Sep 07, 2005

閉塞的幸福論

僕の幸福論について、益田ラヂヲ氏がこの人が非モテだった頃なら納得したかも知れないとコメントされているのだけれども……僕はこういう事を急に言い出したわけではなく、ずっと前から思い続けて、言い続けてきたことだ。無意識的には5~6年以上前から、意識的になったのはここ数年、だろうか。

むしろ今僕は、いかにすればこの閉塞的な幸福論から一般的幸福論に思考をシフトできるのかで悩んでいる。この幸福論は、僕が独りで生きていく限りには唯一無二の道だと今でも確信しているけれども、他者の人生をそれに巻き込んだ場合の危険性も認識していて、独りでないのならこの幸福論は封印するべきだと思っている。

一歩退いてこの件を見てみると、この幸福論に納得できてしまう人は独りで生きていくことができ、納得できない人は普通の幸せを掴まずにはおれない人なのではないか、と思う。

発言者のモテ非モテの話に続く。

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