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非モテメンタリティから脱して幸せに生きるためには、彼女を作るとか結婚するとか童貞を捨てるとか子供をつくるとかそういうのは対処療法でしかなくて結局の所、己の内面化された恋愛至上主義を捨て去り価値観の転換を図るしかないのではないだろうか、と思う。人生初の彼女ができても月1しか会えずさらに1年と経たずにリアル遠距離となり電話は常にNG連絡はメールのみという状況で、僕は非モテメンタリティから完全に決別して毎日を幸せ一杯に生きているとは、主観的には、なかなか思えない。
その苦しみを与えているのは他ならぬ内面化された恋愛至上主義、あるいは「理想的恋愛像」だ。恋愛関係なら電話で話して当然、恋愛関係なら悩みを相談しあって当然、恋愛関係なら記念日を祝いあって当然、恋愛関係なら○○して当然……そんなどうでもいい「ルール」を内面化してしまっているせいで、そんなことは達成される方が珍しいというのに、達成されないことで勝手に苦悩している。
下手をすると、今の方がその苦しみをより強く感じている可能性もある。「絶対に手の届かないもの」に対してなら諦めもできようものが、「もしかしたら手の届きそうなもの」となるとついつい勝手な期待を膨らませてしまい、それで勝手に落ち込んで、落差の大きさに苦悩することになる。
恋愛に類することのプライオリティを高く設定しすぎているからそうなる。プライオリティを下げればよいのに。「彼女の(彼氏の)ことなんて後回しだ」そう迷い無く言ってしまえるよう、考え方を改めればよいのに。それをやせ我慢でなく完全に内面化された本音として語れるようになればよいのに。
僕の場合、それに気付いていてもなお妄想を捨てられないのが、輪をかけて酷い点なのだけれども。
Piro さんはいつも自己分析的で良い人だなぁ、といつも思っています。
それに恋愛至上主義を捨てるのは、人として生きる上でよいことだと思います。恋愛を否定しているのではないですよ。至上主義を否定していうるのです。何かに心が縛られることは、たとえそれが恋愛であっても、人を幸せから遠ざけてしまいます。
でも現実には Piro さんは恋愛がらみで苦悩されている。それはまさに Piro さん自身が書かれているように
> 「彼女の(彼氏の)ことなんて後回しだ」そう迷い無く言ってしまえるよう、考え方を改めればよいのに。
ということなんですが、「後回し」にするということはちょっといただけません。
恋愛で苦しむことも ( もちろん恋愛に限りませんが ) 人として成長する上でやっぱり意味のあることだと思います。僭越で申し訳ないのですが、Piro さんの場合、それに囚われてしまっているのと、問題を抽象化しすぎるのが問題なのだと思います。
ですから囚われから逃れる練習をお勧めします。簡単なことです。恋人を持つことのメリットとデメリットを並べて、できれば表にして書く。しかも具体的にです。例を下に挙げます。ブログへのコメントという関係上表にできないのはご勘弁を
例)
恋人を持つことのメリット
・恋人を持つと幸せな気分になれる。
恋人を持つことのデメリット
・恋人といつも仲よくいられるとは限らないし、不幸にしてわかれることもあり得る。そんなときは不幸を感じるだろう。
恋人を持つことのメリット
・自分を好きになってくれている人がいるのは幸せだ。
恋人を持つことのデメリット
・その人がいつ自分を嫌いになるかわからない。恋人にずっと自分を好きでいることを期待するのは現実的ではない。
恋人を持つことのメリット
・自分を好きでいてくれる人と過ごす時間があって幸せだ。
恋人を持つことのデメリット
・それまでにつきあってきた友人たちと疎遠になってしまう。
etc.
という具合いに具体的に表を作ってみてはいかがでしょう。抽象的に物事を考えるよりも、はるかに囚われから逃れられますよ。
それとこの方法は恋愛に限らず、他の囚われに対しても非常に有効です。一度だまされたと思って試されてはいかがでしょう。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-07-24_grow-out-of-love.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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