Sep 25, 2005

性行為はコミュニケーションたり得るかを、エロゲーを題材にして童貞が論じてみる

これが現実4 - 喪男道のコメント欄に

しかし、セックスが「コミュニケーションの一手段」っていうのがはなはだ怪訝です。セックスでどうやってコミュニケーションするんだろう?
仮にコミュニケーションの手段であるとしても、それならどうして「セックスだけが目的な関係」ってのが発生するのかしら…?
わざわざ文中で「セックスだけを目的とした関係は切る」って決断しておられますが。

コミュニケーションってのは何か疎通したいものがあるから行うもので、伝達事項のないコミュニケーションなんてそもそも成立しないのですが…。

とあったのを見て、思ったこと。

童貞ヲタの僕が妄想するぶんには、セックスはコミュニケーションたり得ると思っている。そして、それを通じて伝達するのは、自分自身・相手自身そのものだと思っている。否、そう願っている。

この考えは、僕のエロゲーやらエロマンガやらの好みの方向性を自己分析して辿り着いたものだ。

ということで今日はちょっとエロについてアツく語りクレちゃいますよ。18歳未満の方はさようならですよ。

さて、具体例を挙げるなら、例えばらぶデスAmazon.co.jp)。

このゲームは、通常の会話シーンやイベントシーンでキャラクターが動きまくる。これが尋常じゃなく楽しい。普通の「止め絵」のゲームが全然物足りなく思えてくる。

だが、エロシーンに入ると、それまでのプレイスタイルでは全くつまらなく感じられてくる。だって、日常会話シーンが膨大なセリフとモーションで構成されていて、見てるだけでも情報量が圧倒的であるのに対して、エロシーンは放っておいたら同じセリフと動きの繰り返しでしかないんだから。このゲームでエロシーンを楽しもうと思ったら、自分であれこれ操作しなくてはならない。自分からコミュニケートしなくてはならない。

まあ、片手でマウス操作しつつ片手であんなことやこんな事をするというのはけっこー大変ですから、しばらく放置してじーっと見ていざるを得ず、そこに気がついたワケなんですけどね。ええ。何をしてるのかは聞かないで下さい。

別の例としては、幼なじみな彼女Amazon.co.jp)。

これはらぶデスとは全然違う、普通に止め絵のオーソドックスなスタイルのエロゲーだけれども、ありふれた「ストーリーを進めて、そのご褒美としてエロシーンがある」スタイルのゲームではなく、最初から「エロシーンが強制的に組み込まれている」ゲームで、プレイ時間のほとんどがエロシーンだ。

これはつまり、エロシーンそのものが普通のゲームでいう会話シーンに相当していると言ってもいい。だから、普通は会話を通して描かれるはずのキャラクター像が、本作ではエロシーンを通じて描かれることになる。これが、見ていて無茶苦茶楽しい。エロが入るせいでエロバカップル化してて、見るからに頭悪そうなんだが、そこがまたいい。

バカップル系エロというと、ナースにおまかせAmazon.co.jp)もそれと同系統と言えるだろう。こちらは、年上とかナースとかそういう属性が加わってくるが、「エロを通じてキャラを描く」姿勢は共通していると思う。

これらの作品におけるエロは、キャラクターとシーンとが交換不可能な、<ruby><rb>一意</rb><rp>(</rp><rt>ユニーク</rt><rp>)</rp></ruby>なものなのだ。これらの「見てて楽しい」エロシーンと比べたら、決まり切ったセリフ(とも言えないような感嘆詞)ばかりが出てくるようなただエロいだけのエロシーンは非常につまらなく思えてしまう。(と、あんまりエロゲーをプレイしない僕は不覚にも思ってしまった)

バカップル系エロゲーにおけるエロとは、コミュニケーションに他ならない。

いや、実際にはそんな漫才みたいなことしながらできるようなことじゃあないのかも知れんけど、これは、そういう要素を極限までディフォルメした結果だと思うんだ。ディフォルメされてるから変に見えるだけで、普通でもそういう要素はあるはずだと思うんだ。僕がそう願っているだけかもしれんけど。

あるいは、こう言うこともできるだろう。「本能的な行動と、知性的なコミュニケーションとは、完全に分けて考えなくてはならないのか?」そんな事はないはずだ。食事時にだって人は会話をするし、料理が美味ければ、作った人に「おいしい!」と伝えたくもなる。料理人だって、食べる人を喜ばせるために工夫したくもなる。エロだって同様なんじゃないのか?

そう考えると、「セックスのみが目的の付き合い」がそれとどう違うものかというのが見えてくるのではないか。食事に例えれば、それは、ありがとうの言葉一つ交わされない、ただ客が来て、料理人が料理を出して、客が食べて、帰る、出される料理も、色合いも盛りつけも全く考慮されていない、食べる人を喜ばそうという気が微塵も窺えない、栄養摂取のためだけのやりとり、ただそれだけの殺伐とした食事のようなものではないのか。

まあ結局何が言いたいかというと、この3作は非常にお勧めですよと。そういうことです。←そういうことなのか

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