Dec 24, 2006

前向き後ろ向き

前向きだな、とたまに言われる。ここに書いてる内容だけ見てる人には信じられないかもしれないけど、僕も信じらんないけど、実話なんだからしょうがない。

「なんだ、本質全然見えてねえのな」と少し思わなくもないけど、でも本質を見せよう見せようとせずむしろ嘘で塗り固めている自分なのであれば、よっぽど付き合いの深い人や洞察力に優れた人以外、気がつかなくて当たり前だろう。

ほんとに前向きな人は、後ろ向きと言われることはまずないだろうけど、前向きだなと言われることもあんまり無いんじゃないかという気がする。

僕は本質的に後ろ向きなのであって前向きじゃないから、少しでも前向きであらねば生きていけないと思って、努めて前向きに振る舞おうとしている。だから目に付いて、「前向きだな」と言われるんじゃないだろうか。

本当にナチュラルに前向きな人は、目に付くことがあんまり無い、本当にごく自然に前向きでいられてるんじゃないだろうか。

なんかね、嘘臭く思えちゃうんですよ。前向きに前向きに振る舞うことが。口頭でならそう振る舞えるのは、ログが残らないから。その場限りの言いっぱなしで済むから。でもここはちがう。文字情報は残る。恥ずかしくてならないから残せない、と無意識に感じてるのかもしれない。

じゃあ思慮深くて色々考察できるのがお前のナチュラルなのかと言われると、それも嘘っぱちのように思える。むしろ思慮が浅くてほんとはなんにも考えてないのが僕の本質だと思う。

大抵いつもその場の気分で適当に決めている。大局的に見て出費が増えるとか健康のために宜しくないからとかの理由まできちんと考えて食事を取るということもなく、ただ安いからという理由でスーパーカップ1.5(たまに2.0)で空腹を満たす、そんな昼食も平気で取る。

そんな人間性が文章にも表れていると思う。だから本当に頭が良くて賢い人が僕の書いた長文を見たら、その裏にあるただひたすらに自分を飾り立てようとする薄っぺらな虚栄心を一発で見抜いて、それ以外に何も含まれていないことまで見抜いて、軽蔑すると思う。

それでもやめないのは、何故か。

結局のところ、ここにログとして残されているのは僕が「自分はこうでありたい」「こうであって欲しい」「こうあるのがカッコイイ」と無意識のうちに思っている像を反映したものだけなのかもしれない。

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