Mar 02, 2007

Mozilla Manifesto、Mozillaコミュニティ

Mozilla Europeの中の人による関連エントリの和訳シリーズも併せて。

池添さんは、「建設的な事もせずにグダグダ言うだけの周辺の人間を切り捨てれば開発はもっとスムーズに進む」「内輪ノリのコンテンツなんかを手作りするのに無駄な時間を割くくらいなら、プロモーションはプロに任せて、プロモーションの素人であるMozillaの中の人はもっと別の事に時間を使うべき」と言っていた。効率を重視して、最終目標を「良いプロダクトを作ること」「そのプロダクトを広めてより良い世の中にすること」と考えるのなら、それが一番だと僕も思う。

しかし、この一連の文書を見て改めて思うのは、Mozillaプロジェクトの最終目的には確かに「プロダクト」「プロダクトを通じた状況の改善」も含まれているけれども、そこにはやっぱり「コミュニティといっしょに」という前提条件があるじゃなかろうか、と思う。我々は孤独でこれらを行うのではない.というのはそういう意味ではないだろうか。Mozillaが今こうなのは、一部の少数精鋭のチームだけで開発するとか、いかにもなタレントの人が出てくる完成度の高い映像だけを出していくとか、そういう風にしていないのは、そういうことが「コミュニティといっしょに」という話とマッチしないと考えているからなんじゃなかろうか。

とはいえ、「みんなでいっしょに」というのが足かせになって、スピードが鈍化するとか、一部の迷惑者のせいで却って普及が妨げられるとか、そういう事が起こるというのは事実なわけで。Mozillaプロジェクトは、高い理想と、その理想の実現を妨げる現実との間で、板挟みで身動きが取れなくなってるんじゃないか、とも思う。

営利企業であれば、あるいは、コミュニティ存続の危機に常に晒されているような弱々の所であれば、存続や発展のためにはなりふり構ってられないから、理想ばっかり追いかけてるわけにはいかないから、もっとシビアになっていくのかもしれない。Googleが実質的なスポンサーとして付いてしまって、当面金の事で困ることは無さそうだという状況にあるからこそ、Mozillaはこういう綺麗事を言えて、それ故にジレンマに陥っているのかもしれない。

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