Aug 25, 2006

40歳の童貞男

試写会イベントに参加した40歳の童貞男DVDも10月に出る)の感想。

40歳童貞であることがバレてしまったアンディに対して、同僚達があの手この手で脱童貞のための指南をするのだが……というお話。

映画の内容としては、アンディ(主人公)がポスターで見せている晴れやかな笑顔が全てを物語っていると思う。難しいことを考えちゃいけない、湿っぽいところのないあっけらかんとしたコメディだ。

小ネタでいちいち笑わせてくれる。また、「(600万ドルの男のフィギュアは、主人公よりも)上司の方が高価なんだ」とか、よーく見たらアンディ宅の机の上に米国版のMG RX-78-2 ガンダム Ver.Kaの箱があったりとか、マニア心をよく表したセリフ・演出・小道具の数々にも、こだわりが感じられる。家族の不和をアンディが解消するといった「いい話」要素もある。

セックスがテーマになっているという点が多少の難アリだが、べつにエロエロというわけではなく、むしろこの映画でヌケる方が凄いと思えるくらいで、普通に「下ネタありのコメディ」の範疇に収まっていると思う。古い映画でアレだけど、「ホット・ショット」シリーズの方がまだ下品かもしれない。

というわけで、そこさえ問題にならなければ、わりと普通に家族やカッポーで楽しめそうな映画だと思った。こういうテーマには手厳しいであろう童貞やD.T.の集まっているはずの試写会場ですら、事あるごとに笑い声が巻き起こっていたという事実が、その品質を保証できると言えるのではなかろうか。

ただ、この1~2年ほど延々と非モテ論を読んだり書いたりしてきた人間としては、アッサリしすぎて物足りない感じもあった。「アメリカ版の最強伝説黒沢だ」と評している人もいるようだけれども、それは黒沢のキモが何なのかという点について大きな見落としをした発言だと、僕は思う。その辺りの思いについては以下に、ネタバレも若干交えつつ書いてみたいと思う。

冒頭に書いたとおり、映画の内容は実にあっけらかんとした笑いに包まれている。アメリカ・ハリウッドの映画としては妥当な線だと思うし、一般の人の感情的にもここまでがギリギリ理解可能なラインだと思う。

しかし僕としては、童貞とか非モテとかの話は、もっとドロドロとしていて陰鬱で陰惨で、閉塞感と焦燥感にまみれたものだと思うんだ。いや、僕の勝手な思い込みと言われればその通りなんだけど。

アンディは童貞ではあるけども、幼くはない。子供のあしらい方を知っているし、仕事だってそつなくこなす(それどころか結構優秀だ)、身体だって毎日トレーニングして鍛えているし、近所づきあいだってちゃんとしている。性知識とかセックスアピールとか(あと、ゲームやオモチャ収集といった趣味もか)以外の面については、きちんと自立した大人として描かれている。辛いことがあっても、自宅でフィギュア(楽隊のミニチュア?)に手を入れるといった趣味の活動で、ストレスを発散させる術を心得ている。

彼はたまたま童貞であるだけで、人格的には全然問題ないんだ。健康そのものとすら思える。

そうじゃないだろう。そんなに人間できてないだろう、健康じゃないだろう、俺たちは。嫌なことがあったら夜一人家に帰ってきて癇癪を起こしてコレクションの類を片っ端から叩き壊し、夜も更けて真っ暗になった頃にやっと頭が冷えてきたら、半べそかきながら壊れたコレクションを拾い集めて一つずつ元に戻して直していく、そういうものじゃあないのか? そのくらいに、惨めで情けなくってジメジメしてて救われないオーラをぷんぷん漂わせてて然るべきじゃあないのか? 体だけ成長してて心はせいぜい中学生のまんま、という、いびつで正視に耐えない存在が、俺たちじゃあないのか?

内面の葛藤や懊悩の描写が少なくて、彼が脳天気な人物に見えてしまうのも、気になる。友人の赤ちゃんのエコー撮影の映像を見て、「ああ、彼女には既に3人も子がいて、一番上の子はもう大人になっていて、子(彼女から見れば孫)までいる。今更自分と結ばれたところで、自分との子をこれから生んでくれる訳がない。自分は結局子を残すことができない、究極の愛の証を育むことができない。」そんな絶望に襲われるのが、俺たちだろう。何を見ても絶望にしかならない、それが俺たちだろう。

ていうか学生時代(多分)にフェラしてもらえる機会があったって、どういうこった。足の指舐めなんて責められ方をされるなんて、どういうこった。そんな機会に自然に恵まれること自体俺たちにはあり得ないだろう。

……はいごめんなさい、「俺たち」っていうか「僕」ですね。どう見ても全部自分のことです。ほんとにすんません。

まあそんな感じなので、僕にとっては彼はあんまり自分と重ねては見れなかった。「面白いコメディ」ではあるんだけれども、「自分の心の苦しみを救ってくれる映画」ではなかった。

感情移入という点では、ヴィンセント・ギャロのバッファロー'66の方が、ずっと入り込んで見ていた気がする。主人公と一緒に落ち込み、追い詰められ、行き詰まり、とことんまで打ちひしがれて、そしてやっと解放されたことで、途方もない幸福の感情を受け取った記憶がある

ただ、こんな鬱映画になってしまうと今度は、映画を楽しめる人の数が限られてしまうだろうなあ。本編中で唯一、アンディの幼児性が垣間見える瞬間。ジレンマの果てに全てを相手のせいにして、八つ当たりする場面。これですらギリギリ盛りこめるかどうかのラインで、しかもたかがその程度のエピソードがこの話では「二人の関係を破壊する危機」として描かれている。たかがその程度で。鬱の極まった非モテ・童貞だったら、こんなの全然序の口程度の「幼児性の発露」に過ぎないのに、それでも一般社会からは「致命的な問題」と捉えられる、だからこそアンディの人間像からは、そういったものが全て封印されている。

より多くの観客に受け入れられるようにという配慮があるからこそ、そういう陰湿で惨めで情けない面を一切排除してカラッと仕上げてあるのだろう、本作は。

長々と書いてみましたが要約すると、僕はどうやらこの映画の想定する観客層とは若干ズレていたようだけれども、映画そのものは十分楽しめる内容だったと思うよ、というのがまとめです。

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