Nov 26, 2006

打落水狗

「打落水狗」、「水に落ちた犬を打て」とは、魯迅が言った言葉らしい。馬鹿な犬は、溺れていたところを助けて貰ったとしても恩なんて感じやしないし、それどころか、常にこちらの隙を窺っていやがる。岸まで辿り着いて水から揚がって元気を取り戻したら、またこちらに牙を剥いて襲いかかってくる。だから水の中にいてこっちに反撃できないうちに徹底的に叩いて沈めて溺れさせて殺してしまえ。……という意味の言葉なのだそうだ。この「犬」とは頑固で無知蒙昧な人を、「水に落ちた」とはその人の愚かさ故に引き起こされた事態にその人自身が嵌り自滅した様子を、言っている。中国に古くからある「水に落ちた犬はそれ以上打つな」という諺を魯迅が皮肉って反転させたものなのだそうだ。魯迅は中国国内の当時の反動保守勢力を犬に見立ててそう言ったらしい。

OK、理屈は分かった。素直に頷けるところもある。でもいくつか疑問がある。まず一つは、その「犬」が反省したり感謝したりする奴なのか、それとも恩知らずで噛み付いてくる奴なのか、どうやって判別すればいいのかということ。それからもう一つ、その「犬」を叩いてる自分が同じ「犬」ではないと言いきれるのか、水に落ちた「犬」を叩く権利が自分にあるのか無いのかはどうやって知るんだ、ということ。

そういう事を、彼氏がShareで違法なファイル共有に手を染めていたせいで、とばっちりで目を付けられて自分のプライバシーまで丸裸にされてしまった女性の話を見ていて、思うわけです。彼女は本当に叩かれるべき「犬」だったのか? 彼女を叩いた人間は本当にそうする権利(人権を侵害する権利)を持っていたのか? と。

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