Feb 25, 2007

若さ、若さってなんだ 振り向かないことさ

コメント書いた後から、Amigomr氏が新しいエントリで事実上の決別を明言されていたことに気がついた なんだ自分……まるっきりアホやん。

僕から見ても、ああ若いなあ、と感じた。かつての自分を思い出す。「(誰)」とか「(謎)」とかのジャーゴンを公の場で使って内輪ウケしてそれ以外の人を消極的に拒絶するサインを無意識下に放っていた人達に対して、「過去ログ読め」とか「まず自分で調べろ」とか「そもそもこの用語は云々」と含蓄を垂れ流すとかの「技術系」コミュニティに対して、激しい反発を感じ、それらを正すことを己の使命と感じていた頃のことを。しがらみに囚われていない素人ならではのストレートな意見こそが世界を変えるのだ、それを受け入れられない奴らは自己保身のことしか考えていない、と考えていた。NOを表明することで、厳しく非難することで、正義の鉄槌を下しているつもりでいた。その快楽に酔いしれていた。あの頃の僕は。

今でもそういう気持ちを全くなくしてしまったとは思いたくない。それを全くなくしてしまったとしたら、現状に流されるだけの人になってしまったということだから。

ただ、あの頃からちょっとずつ思うようにはなっていて、時間が経つごとにだんだんハッキリとしてきた、一つの思いがある。それは、自分の最終的な目的がどこにあるのかをハッキリさせなきゃいけないっていうこと。そうしないと無駄ばかり大きくなって、得る物がないということ。

もし「現状を変える」「相手を変える」のが目的であるなら、そのためには外堀を埋め、内堀を埋め、相手に反論の余地が無くなるまで段階を踏んで少しずつ追い詰めて、ひっくり返す、それが一番いい。相手は「ならしょうがないな」と納得できる。もしかしたら手を進めて自分の考え方を補強していく中で自分が見落としていたことに改めて気づけるかもしれない、それどころか自分の考えそのものが間違っていたということにも気付けるかもしれない。間違った考えのまま暴走して多くの人を巻き込み被害を拡大させる前に、自らストップをかけられるかもしれない。まあ、それをするには時間もお金も気力も充実してるという条件が必要なんだけれども。

もし「自分の感情を満足させる」のが目的であるなら、無視を決め込んで早々に引き下がるのがいい。自分の感情を満足させるためだけの穴だらけの「理屈」を打ち立てるために時間を浪費するのはもったいないし、それに対して集中砲火のように浴びせられる理性的で正しい反論にいちいち目を通す時間を浪費することも、それらに自分のプライドをズタズタに傷付けられることも、なくなる。傷は浅いうちに塞いだ方がいい。「僕の方に理屈の上での正しさはなかった。単に感情レベルで反発していただけだった。」それを素直に認めて早めに引き下がれば、お互い、時間やお金や気力を無駄に浪費せずに済む。

僕の目にはAmigomr氏は、「Bugzillaコミュニティの中の人達に、自分達が間違っていたと認めさせることを通じて、自分の正しさを立証すると同時に、Bugzillaコミュニティを変革する」ことに拘泥していたように見えた。でもそのストーリー通りに物事を進めることに拘りさえしなければ、いくつかの寄り道や、要素の並ぶ順番を入れ換えることを許容すれば、そのストーリーに含まれている要素を一つ一つ実現していくことは十分に可能だっただろう。氏自身が音頭を取って、ドキュメントを整備し、あるいはより使いやすいインターフェースを用意し、より質の高いバグ報告をより多く集められるような状況を実現させてしまえば、Bugzillaコミュニティの中の人達も、「ああ彼の方が正しかったんだ、自分の方が間違っていたんだ」と思い直したかもしれない。中の人達がそう思わなかったとしても、客観的には「Bugzillaコミュニティよりも彼の言ってることの方が正しかったよね」という評価が得られることだろう。いずれにせよその頃には、Bugzilla自体は氏の思い描いていたような変革を遂げた後の姿になっていることだろう。

……とか何とか、「自分が正しい」と思い込んで長々語る人ってキモイですね。高校生という若さでこの世界に飛び込んで活躍しているくらいの聡明な人と、もうすぐ四捨五入したら三十路になるような歳になっていながらまともな活動実績も残せていない愚鈍とを同列に扱って、氏を自分のレベルにまで引きずり下ろしてグダグダ論じているだけじゃないすか、こんなの。ああキモイキモイ!

エントリを編集します。

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