Sep 04, 2007

いちばんになりたい

拡張機能勉強会のあとの3次会の場で愚痴ってたことなんだけど。そして多分前にも書いた気がするんだけど。

僕は、トロフィーが欲しいとずっと思っている。勲章でもいいし楯でもいい。優勝旗でもいい。なんでもいいから、「いちばん」の証が欲しい。「いちばん」になりたい。そう思っている。

でも実際そのために必要なことをしたのかというと、全然してない。そもそも、僕は今まで、コンテストと名のつくような事に自分の作った物を出品した経験がほとんど無い。そりゃ、いちばんになるならない以前の問題だ。

出品すればいちばんになれるはずだ、出品しないのはただ出品の手続きやなんやらがめんどくさいからだ……そんな「俺はやればできるんだぜ」的な幼稚な妄想にとりつかれているのかというと、さすがにそれはないと思いたい。いや、「それはないと思いたい」と思っているフリをしているだけなんだろう。心の奥底では「でも本当は、もっと評価されて当然だ」と思い上がった考えを抱き続けているんだ。

だからこそこういう事実から僕はすっかり目を背けて生きてきていた。今になって思い出した。「出品してもいちばんにはなれない」ことは何度か証明されてるんだ。小学校か中学校の頃、近所のオモチャ屋さんでやってたプラモコンテストは、全身金メッキのシャイニングガンダムを貰ったけど、「いちばん」ではなかった。高校の時に美術の授業で描いた絵は、なんとかいう賞を貰ったけど、「いちばん」ではなかった。大学でMohoで作ったアニメーションは、なんとかいうスポンサーの賞を貰ったけど、それも「いちばん」ではなかった。(ちなみに、いずれも「にばん」でも「さんばん」でもない。)いろんなレベルの人が無差別級で集まる場では、本当の実力が試される場では、僕は「いちばん」にはなれなかった。

でも、なんでそんなに「いちばん」にこだわるんだ?

そうだ。「いちばん」だけじゃあホントは満足できないはずだ。「にばん」も「さんばん」も、取れるものなら全てのメダルを制覇したい。でも一人で取れるメダルは一つまで。だったら「いちばん」が一番いい。クラブの7が特別な絵柄になっているトランプは無くても、スペードのエースは大抵特別な絵柄になってる、だからクラブの7よりスペードのエースがいい。だから「いちばん」に拘っているのに過ぎない。

僕が本当に欲していたのは、「いちばん」ではなく「完全」だったんだ。

だから、その制限がないのなら、全部の賞を独占したい。それが叶ったのが、ゲームの世界だった。ワイプアウトXLも、リッジレーサーレボリューションも、レイジレーサーも、R4も、全部のトロフィーを手に入れた。テイルズオブファンタジアのモーリア坑道も制覇した。ファイナルファンタジーⅤでは4人ともすっぴんマスターにした。ときメモは伊集院も館林さんも攻略した。クロノトリガーは何周もして全種類のエンディングを見た。オモチャの世界でもそれは叶った。ANAの制服フィギュアは友人を通じて残りの全種を手に入れた。バーチャロンのワンコイングランデも色違いが揃ってないとはいえ形式的には全機揃えた。それらは「頑張ればコンプリートできた。」

今になって気がついたんだけど、そうやって「全部の賞を独占できる」という体験をしてしまったから僕は、全てに対して無意識のうちに「コンプリートできるはず、コンプリートしたい」という感覚を持つようになってしまったのかもしれない。例えば彼女の事なら、「初彼氏」「初デート」「初プレゼント」「初キス」「処女」「初婚」「初の子」「初孫(これはさすがに違う?)」……そんな具合に。そしてもう最初の時点で躓いてることを知っているから、そのことを思い出して時折やるせない気持ちに襲われるのかもしれない。もう「どんなに頑張ってもコンプリートできない。」

コンプリートし得ない物までもコンプリートしたくなるようになってしまったのかもしれない。「諦める」ということを学べないまま育ってしまったのかもしれない。

これでやっと繋がった。僕がいつまでもあれやこれやを気にして鬱々としてるのは、「コンプリートしたくてもできない」からなんだ。

そこまで思い至って、改めて自分が虚しくなった。何でもかんでも「コンプリート」したくなるってことは、つまり、何でもかんでも「コンプリート」の対象として見てるって事じゃないか。「コンプリートできるモノ」と思ってるって事じゃないか。「モノ」扱いしてるってことじゃないか。

それにそれに。「コンプリートしたい」という欲求は、言い換えれば、「望めば全てのものが手に入る」という、赤ん坊の世界観じゃないか。

乳幼児の全能感。幼児は世の中が自分の思い通りにならないことを知って、泣きわめいて、それでも世の中は自分の思い通りにならないということを思い知って、諦めて、自分の身の程を知る。僕はそれができてないってことじゃないか。幼稚な全能感を捨てきれていないってことじゃないか。

自分という人間の底の浅さをまた一つ思い知った、そんな鈴虫の鳴き声の響く初秋の夜なのでした。

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