Feb 24, 2006

感情とコントロールと真摯さ

怒りを感じたら、まずは「自分は怒りを感じたのだ」と、腹に落とす。その後、何故怒ったのか、怒りの原因は何なのか、その原因はどうすれば取り除けるのか、それを考える。そして原因を自分の内に見つける。自分の外は自分の意志では動かせないが、自分の内は動かせる。そうして、自分の内にある原因を取り除く。結果、怒りは鎮まる。

これが自分なりの、感情のコントロール方法なのだと思っている。そういったことができるうちは、まだ、冷静と言えるのだと思う。

逆に、感情にまかせて――感情に流されているうちは、冷静ではないのだと思う。脳のCPU資源を100%そのことに費やすから、他のことなんて考えられない。熱くなって、周りが見えなくなる。そして醜態をさらす。

脳のCPU資源を100%感情に費やすことは、その感情に非常に真摯に向き合うということなのかもしれない。ほんの少しの割合でもその資源を、感情を分析することに費やすというのは、感情に対して失礼なことなのかもしれない。

逆に、脳のCPU資源資源を100%感情に費やすことは、自分に対して、他のこともできる可能性を秘めている自分の脳のCPU資源に対して、失礼なことなのかもしれない。その何割かでも、別のことに費やすのは、自分に対して真摯に接するということなのかもしれない。

本当は脳のCPU資源を100%それに使わなくても良いようなことに、例えば30%しか使わないでも良いようなことにむりやり100%を割り当てて、本来であれば70%を使って考えるはずだったであろうことを頭の中から追いやり、3倍以上「薄まった」その感情に脳のCPU資源を全て費やすというのは、自分に対しても、その感情に対しても、失礼なことなのではないかと思う。また、脳のCPU資源を120%使い切ってしまいかねないような大きな感情を、脳のCPU資源を100%使って受け止めるというのは、感情に対しても自分に対しても、真摯に向き合っているのではないかと思う。

リソースを有効に活用することが、一番良いことなのだと、僕は無邪気に考えるのですよ。

ただ、脳のCPU資源を100%全て費やしてない感情によって相手に接することが真摯なのかどうかという、別の問題もあったりして……。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能