Dec 16, 2007

絵柄

絵柄が古いだのなんだのって、本質ではないんだよね。……ということを、プロのマンガを見ていて改めて思った。

加野瀬氏にもえじら組の本を見てもらった時に「古臭い表現」と指摘された「均一なカケアミ」「肉感的ライン」とかは、今でも第一線で普通に使ってる人はいるわけで。「そういう古臭い表現だから僕の絵は駄目なのだ」ということではなく、「そういう表現が『古臭い』ということ以外の何の印象も残さない物にしかなっていないから僕の絵は駄目なのだ」ということなんだったんだと、今、急に気がついた。例え僕が流行の表現を色々取り入れたとしても、それはそれで「流行を追いかけてるだけで薄っぺらいよね」と言われておしまいになるんだろうと思う。

「古臭い絵柄だね」も「今の流行りの絵だね」も、どっちも言ってることの本質は同じだ。「時代の平均的な絵の範囲からちっとも逸脱してなくて、個性がなくて、君の絵じゃなきゃいけないんだと思わせるような魅力が全然無いよね。その絵は他の人の絵と交換しても全然問題ないよね。っていうかむしろ、より上手に同系統の絵を描ける人がいるのなら、その人と積極的に交換するべきだよね。」ということだ。技術者は1円の金も稼がないという話で言えば、「『君の絵』は、君の『絵を描く技能』は、全然『かけがえなく』ないよね。」ということだ。

そうそう。プロといえば、今プロとして絵を描いている人の中で、確固たる地位を築いている人は、みんな「かけがえのない」絵を描ける人達なんじゃないかなーと思う。「かけがえなくない」絵しか描けない人は、それを買う人・編集して売る人の指示に従って、作品的には「どーでもいい」物を安く買い叩かれ納品させられているんじゃないかなー、と。「ONE PIECE」ソックリの漫画とか「DEATH NOTE」ソックリの漫画とか、少年マガジンの一部作品なんかもそうなんじゃないかという気がする。「技術者は1円の金も稼がない」という話は「技術者」に限らず「クリエイター」と呼ばれるような人達全般に言える事なんじゃないだろうか。

閑話休題。だから、僕の絵が充分に個性的で魅力的であったなら、「古臭いね」という風なことはそもそも言われなかったのだろうと思う。取り立てて魅力のない絵を見せられて、個性と呼べる物を見出すことができなくて、苦慮した果てに、僕の絵を「古臭い」と言った人達はそうコメントせざるを得なかったのではないかと思う。

僕は小さい頃から空気を吸うように絵を描いてきていて、「自分は絵を描く人間なんだ。自分という人間のアイデンティティにおいて、絵を描くということは欠かせないんだ。これは僕の誇りなんだ。」とずっと思ってきていた。でもこうして色々な事を考えてみれば考えてみるほど、結局僕はどこまで行っても、他人にとっては、「絵を描くことがアイデンティティの人」なのではなく単なる「絵が描けるという技能を持っているだけのただの人」であって、僕が自分の事を「絵を描く人」と言えば言うほど、チェーン店のファミレスの厨房でマニュアル通りに商品を作るだけの人間が「俺、そのうち自分の店を持つつもりなんだぜ!」と言っているのと同じような滑稽さを演出するだけだったんだな……

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