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最初読んだとき「このブルジョワジーのモテ女めが! なーにが、安っぽくて気に入らないから売っ払っちゃいました、だ! 男の純情を踏みにじりおって!! 許せん!!!」とブチギレかけたんだけど、トピ主の追記を読むうちにだんだん考えが変わってきた。
要約すると、結婚後の新居も家具も食器類もすべて姑に揃えられてしまい(特に家具類は夫と「二人で選ぼう」と約束していたにもかかわらず)、二人の結婚生活のはずなのに、その生活の場に、自分という存在がスッポリ抜けている。その最たる物が、二人の関係の象徴でもあるはずの物であった婚約指輪だった、と。
少なくとも僕は、パートナーには特別扱いされたい。他の人と十把一絡げにされたくないし、ぞんざいに扱ってほしくもない。「愛されたい」っていうのが非モテ心理の希求する事柄であるなら、こんな愛の無い結婚生活はとても容認できるものではない。
でも、そんな不満を抱えながら黙って今まで見過ごしていたのがそもそもの間違いだ、という糾弾も、僕にはできない。
自分が望む理想的なレベルの愛され方ではないにしろ、不満の残るレベルであったとしても、今のパートナーがいくばくかの愛情をくれているのなら。「気に入らないから」と今のパートナーを捨ててしまったとしたら、もう二度と誰からも全く愛を受けられなくなってしまうに違いない、という恐怖に怯えているのなら。すっかり諦めていた結婚という夢を、40歳を目前に控えた状況で思いもかけずやっと叶えられそうになった、という状況に置かれたら。その先に待つ物が完璧な理想とは程遠いとしても、それでも一時の安らぎを欲して、自分を説得して言い聞かせて本心を偽って、目の前のチャンスにすがりつきたくもなろうというものだ。
このトピ主の苦悩、とても他人事とは思えない。
ここで強気に出られる程には、僕は強くない。「ダメだったら次があるさ」なんて暢気な事、とても考えられない「次が無くっても独りで生きていけるさ」なんて事を言える程にも、僕は強くない。
誰が悪いのかって、結局は、何度もやり直しのチャンスがあったにもかかわらず、もう引き返せない人生のどん詰まりにまで来てしまった、そういう人生を意識下無意識下に関係なく選び取ってしまった、自分自身の責任だと言われるんだろう。一人で勝手に絶望して勝手に首吊って死んどけ、って言われるんだろう。
なんとも寂しいことだ。
たぶん、後半部分の夫がマザコン云々は同情を引くための嘘でしょうね。
衝動で書き込んだと思われる「安っぽいから売った」だけが信用できますが、後の部分は予想以上に非難が多い様子を見て、それをかわすためなんじゃないでしょうか。
選ぶことのできる選択肢は変わっていくだろうけど、人生に遅すぎるってことはないと思う。
「もう引き返せない人生のどん詰まりにまで来て」から進む道を方向転換することだってある。
寂しいことだなんて考えずに、これからある可能性について考えていたほうがより人生が豊かになるんではないだろうか。
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