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幸せに生きるということ - Sep 06, 2005

恋愛の話の続き。

非言語的コミュニケーションの観点から脱ヲタをというものを考えてみたりとか、すっかり僕も「頑張ればモテるよ!」式の愚にも付かない空虚な慰めをする嫌な奴に成り下がってしまったと思われても仕方ないような事ばかり最近やってる気がしてしまうけれども、それは本意ではない。僕はただ、それだけが幸せであるとは思っていない。というよりも、幸せとそれとは全く別の問題なのだと思っている。

努力次第で人はいくらでも幸せに生きられると思う。何故なら、人には考える頭というものがある。自分で自分を暗示にかけることができる。他ならぬ僕自身、今までそうやって生きてきた。

「自分という個人」が幸せになれないのなら、発想を逆転すればいい。世界全体が「自分」なのである、と考えればいい。あるいは言い換えれば、「自分の価値判断」の基準を「人類」全体にまで広げればよい。そういう視点からものを見れば、「他人」の幸せも何も妬ましくなくなる。それどころか、「他人」の幸せも「自分」の枠の中での出来事なのだから、なんだって「自分の幸せ」になる。

世の中には無条件で他人の幸せを祝福できる人もいるだろうが、僕は、そういう人ではない。僕はあくまで他人を祝福しているのではなく、他人を通じて、自分を祝福しているのだ。

全てを祝福できるようになれば、もう、勝ったも同然ですよ。

そう考えるから僕は、他人の幸せを妬んでテロを起こすことには否定的だ。妬まなくてもいいじゃないか、一緒になって祝福したらいいじゃないか。自分と他人とを分け隔てて考えるから妬ましくなるんだ。ならば分け隔てなければいい。肥大化した自己愛で全てのものを包み込んでしまえば、全て自分を愛するのと同じように愛せるだろう。

思うに、人は自己愛を否定するから幸せに生きられないのではないだろうか。「そんなものに価値はない」「そんな閉塞的な考え方に未来はない」じゃあ、価値や未来を捨ててしまえばよいのではないだろうか。そもそも、価値や未来といったものはそんなに大切なのだろうか? 誰にとって大切なのだろうか? 自分にとって大切でないなら、大切にすることなんてないんじゃないのか?

幸せに生きられるかどうかなんて、きっと、そんな程度の問題。

分類:出来事・雑感, , , 時刻:06:23 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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