宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
こないだ益田ラヂヲさんと菊池さんとアメリカ村でゴニョゴニョした後に、休憩がてら益田さんご推薦のゲームを一つやったんだけど。ゲームの名前は忘れた。
ゲームのルールはシンプルで、プレイヤー同士の読み合い・騙し合いというのがキモなんだけど、これが結構面白かった。
なんでボードゲームを普及させるのが難しいんだろう……ということをその後で話してたんだけど、今思うと、このゲーム性の高さ自体が敬遠される理由になってしまってる側面はないかなあ、という気がふとした。要するにめんどくさい。何がめんどいって、ボードとコマを展開したり片付けたりってことじゃあなく、頭を働かせることが。相手プレイヤーを疑って疑って疑いまくることが。
もちろんコンピューターゲームにだって、そういう要素はいくらでもある。わかりやすい例でいえば、対戦格闘ゲームのプレイヤーはコンマ数秒の間に相手がどんな手を繰り出してくるか何通りもの予測を行うというし。
ただ、コンピューターゲームが派手な映像や爽快感のある動き、音声など、心理戦以外の様々な要素を持っているから、時間あるいは集中力を振り分ける場面において、かなりの部分受け身でいられるのに対し、ボードゲームはもっとプリミティブなものである分、常に集中して能動的でいなくてはならないような気がする。同じ30分のプレイでも、コンピューターゲームでは10分くらいが頭を使う時だとしたら、ボードゲームでは30分間脳味噌フル回転で休むヒマがないんじゃないだろうか。
もちろん、別に脳味噌使わなくてもプレイはできそうだけど、受動的に楽しめる要素がほとんど無い分、その場合のプレイはつまらないものになるような気がする。
最近僕はVアプリのミスタードリラーに結構ハマってるんだけど、これやってる間って、実は結構頭ボーッとしてる。パターン認識とかで頭を使ってる可能性はあるけど、権謀術数を張り巡らす心理戦に比べたらはるかに単調。
あぁ、なんか最近自分どんどんバカになってってるなあと思ってたけど、こんなところで実感してしまうとは……
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-01-29_boardgame.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
writeback message: Ready to post a comment.