Sep 17, 2008

女の人の容姿を評価するのをためらう

「彼女」に対してはためらいなく「かわいい」と言えるけど、そうじゃない人には言えない。というかなるべくそういうことを考えないようにしてる気がする。

  • その人が僕に「綺麗だ」とか「かわいい」とか言われて嫌な思いをするんじゃないか、と不安になる。「俺は俺自身のためにオシャレしてるんだ、てめえなんぞの目を楽しませるためじゃねえんだよ。」とか「てめえみたいなハエにたかられちゃ迷惑なんだよ、俺は蝶を引き寄せてえんだよ。こっちくんな。」とか「異性として意識されるのがほんとウザい……頼むからそういう目で見ないでくれよ。」とか思われるんじゃないかと思うと、言えない。言われて相手がいい気分になる様子、が想像できない。
  • (社会的に、世間的に、などいろんな意味で)圧倒的強者たる女性様に対してゴミカスみたいな自分が軽々しく「評価」を下すこと(そしてその結果不愉快な思いをさせること)は罪悪ではないのか? という不安。
  • 仮に言えたとしても、綺麗と思えないものを綺麗だとは言えないから、「言える相手」と「言えない相手」が出てくる。するとえこひいきの形になる。僕はえこひいきするのが怖い。「えこひいきする」ということを認めたら自分は「えこひいきしてもらえない側」になるという恐怖があるし、「えこひいきされなかった人」を傷付けることになる・傷付けたくない・その傷付きに自分が感情移入してしまっていたたまれないという感覚があるし、「えこひいきされなかった人」から恨みを買うことも怖い。だから「えこひいきする」ということ自体を避けたがる。
  • 思ったことを空気読まずに口に出してしまう、あるいは、無意識のうちに言葉の端々や行動の端々にそれが出てしまう馬鹿正直で抑えがきかない僕だから、「言ったらまずいことを空気読まずに口に出すこと」「えこひいきで他人の扱いに差を付けること」を防ぐには、「そもそも考えない」ようにしないといけない。でもそれが板に付いてしまって、人のことをかわいいとか綺麗とか考える思考回路自体が退化してしまって、人間味のないつまらない人になっている、と言われたら何も言い返せない。
  • えこひいきの対象から外されて悔しい・妬ましい・悲しい思いを、するのもさせるのも、できれば避けたい。傷付く人がいなくて嬉しい人だけしかいないのなら、安心して誉められる(だから、努力したとか合格したとかの客観的に無難な事柄に対しては今でも誉められる)。「人の人権を剥奪して奴隷にすること」は肯定できないけど「奴隷のようによく働いてくれる存在」は欲しい、そういうのと似た感覚。
  • 「彼女に対しては言える」というのは、「彼女に対してえこひいきするのはよいことだ(むしろえこひいきするべき)」という価値観があって、自分に対して言い訳が立つから、なのかもしれない。
  • ていうかむしろ自分の審美眼に自信がない。「えーマジ?! あんなのをかわいいって思うの?!」「ああいうのをかわいいとか綺麗とか思えるのは小学生までよねー!」「幼稚な審美眼キモーイ!!」という風に陰で嗤われそうで怖い。そういう意味では、「彼女に対してかわいいと言える」のは、「恋人フィルター」という言い訳によって「客観的な美醜を判定できていなくても問題ない」とされる、むしろ「ほほえましい」とすら言われることがある、ということで安心して言えるからなのかもしれない。

ここでは「彼女」と書いたけど、「自分の子供」でも同じ事が多分言える。子供はいないけど、いたら上記のような理由で「かわいい」と言えてるんじゃないかと思う。

2015年3月31日追記:7年後の見解を記しました。

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