Jan 04, 2007

自ら負け犬になろうとしてしまう根性

「○○ができたほうがいい(しておいた方がいい)」、という言い方は、よく目にする。そういう経験を積んでおくのも悪くない、人として大人として深みのある人生になるだろう、生活する上でプラスになるだろう、とかの文脈で。

そういう言い方のフレーズの中で、何故か、それを見た瞬間に僕の脳内で「○○もできない(したことない)奴は人間失格だよねプギャー」「○○したことないのが許されるのは小学生までよねーキャハハキモーイ」と勝手に翻訳されてしまうことがある。相手がそう言ったつもりがなくても、そういう悪意を持って発言したに違いないと瞬間的に思い込んでしまうことがある。

例えば、恋愛。SEX。独り暮らし。客商売。飲食店の店員のアルバイト。自炊。

べつにそれだけでその人の人格全体の優劣が決まるわけではない「はず」なのだけれども、何故だか、そう思うことができない。絶対的な優劣を決定づける重大なファクターであるかのように感じてしまう。そして、少しでもそれに触れるような内容の話題に対して、過敏に反応してしまう。世間的にはただの「+α」でしかないはずの「○○したことがある」という属性を、「must haveなもの」と考えてしまっている。それを持っていない自分を、絶対的に劣った存在と感じてしまう。負け犬にならなくてもいいのに、自ら負け犬になってしまう。

冗談でなくマジでこんな風に考えるのは異常なことであり自意識過剰でありルサンチマンの塊であり子供の全能感を捨てきれないいつまで経ってもガキのままの未熟な人間であることの証なのかと思っていたけれど、聞いてみたところ、友人の何人かも、口には出さないものの同じようなことを感じることはあると言っていた。

もっと潔く生きたいものですね。

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