May 19, 2006

馬鹿正直の理由

先日天馬氏にも指摘された、僕が何でもかんでも本音を言うということの理由。

僕は、矛盾がないことが好きだ。何もかもが明らかになって一本の筋道立った説明が付けられる状態が好きだし、そうでない状態というのは不安でならない。何かよく分からないものがあれば、名前を付けて認識可能にしなければ、怖くてたまらない。その流れで、僕は「愚かで馬鹿でかっこわるい自分、事ある毎にボロが出まくりの自分」が嫌いだし、「理論的に矛盾なく筋が通った賢くてかっこいい強固な自分、ボロの出ない自分」が好きだ。今の自分がそうであるかどうかではなく、そうありたいと思うのだ。

自分が好きな自分であるためには、ここから、二つの方向が導き出せる。一つは、本当に非の打ち所のない完璧な人間になること。もう一つは、自分の情けない面を完璧に隠して、非の打ち所のない完璧な人間を演じること。

だが、僕には後者の生き方はできないように思う。

僕という人間は、元々馬鹿正直なのだと思う。そうしたいとかしたくないとかではなくて、嘘が下手なのだ。嘘をつこうとしたら挙動不審になるし、自分の言ったことの矛盾を追及されたらうろたえてしまう。ポーカーフェイスという言葉は全く当てはまらないし、そうなれそうな気もしない。自分の欠点を完璧に隠し通すことは、どうやらできそうにない。

ここで発想を逆転させてみよう。「完璧な人間像」というのは、「プラス評価の高い人間」ではなく「マイナス評価のない人間」であるとは言えないだろうか?

つまり、傷が深くならないうちにさっさと認めてしまえばいいのではないだろうか。プラスを積み重ねるよりまず先にマイナスをなくす。突っ込まれるポイントがなくなれば、何をしてもプラスになるのではないだろうか。

だから僕は、自分の理屈におかしいところがあったら、なるべく、下手に取り繕わずにさっさと認めてしまうようにしたいと思っている。

ただ、本気で全く気付いてない矛盾を突かれると、やはりうろたえる。だから常に自分を疑い、貶めて、あらゆる「自分に非がある可能性」に備えるということなのではないだろうか。と、後付で自分の考えに説明を付けてみる。

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