Dec 20, 2006

ぐちゃぐちゃ考えるのは余裕があるからだ、余裕があるのは本気じゃないからだ

いつもぐちゃぐちゃ内省してばかりの人は、それだけぐちゃぐちゃ考えるだけの余裕があるということだから、目の前の問題に本気で全力で取り組んでいない証拠。

まあ、確かに、その日その日を生きることに本当に手一杯であれば、こういうエントリを書く時間は無いはずでしょうしね。苦しい苦しい、死にたい死にたい、と「言ってる」人ほど実は大して苦しくも死にたがってもない、というアレでしょうか。

考えてるヒマがあったら手を動かせと。思考を停止しろ、考えるな、と。結果は後から付いてくるのだぞと。

すばらしい。

マイナーな趣味(絵を描くこと、XUL、etc.)にただ素直に無心で没頭してきて、結果として社会で軽んじられる存在に成り下がった(大したシェアもない開発環境に特化した技能なんて、社会的にどれだけ役に立つと言うんだ?)、付いてきた結果は全然嬉しくない物ばかり、という経過を辿った人間には、ちょっと残酷な話ではありますけどね。

まあ、そんな人にはこの言葉を贈るしかない。「運が悪かったんだ、諦めな」と。

うわあ。それ、一番言われたくない言葉だ……

報われない(なかった)努力を讃えるというのは、そういう運の悪かった負け組を、他人や自分が慰めるための欺瞞的行為、合理化の一形態でしかないのかも。と思った。

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