宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
泡沫ブロガー天狗問題を見て、どうしてブロガーやってると天狗になってしまいやすいのかを考えてみた。
Web上で感想や意見を表明する場合、それにはいくつかのレベルがあると思う。自分の感覚では、とりあえず以下のように思っている。
上位ほど入れあげている度合いが高くて、下位ほど醒めた淡泊な反応、という風に見てほしい。創作系の反応が上位にあるのは僕が創作を趣味にしているからであって、人によってここは変わるかもしれない。しかしながら、4位以降の序列については、一般的にも言えることではないだろうかと思う。
もしこのような図式があると仮定して。
かつてコミュニケーション手段がそれほど多くなかった時代には、送り手が受け手からの「反応」そのものを得る事自体が難しかったはずだ。受け手は「ファンレター」のような形でしか感想や意見を表明することはできず、また、送り手はそのような形で表明された物しか受け取ることができなかった。
しかし今は違う。ファンレターを送るような熱い思いがなくても、受け手はとても軽い気持ちで感想を表明することができる。普通の人がしている何気ないことに対してファンレターを送る人はいなくても、ブックマークでコメントを付ける人くらいは出てくる。
また、送り手も、容易にそれを見ることができる。はてなブックマークの「〜の注目エントリー」といった機能を使えば、自分の書いた記事がブックマークされたかどうかチェックできる。トラックバックをたどることももちろんできるし、リファラを見ればそれ以外に言及しているサイトも見られる。もっと単純なところでは、「アクセスカウンタ」という仕組みのおかげで閲覧者数も数えられる。
これこそが、ブロガーを天狗にさせてしまうのではないだろうか、と僕は思う。
送り手にしてみたら、ブクマコメントが付けられていただけでもファンレターに等しい喜びを感じるものかもしれない。自分の作った自分だけのコンテンツが他の人から注目されている、そんな実感を得られるかもしれない。
しかし受け手にとって、ブクマコメントは所詮は、それ以上のアプローチを試みるつもりが無い・それ以上関わり合いを持つ気なんかさらさら無いという場合に使う、送り手向けではなく自分同様の受け手向けの、意見表明の手段でしかない。その他のことについても、彼らにしてみればその時目にした送り手は有象無象の中の一人、one of themに過ぎない。
そこに、送り手と受け手での意識のずれがあるのではないだろうか。
このような状況は、今のような過渡的な状況においてのみ表れる現象なのではないかとも思う。すなわち、ソーシャルブックマークというものが存在せず、ブログもトラックバックも存在しない、そんな生活が価値観の基盤となっていた人が、ブロガーやるようになったという時代に、限定的な現象ではないか、と。こういう形でのコミュニケーションが当り前であるという価値観を持つ人達が増えてくれば、ブックマされた程度のことを自分に対する賛辞と勘違いして天狗になるなんてことも、減ってくるのではないだろうか。
そんな風に、HTML直書きの日記+teacupの掲示板でスタートして、そのうち自サイトに掲示板を取り込むようになり、各日記の記事に固定のURI(permalink)を割り振るようになって、やがてblosxomの導入でコメントやトラックバックを受け付けるようになった、僕は思うのです。
実際のところ、最近は何書いても全然ブックマされなくて2〓3件もブックマされれば良い方だというハブられブロガーが、人気のブロガーにまとわりついて少しでもブックマ数を稼ごうとしている、というだけの話なんですけどね。
このエントリが僕の中から出てきた理由というのは。
1,ブクマ数が多い(偉いブロガー)>少ない(ハブられブロガー)
2,アクセス数が多い(偉いブロガー)>少ない(ハブられブロガー)
んで、ハブられブロガーどもは表にでてウロチョロすんな、偉いブロガー様に声かけんじゃねーよ、ということ?
ブログ書くのがそんな階級社会に位置することなら、みんなもっともっと姑息なアクセス稼ぎをしなきゃいけなくなるんじゃ?でも、必ずしもブクマやアクセス数はエントリの内容を反映してないし、一概に人気を表してもないと思うんだけど。単純に言えば、つまらないこと書いてても社会的知名度をネット内にも持ち込めば自動的に注目されるだろうし、いつでも炎上上等の過激な態度してたら面白がってブクマされたりヲチされたりするでしょ・・・
昨日、一昨日、ブログ始めたばかりの初心者が、この記事が面白いのでコメント書こうとかリンクしようと思っても、それが偉い人のブログなら「まとわりつくな!このアクセス厨が」と見られても仕方ないということ?
ちょっとPiroさんにしては薄情な感じがするなー。
(そんなふうに考えてるのかと思うと、私もここに書き込んじゃいけないような気がしてきたし・・・)
仮に情が薄いとしたらそれは自分に対してではないでしょうか。
エントリの中で散々悪く書いている「勘違いして天狗になる奴」にいつのまにか自分がなっていて、天狗になった結果、今の状態を「この俺様に対する扱いとしては不当だ」と考え、自分が思い上がっている所の「正当」な扱いを少しでも得ようと、端から見れば浅ましいとしか言いようの無い行為(キーマンの書いたエントリに乗っかって適当な事を書き散らし、あまつさえトラックバックまでする)をしている。
そういうことなので。
わかった。
Piroさんのことだから、そうかもなぁと思ったけど、ちょっとひっかかったので。「正当」な扱いってのが何なのか、よくわからないんだけど・・・Piroさんのエントリはねー、なんか「ほんのり」した良さがあって、サイト自体も安定して運営されてるし、いつも来るから、これブクマ!とか思わないのね、私の場合。文体とか視点とか面白いし、高く評価してるんだけど、なんか個人的に「そっとしておきたい」感があって(笑
こういうのも「正当な」対し方だと思うよ。とくにどのエントリということはなく、全体の雰囲気が気に入ってるから、あえてブクマの必要を感じない、みたいな。そんな人たくさんいるんじゃないかな。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-08-18_blogger.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
writeback message: Ready to post a comment.