Oct 11, 2006

強い人

さくらちゃんの件を「死ぬ死ぬ詐欺」と主張する連中

僕はリンク先の人みたいなこういう人達を、すごいなあ偉いなあ羨ましいなあ、と思う。それは、彼らが「強い」からだ。

この人の書くエントリが時々とりあげられてて見てみると、大抵、コメントスクラム(名無しによる数百件におよぶ大量の投稿でコメント欄が埋まる現象)に遭っている。にもかかわらずこの人はブログを書くのを止めていないし、プロフィールを引っ込めもしないし、コメント欄に制限を加えるようなことをする様子もない

攻撃に晒されてもブログを止めない人はとても多いけれども、コメント欄に制限を加える素振りすら見せない人というのは、そう多くないような気がする。大抵、コメントスクラムに遭った人が見せる反応で一番多いのは、ブログの閉鎖(全ての問題からの逃避)だ。その次に多いのが、コメント機能の封印(自分の発言は続けるけれども攻撃からは身を守る)。あるいは、プロフィールを伏せてしまうことで(ただプロフィールを伏せてもGoogleキャッシュとかで辿れてしまえるから意味がないので、大抵は、ブログを閉鎖して新しく別アカウントで開始することになるんだけど)「素の自分」「生きてる自分」と「ネットの自分」「嘘の自分」とを切り分けてしまう、というケースも実に多い。いずれも、これ以上の攻撃に晒されたくない、これ以上「自分の自我」が攻撃に晒されたら精神が参ってしまう、という危機感からの防衛反応だと言えるだろう。

つまりこの人はある意味で、コメントスクラムに参加している人々のことを心底ナメきっている、と言うこともできるのではないかと思う。どうせこいつらにはこの程度のことしかできない、それ以上のイヤガラセも何もしやしない、と。

というか、外側に現れるものと自分の内面とを結び付けてしまってる自分のような人間と違って、彼らは、仕事でやってることもその関係での人付き合いも何もかも、表出するものはすべて「ネタ」と割り切っている、というだけのことなのかな。

話は脱線するけど、そういう人たちに懲りもせず群がってコメントスクラムを発生させてる人たちというのは、自分を内省する事はないんだろうか。「こんな事やってるのはバカバカしい」「蔑まれてまで俺、何やってんだろ」という具合に。僕なら、恥ずかしくてとても耐えられない。仮に捨てハンでやっていても、それをやったのは「自分」だということには変わりないのだから。

知らず知らずのうちに他人の掌の上でそいつの意図通りに踊らされていることほど、屈辱的な事はない。

エントリを編集します。

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