Mar 17, 2006

負の連鎖の鶏と卵

本当はオタク趣味なんて好きでもなんでもない仕方なくオタク趣味やっている、そんな人が脱オタ者には多い、と天馬氏は言う。でも、人は最初から最後までそうであるとは限らないのかもしれない、途中からそうなってしまうものなのかもしれない、と、Masao氏のエントリと天馬氏のエントリを見比べていて思った。

何かに手を出すということは、少なからず「好き」の要素はあるはず。

例えば俳優から声優になった人も、俳優で食っていけなくてそこに行き着いたという経緯はあるにせよ、声だけとはいえ「演じる」ことに意義を感じておられたのではないだろうか。全く嫌いな事に携わるということなら、声優以外の選択肢も色々あるだろう。その中で敢えて声優を選んだということは、少なからず「演技の世界」に接していたかったからではないのだろうか。その選択は、それ一筋に熱中できるまでではなくても少しは、それが楽しかったり、好きだったりしたのではないだろうか。……まあ、これは実際にその世界にいたわけでもない部外者の憶測なのだけれども。

自分の場合なら、絵を描くのもプログラムを作るのも元はといえばやはり、楽しいから、好きだから、という要素が源にある。

その「好きな事」をしていて、称賛されたり、お金に結び付いたりすれば、もっと楽しく、もっと好きになっていくのかもしれない。
しかし「声優」も「オタクな絵」も「マイナーなソフト」も、どんなに頑張ってもなかなかそういう物を得られないから、フラストレーションが溜ってしまう。
フラストレーションを解消するために何かしようとする。
でも「頑張れば報われる」的な神話に毒されている純粋まっすぐ真面目君は、頑張っても報われないという事態に直面して、からめ手で臨むことができない。
真面目に頑張ることしか知らないから余計事態を悪化させる。

そうこうするうちに、「好き」「楽しみたい」という気持ちを忘れて「報われたい」という気持ちだけが残ってしまうのではないだろうか。「楽しい」はずだったものが「楽しくなくなる」のではないだろうか。

理想的な人
興味を持つ→(好き→頑張る→報われる→楽しい→もっと好きになる→もっと頑張る→...)×∞
脱オタしたくなる人
興味を持つ→好き→(頑張る→報われない→楽しくない→報われたい→もっと頑張る→...)×∞

こんな風に。

脱オタしたくなる人には、上の良いループに入るきっかけになる「報われる→楽しい→もっと好きになる」という部分をなるべく早く体験させることが、下の負のループから抜け出す鍵になるのではないだろうか? 幼稚園児の描いた技術的にはヘタクソな絵を親が「よくできました〜」と褒めそやしてやるがごとく、まずはその頑張りを評価してやる人の存在が必要なのではないか?

そう考えてくると、Masao氏の想定する脱オタ希望者と、天馬氏の想定する脱オタ希望者というのは、必ずしも全く別種の人間というわけでなく、重なり合うところが出てくるのではないだろうか。

……とここまで書いて、自分の書いた内容はMasao氏のエントリの内容をなぞった物でしかない頷き系エントリでしかないことに気がつき、軽く鬱になった。ウボァー。

エントリを編集します。

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