Oct 12, 2006

いじめの記憶の克服についての課題

いじめというのは、された方はいつまで経っても忘れられないのに、した方は平気で忘れやがる。

……というのはよく言われることだけれども、それは、報復行動に移した後にも同じ事が言えるのではないか。

どういうことかというと、せっかく報復を果たすことができても(相手をいじめることができても)、その解放感や爽快感はあっという間に失われてしまう。なのに、いじめられた記憶はいつまで経っても消えたり癒えたりすることはなく、自分を苛みつづける。そういうことも言えるのではないかと思う。

やっかいなことに、いじめ「られた」記憶というのは、「忘れ」られないからこそ時々思い出すことが続いて、そうして自分の中で反復されるうち、どんどん増強され、強調され、客観的実態以上の辛い思い出としてより深く強く、心の傷をえぐり続けていく。自家中毒に陥ってしまう。一度背中を押されただけでしかないのに、しかしその先には深い谷が待ち受けているから、一度背中を押されてしまったが故に、その後は転落の一途を辿ってしまう。

一度いじめられた時点で、彼はいじめというその事柄について永久に勝ち組には転じられないことが、決定付けられてしまうのではないか。

報復を果たしても代わりの物を手に入れてもいつまで経ってもなくならない負の記憶。これをどうすれば克服できるというのだろうか。

一つには、代わりに何かを手に入れることが、その解決に役立つかもしれない。嫌な記憶を想起させる要素を全く含まない別の何かに没頭すれば、自家中毒をそれ以上深刻化させずに済むのかもしれない。

しかし、まったく別の事に注意を向けることで自家中毒の原因から目を背けているだけだと、一度注意が戻ってしまえば、また負のループに逆戻りしてしまう。根本的な解決になっていないから、いつでも元に戻ってしまう危険性がある。

やはり、ずっと言いつづけていることではあるけれども、催眠術なりマインドコントロールなりを使って、記憶と人格を人工的に作り替えてしまうしか、真の解決の道は無い気がするんだよなあ……

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