Jun 21, 2006

賢い人、優れた人

自分よりあらゆる面で賢く優れた人が自分のすぐ隣にいて、僕は、そのことに耐えられるか?

そういう相手の代表は、「親」だろう。子供の頃、親は自分よりあらゆる面で優れた存在で、親は自分の知らないことをなんでも知っている存在だった。

そんな存在、自分が圧倒的敗北を喫する相手である「親」に対して、僕が劣等感や焦りを感じずに済むのは何故か? おそらくそれは、「自分にも追い付ける可能性」が残されていると思えるからではないかと思う。

でも、その相手に一生かかっても自分は追い付けない、ということが分かっていたとしたら、どうだろう? 例えば今自分が30歳だとして、10代のうちからヤリまくりの男には絶対に追い付けない。「おととい来やがれ」は実現不可能だからだ。

勝てる可能性がないからこそ、劣等感を感じるし、焦る。焦るというか、恐怖する。こいつは自分の存在意義を脅かす者だ、と思って、いてもたってもいられなくなる。そして排斥しようとする。己の矮小な自尊心が隷属することを許さないから、その屈辱に耐えられる強靭な精神を持ち合わせていないから、拒絶する。

でも、そうできない相手もある。拒絶するに拒絶できない、色んな事情でそうせざるを得ない相手というものがある。

そのうちに僕は、耐え切れず、隷属を選ぶようになる。

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