Mar 09, 2007

移行できるかできないかを最終的に決定付けるのは利用者の認識だと思った

キングソフトオフィスがよかったの以下の節。

IE7 もインターフェースがガラッと変わったソフトだけど、なぜか母はたったの3日で対応できてしまった。不思議です。Firefox の方がよほど IE6 に似てると思うのだけれど、母は乗り換えませんでした。MS スゲーと感心した次第。自分もその後、Office2007 で同様の奇跡体験をし、MS の底力を実感させられました。

これって単に、その人が「インターネットを見るにはこの青いeのやつを2回クリックして出てくるやつを使わないといけない」と思ってるから順応しただけだろう。と思った。

僕自身は、なんだかんだ言いつつ仕事のメイン環境をLinuxにせざるを得ないという状況に置かれて、「慣れられるか慣れられないかじゃない。慣れるんだ。」みたいな感じだったから、あれだけ使いにくいDebianのKDE環境にも順応してしまった。今はUbuntuのGNOME環境だけど、これも同じ理由で順応した。さんざんウンコだウンコだと言ってるGIMPですら、他に仕事環境で選択肢がないから使い慣れてしまった。開発環境としてのFirefoxも、Mozilla Suite系がメインストリームじゃなくなると決定した段階で乗り換えて、順応した。そもそも昨年4月から東京にやってきていきなり独り暮しが始まった(それまで親元べったり)けれども、なんだかんだで今日まで生きてこれている。人間その気になればこの程度の違いには簡単に順応できてしまうのだろう。

順応できなかった物を振り返ってみると、どれもこれも、それがなくても生きていけるものばかりだ。Inkscapeは、SVG形式での入稿を受け付けてくれるような印刷業者がないから結局いつもIllustratorを使わざるを得なくてそっちに慣れてしまったから全然使ってないし、Photoshopも、積極的に乗り換える動機がなかったから僕はまだフォトレタッチ系ツールはFanfare Photographerがメインだ。そもそも自宅環境は相変わらずWindowsだし。読み書きでは英語を多少書けるけど喋る方はてんでダメだし、Linux使ってるといっても、代わりにやってくれる人がいるからシェルスクリプトの一つも未だ満足に書けやしない。

いつまでも順応できない最大の理由は大抵、「順応することに本腰入れてないから」というただそれだけのことでしかない。

UIを似せるというのは、乗り換えコストを引き下げる手助けにはなるけれども、乗り換えを決意させる決定的な材料にはならない。乗り換えを決意させさえすれば、どんな劣悪なUIだろうと結局は順応してしまう。MicrosoftやWindows、Officeというブランドは、それができる力を持っている。いや、「乗り換えを決意させる力」というよりは、「乗り換えないこと(新しいMicrosoft製品の使い方を覚えないこと)を諦めさせる力」とか「屈伏するしかないと思わせる力」とか「追従し続けることをやめたら生きていけないと思わせる力」とか言った方が、実態に合っているかもしれない。これは心理的なベンダーロックインと言えるかもしれない。

……ということを、二宮町役場の話を見ていても、思えてくる。この職員達は特別に適応能力の高い天才なのか? 違うだろう。

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