったからといって、人に好かれる保証は無いし、支持される保証もありません。 結局誰にも賛成してもらえないまま、というオチだって十分にあり得ます。 非を認めた途端に、「それみたことか」と得意げに叩き出す人も出てくるかもしれません。 でも、それでも誠実にいきましょう。 それが最低条件です。
僕のここまでの人生、わりとそんな感じです。 自分ではなるべく嘘をつかず真面目にやってきたつもりですが、「大多数の人の圧倒的な支持」は得られていません。
大多数の圧倒的な支持を得ていれば勝ち、そうでないなら負け、という考えであれば、僕の現状は「負け」ということになるでしょう。
でも実際には、僕の活動を意義ある物として評価してくれる人はいて、たまに誉められたりもしてます。 嘘・虚構で得たわけでなく、事実を積み上げた上で得られた評価なので、これは確かな物だと自負しています。 「勝つ」か「負ける」かの2値でだけ考えていると、こういうものを見落としてしまいます。
「耳障りのいい嘘をつかなきゃ聞いてもらえないじゃないか」 「嘘でもなんでもいいから聞いてもらえなきゃはじまらないじゃないか」 そんな事はありません。それはあなたの考え違いです。 嘘も捏造も無しに正直に話していて、話を聞いてもらえている人はいくらでもいます。
ただし、「あなたが正直に話しさえすれば、誰でも話を聞いてくれる」訳でもありません。 正直に話しても聞いてくれない人はいます。
人に話を聞いてもらえないなら、その人が興味を持ってくれて聞きたくなってくれるような話し方を考えましょう。 間違っても、無理矢理肩を引っ掴んで聞かせるような事はしないで下さい。
話を聞いてもらえないのは、聞く気が無い相手が悪いのではなく、聞く気にさせられないあなたが無力なのでもなく、あなたと相手が違う人間だからです。 そこが分からない限り、永遠に話は聞いてもらえませんし、聞いてもらえても恐らく、「分かってもらえた」と満足できる事は無いでしょう。 相手があなたのコピー人間でもない限り、「あなたが満足できるようなレベル」で相手があなたの考え方を受け入れて同意してくれることはありません。 相手に期待しすぎないで下さい。
若くて熱くなっている人にはなかなか理解できないかもしれませんが、自分と違う人生を生きてきて、自分と違う考え方をしていて、自分とは相容れない考えを持っている、そういう人達を貶すでもなく取り込むでも無く、そのまま死ぬまでお互いに平行線を行き続けながら、同じ船に乗り続けるのが社会というものです。 「自分と違う考えの人がいなくなればいいのに」とあなたが思うのなら、相手の側から見ても「自分と考えが違うこいつはいなくなればいいのに」と思われています。 あなたは安全地帯にいるわけではありません。 それを念頭に置いて、「何事もお互い様だ」という事を忘れないで紳士的にやって下さい。
それが格好いい大人という物だと、今の自分は思っています。
2016年の現場からは、以上です。