宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
ペンタブレットの正しい握り方において、人差し指を浮かせる持ち方を推奨しているけれども、以前どこかで聞いた話では、手首で描こうとする事がそもそも駄目なのであり、手首を設置させて描くのではなく手首は浮かせて腕全体で描くのが正しい絵の描き方だ、ということだったような気がする。なぜ「手首で描くのが駄目」かというと、こぢんまりした絵になってしまうから、だったと思う。
でもねぇ。ペンタブレットなのであれば手首で描いても問題ないのかなあとも思うんですよ。腕全体で描かないと小さな絵しか描けないのはアナログ画材だけの問題で、デジタルでやるなら、ズームアウトした状態で描けば、手首の小さな動きだけでも大きな絵を描く事ができるから。
同じような話で「特定の向きの顔しか描けないのは駄目」という話もあった。右利きの人は手首が動きやすかったりペン先の動きが見やすかったりする左向きの顔ばかり描く傾向がある(左利きなら右向きの顔になる)、という話。それを聞いて以来なるべく、右向きも左向きも正面向きもまんべんなく描けるようになろうと思って、一時期意識して右向きの顔ばかり描いていた記憶がある。でもデジタル環境だったら、そんな無駄な努力をしなくても、自分の描きやすい方向で描いて後で左右反転すればいいわけで。
昔「基礎的な画力」と考えられていた技能も、こうしてだんだん必要なくなっていってしまうものなんすかねぇ。そのうち念写みたいに思い浮かべた物をそのままプリントアウトできるようになったら、そもそも絵を描く技能というものが不要になるんだろうなあ。
なんか反転させると変な絵になるような気がする(ゆがみが目立ったり)。こんどはそうならないように描けるのが上手ってことになるのかな。
思い浮かべたものを出力できるようになるとしたら、こんどはその「思い浮かべ能力」が問題になるだけですよきっと。一枚の絵のディテールまで細かく思い浮かべられるヒトって、きっと、絵が描ける人だと思う。
それを突き詰めていくと手や指も「表現」するためのツールなんでしょうね。
ということは想像力、というか脳がそれを欲してるから表現が生まれるのでしょうか。
でもその一方で、じっとしているだけでは煮詰まったりするけど、手を動かしたり散歩してたりするといいアイディアが浮かんできたりすることもあるので、何らかの外部刺激も必要なのでしょうね。
昔から言う「心身相関」という言葉を思い出します。
宇宙人に出会ったら真っ先に聞きたいのが「芸術とゆう概念はあるのかどうか」とゆー事なんすけど「そんなんねーよ(プ」とか言われても私は描くのをやめられないだろうしとかそんな感じですか(謎
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2008-08-04_pen.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
writeback message: Ready to post a comment.