Apr 01, 2007

新年度と新人研修とぬるま湯と学生の延長

気がついたらもう4月1日か。

新社会人の皆様は研修とかそういうのでお忙しいご様子で。僕はグッデイでバイト扱いからそのまま正社員という形だったのもあってかそれともそもそもそういう制度がなかったのか、新人研修という物を体験していないのですが、普通はどういう事をする物なんでしょうね。漫画の「いいひと。」で描かれていた物くらいしか知らないので、現実のそれがどういう感じなのか全く見当がつきません。

話は全然変わるんだけど。

今、自分はデザインっぽいことから記事執筆、(法人の)ユーザサポート、果ては(拡張機能の)プログラミングまで色々幅広く仕事として取り組ませてもらっている。そういう様子を「すごい」と評してくれる人もいるのだけれども、自分としては、あんまりすごいとは思えないどころかこのままで行くと将来には破滅しかあり得ないんじゃないかとすら思っている。

何故そう思うのか。それは、今の自分のあり方を「学生生活の延長線上」のように感じているから。

学生でも児童でも生徒でもなんでもいいけど、社会人になってない間って、なんつうか、改めて考えてみると、異常に色々手広くやらされる。数式を解くのに頭を働かせた10分後には縦笛を演奏し、その50分後にはサッカーボールを蹴りながらグラウンドを走り回る。汗を流すヒマもなく化学の実験を行い、実験結果の分析を次週に持ち越して今度は詩を朗読する。なんだこれ。お前は何がやりたいんだと。

大人になるっていうのは、社会人になるっていうのは、他のあらゆる可能性を捨てて、たった一つの分野・一つの仕事だけを選び取り、その道だけを何十年も歩み続けて極める、ということだと僕は思っていた。

然るに今の僕は、あれやこれやと色々やっていて、しかもそれぞれがそれなりに楽しくてやりがいがあると感じていたりする。この間なんか面と向かって、「今の環境は相当幸せな環境だと思うよ」と会社の人に言われた。

でも、それは、言い換えると、楽しいとかやりがいがあるとか呑気なことを言ってられる程度の浅い表面的な関わり方しかしていないということだと思う。ぬるま湯の中でぷかぷか浮かんでるに過ぎないってことだと思う。厳しい環境に晒されていない、居心地よい環境でぬくぬく生きてるという意味の、「僕は幸せ」でしかないんじゃないか、と思う。

このまま生きて僕の身に何が残るのだろう。何も残らないのではないか。卓越したプログラミングセンスも、誰にも真似できないデザインセンスも、何もない、ただ「プログラムみたいな物を作れて、絵のような物を描けて、文章のような物を書けて……」みたいな、色々やれるけどどれ一つとして光り輝いていない人にしか、なれないのではないだろうか。

そんな事を、最近よく考えています。

ていうかずっと前からこんな事ばっか書いてる気もするけど。

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