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恋愛教の手先になること - Nov 11, 2005

今まで「女なんてめんどくさいだけだ。そもそも恋愛なんてのは男に金を使わせていろんな業界がみんなして儲けるために作り上げた幻想だ。俺はそんな下衆な企てに踊らされたりせずに、一生孤高に生きるぜ。」とか言ってたような人が何かの間違いで彼女ができた途端に「恋愛っていいもんだぜー君も彼女早く作りなよー」と恋愛教の手先に変貌してしまうのは何故だろうか、と考えてみた。

人によっては、そういった行為は単なる「余計なお世話」「ゆるい同調圧力」だけれども、ある意味では「幸せを分け与えようとしている」「善意の奉仕者」「いい人」と言えなくもない。

で、ふと思った。「彼女ができた奴がこぞってそうなる」のではなく、「そういう奴だから彼女ができる」のではないだろうか、変化してそうなったのではなく元からあった資質が表出したのではないだろうか、と。自分の価値観での「幸せ」を譲れないものと信奉し、大事な相手にもその幸福観を押し付けようとする性質。

なぜなら恋愛って多くの場合は、互いに、自分の求めるものを相手がくれるという関係だと言えると思うから。互いに幸せを求めていて、互いに幸せを押し付けあおうとしているのなら、その「幸せ」のイメージさえ共通していれば何も問題は無いだろう。

その「幸せ」のイメージが合わないか、あるいは、需要が極端に少なかったり大きかったり、供給が極端に少なかったり多かったり、そういう時に、彼らのようなタイプの人は「性格の不一致」「価値観の相違」で別れることになるんじゃないだろうか。

とはいえ、そういう性質は「あると確率が高まる」という程度のもので、必要条件ではないのだろうとも思う。与えるばっかりで満足する人も、もらうばっかりしかしない人も、組み合わせ次第では相性良くぴったり収まるだろうから。

……なんか何言ってんのか自分でよくわからなくなってきた。

別エントリで補足した。

分類:モテ・非モテ・恋愛・自己承認, , , 時刻:18:46 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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