Jul 30, 2006
プアな頭
ワーキングプア関係の話でお金がないということというエントリを見ていて、思ったこと。
ワーキングプアとは、職に就いて一生懸命働いてはいても年収が生活保護の水準以下であるような人のこと、またはその状態だ。
ワーキングプアでなくなるためにはより良い仕事に転職すればいい、資格を取るなり何なりすればいいじゃないか、そう簡単に言ってしまう人もいる。でも話はそう簡単じゃない。ワーキングプアとは、もっといい仕事に転職しようにも特殊な技能は持っていない、技能を手に入れるための勉強・資格取得のための勉強をする時間的・経済的余裕がない、などの理由で現状をどう頑張っても打破できないという、行き詰まりの状態でもあるからだ。
「頭が悪い」「要領が悪い」というのも、これとよく似た状態であるように思う。お金がないとそうであるのと同様に、頭が悪いとそれだけで、選択肢が狭まってしまうから。自由がないから。
頭の回転の速い人から見たら、頭の回転の遅い僕のやることも言うことも考えることも、全てがまどろっこしく見えるのだろうと思う。何でそんな重要なことをもっと早く言わないんだとか、何でそんな明白な事実に気付かないんだとか、僕はよく詰られる。
彼らに見えている何千何万と無数にある「やり方」のルートのうち、僕は常にそれらの中でおおよそ最悪と思われるルートのいくつかしか見えておらず、その範囲でしか選択をしていない。それがきっと彼らには酷く愚かで、場合によっては不愉快にすら見えるのだろうと思う。
でも、そのごく僅かなルートしか、僕には見えていない。選択肢がそれだけしかない。思索の世界は自由かも知れないけれども、僕の頭の程度ではその自由を享受できない。彼らにとって僕の歩むルートは「気が向いたら話の種にでも歩んでみようかな、と思う程度のもの」で「選択の対象」なのだとしても、僕にとってそのルートは「それしかないもの」、「気が向こうが気が向くまいがそのルートを辿るしかない、義務」だったりする。
――同じ言い方が「非モテ」をテーマにしても語れそうな気がするなあ。
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