Jul 19, 2007

CSS Niteにまつわる一連のアレを見て思った事

amachangさんのエントリ金子さん(刺身さん)とのやりとりとを見ていて、どうにも違和感をぬぐいきれなかった。

僕の中ではamachangさんの人間像というのは、朗らかで健全でモテ系で努力家でイケメンでスーパーハカーで非の打ち所のない人、という印象だった。なので、そのamachangさん自身が「外見で他人を差別すること」に殊更嫌悪感を表明している事が、不思議に思えた。今はもう削除されている、金子さんのエントリへのコメントに書かれていた過去のトラウマの話を読んでも、「ねじれてるなあ」という印象が強くなるばかりだった。

「外見で差別するのが許せない」と言いながら、そう言っている自分自身もまた「外見で差別」してる(自分自身がダサくならないように心がけている)、という事に、僕は矛盾を感じる。

外見での差別は何が何でも許せないということなら、世間の価値観に逆らいいわゆる「ダサイ」格好を貫き通すという生き方が、一本筋が通っててある意味で「正しい」と思う。逆に、自分自身もまた外見で差別する価値観から逃れられない・無意識のうちにその価値観に支配されているという業を受け入れるのであれば、他人が同じような業に踊らされている様子を見ても、虚しさを感じこそすれ、激しい怒りを感じる事はないだろうに、と思う。

なんでそこで攻撃性が外に向いちゃうんだろうか、受け流してスルーできなかったんだろうか、と、無責任な第三者の立場からはそう思ってしまう。僕のように自虐キャラが染みついてると、普段から弱みを晒しまくってガスを抜きまくってるから、いざ痛い所を突かれた時も、慣れで案外流せてしまったりして。少なくともヤバいほどのファビョり方はしないで済みそうな気がする。気がするだけかもしれんけど。

話は変わるけど、CSS Niteの空気って多分僕の生きていける空気じゃないんじゃないかなあという気がする。

ある人は、CSS Niteの主要な構成者はオシャレ軍団で、amachangさんもオシャレ軍団の仲間だと思って、一緒に技術ヲタ叩きして楽しく盛り上がろうと思ってそういう話題を振ったのかなあ、という考察をされていた。

つうかそもそも「CSS Nite」ってネーミングがもう、非オシャレ者の感性じゃとてもとてもシラフでは口にできない代物だと思う。恥ずかしすぎて。こんなの真顔で言えるのはモテ系勝ち組だけだろう、と素で思う(というのは僕の勝手な思い込みなので、事実に反している可能性は多分にあります。単に僕の言語センス的に、CSS Niteというネーミングはシャレてて気取ってて気にくわねえ、もっと泥臭かったりカッコ悪かったりクスリと笑えたりする物の方が好きだ、というだけの事とも言えます)。

世間がWeb標準とかそういう物に全く目を向けずに多数派の事だけ考えてテーブルレイアウトとFlashでWebを塗りつぶそうとしていた時に、マイノリティの卑屈さで自分を支えて小さな掘っ立て小屋を根城に細々と世の多数派の価値観に対し抗おうとしていた、そんなルサンチマン丸出しの立場でCSSとかWeb標準とかを考えてきていた僕のような人間にとって、Movable Typeの大流行で一気に波に乗ってWeb標準云々の話題に飛び込んできた勝ち組多数派の人達がいつの間にかおっ立てていった立派なビルを、素直に評価することなんて果たして可能なのか? 自分の中に鬱積した劣等感と美味しいとこだけ見事に持って行かれた悔しさとで発狂しちまうんじゃないのか?

まあ、それを受け入れて飲み下して、へつらって生きていくのが世の中の歩き方だ、という事なんでしょうね。

――揶揄するような事を書いてしまってますけれども、CSS Niteにはこれからも頑張っていただきたいと思っています。社会的な関心を惹き付けるこれだけのイベントを継続して開催する労力、その功績は、評価されなくてはならない。Webをより良くするために僕に貢献できる事があるのなら貢献したい。それが僕にできそうな、思い描く理想を少しでも現実に近づけるための一番現実的な手段だから。

エントリを編集します。

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