Jul 10, 2006

秋葉原でのイベントを「失敗」と考える人の見解の一つを見て思ったこと

リアルな宣伝がどうこうという以前に、「報道されたときに受け手がどのような印象を受けるか」を考慮していない時点で全くの失敗といって良いと思います。(以下略。リンク先に全文)

なるほど、大局的に見るとそうなるんだなあ。目の前のことしか見えてないと叱られても反論はできない。これだけものを知ってる人が最初からこうしてちゃんと発言してれば、事態は変わっていたのかも知れないね。文字通りの後の祭りだけど。

しかしアレだ、日本のFirefoxユーザーコミュニティ近辺の人間は僕も含めて総じてセンスがないから、かっこよさを前面に出す戦略というのはボランティアベースでは逆立ちしても無理っぽい気がする。乗り気でボランティア参加するようなもじら組スタッフについても、客観的にはやっぱり「ダサイ」という評価をされてしまうだろうし。

そもそも、「手作り感」というのが日本人にはウケが悪い。今まで手弁当であれこれやってきてここまで来れた、不揃いでも個性溢れるメンバーたちによる様々な活動がいろいろな所で実を結んできた、というのはある種の美談だけれども、そんな手垢にまみれたストーリーは日本人は求めていない。日本人に受け入れられるのは、綺麗に殺菌消毒され曇り無い透明フィルムでラッピングされた「ブランド物」なのだから。……と、思う部分もある。

じゃあここから先は、お金をかけて専門家をひっぱってくるとか綺麗どころを揃えるとかして全てを入れ換えて(そうするのなら同時に、キャップやポロシャツやTシャツももっと洗練されたデザインのものに入れ換えるべきだろう)、過去と決別しこれまでの日本国内でのMozillaコミュニティの取り組みを徹底的に消臭・隠蔽するしかない訳なんだけど、それって受け入れられるのかな? 心情的に。

と思ったところで気付いたんだけど、Mozilla Japanができた当初の、もじら組との連携がうまくいってなかったりJLPの公開が取りやめになったりロゴが自由に使えなくなったりとかしてた頃、それを非難してた「ユーザ」達の言ってた言葉は、「今までの方が良かった」って事なんだよね。その視点はあくまで「自分達」に向けられていた。翻って今回のような「ユーザ」達からの批判を見ると、今度は「今までの事は無かったことにした方が良い」という事になる。今度の視点は「他の人達」に向けられている。この違いはどこから来るのか。

前述の「受け入れられるのかな」という問いの主体は「今までMozillaを支えてきたMozillaユーザ」のつもりなんだけど、それで「心情的に受け入れがたい」人がいるとしたら、それは、もじら組やその関係者、あるいは彼らに対して感謝している人、彼らをリスペクトしてる人なんだよね。対して、もじら組に何の思い入れもない人にとっては、それで事態が良くなるのなら、これまでFirefoxにしつこくつきまとってきたダサイ部分なんて早急に切り捨てて欲しい、としか思えないだろうと思う。

僕も失念してたけど、そういえば、ユーザ層がすっかり変わってたんだなあ。

Mozilla Japanは「ユーザーコミュニティとの連携」を重視しているということだけれども、Mozilla Japanの目に見えている「ユーザーコミュニティ」というのがもはや「Firefoxのユーザの中心」ではなくなってしまってる、ということなんだろう。かといって、もじら組に代わる「ユーザーコミュニティ」が登場したという話は寡聞にして聞かない。ということは、米国と違って、日本における現在のFirefoxユーザの中心は「群れない人」「コミュニティを作らない人」になっているということなのではないだろうか。

それに気付かず、ただ古くからあるというだけでその正当性を疑うこともせず、Mozilla Japanはもじら組の言うことをほいほい聞いてしまって、今回のような「大失敗」を招くに至ったのではないか――という解釈が、この考えの下では、可能になる。そうするとMozilla Japanはむしろ、Spread Firefoxという「群れるユーザ」の力に基づいた広報戦略を日本においてはなげうって、大資本を使って「クリーンなイメージ」をゼロから作る戦略を取るべきだったのかも知れない。

でもMozilla Japanにはそこまでの資金力は無いっぽい(そんな金があったらもっとマシなサポート体制を整えてるだろう)。そこがジレンマなのよね。

それと、「あんたらはもう表に出なくてもいい、っていうか、もう表に出るな。オタくさくてイメージが悪くなるから。あんたらはただ黙ってネット越しにユーザのサポートをしていればいい。」だなんて言われて、「やりたくて」「善意で」今までそうしていた人達が、大人しくそんな指示に従えるかな? という疑問もある。そういう「やる気の問題」まで含めて僕は、「嫌でも、報われなくても、泥水をすすらされても、それをし続けなくてはならないという窮地に追い込まれている人間」つまり「仕事としてそれを請け負う人間」でないと、本当の本当にFirefoxのためになることはできないんじゃないか、ということが言いたかったというのもある。そんな風に貶された程度で「やる気をなくしていじけて」「仕事をほっぽり出す」ことができる程度の関わり方しかしてない人間には今後のFirefox支援は務まらんのでないのか、みたいな。

極論ですよ、極論。あるいは思考実験。ああ、またなんか叩かれそうな予感。

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