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もっと自信持てよ、堂々としろよ、と言う人がいる。
自分でも、そうしたいと思うところがある。もっと自信を持ちたい。自己顕示欲を満たしたい。素直にそう思う。
でも、怖くてできない。タガが外れて、羽目を外して、抑えが効かなくなって、これ以上ないほど傲慢な人間になってしまうことが目に見えていて。それで袋叩きに遭うのが恐ろしくて。
僕は本質的に、物凄く嫌らしい人間だと思っている。調子に乗りやすい、軽薄な人間であることを承知している。一度調子に乗ったら取り返しがつかなくなる、そう思う。今の僕を見て「実は傲慢な奴だ」と指摘できる人は、僕のそういう本質を見抜いている人なのだと思う。彼らが洞察力に優れた賢い人なのか、逆に、僕に「自信を持て」とアドバイスする人に見る目が無いのか、そこまでは僕には分からないけれども。
「自信過剰」と「自信なさ過ぎ」の間のちょうど良い地点が分からない。程々に自信があり、程々に謙虚、という「最適のバランス」が分からない。
肩に力が入りすぎですよ。
前向きな人は前向きだし、慎重な人は慎重。
明るい人は明るいし、落ち着いている人は落ち着いている。
それぞれがそれぞれで、どちらがいい悪いじゃありません。
今の Piro さんのあり方は Piro さんのあり方で、
本人はどうあれ、他人にはうらやましがられている面があります。
今のままでもいいのに無理するから、ぐだぐだになるのですよ。
どの立ち位置であれ視点によっては、自信過剰または自信なさ過ぎなのですから、
どの位置も同じ。
だから、自分を無理に変えようとせず、割り切っちゃえばいいです。
ただ、現状維持が嫌で自己を変えたいなら、それなりの努力と勇気が必要です。
その辺をビビって動けない動かないなら、発破かけてでも頑張るべきです。
自分に発破もかけられず、ぐだぐだ悩むなら、悩み損。
為せば成る為せねば成らぬ奈良の大仏。
ただそれって、面倒くさいし大変だし、変わるときは気づいたら変わっているのだから、
無理する必要はないと思いますけどね。
私は、今の Piro さんの考え方、嫌いじゃないですよ。
私と違う考え方なので、色々参考になります。
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