Oct 19, 2008

JPOP王道進行とウンコ曲と「違いが分かる人」

「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた」

  • 日本でこの30年近くの間にヒットした曲の多くが、共通した性質、法則を持っている。
  • 欧米で一時期流行ってあっという間に廃れた「ユーロビート」は日本でだけは今も親しまれているが、このユーロビートの曲もJPOPの曲と共通した性質を持っている。
  • 売れないアーティストでも、この「王道進行」に則って曲を作った途端に大ヒットした。
  • それさえやっとけば他はどうでもいい、ということでこの「王道進行」を使った安直な曲が粗造乱造され、日本の音楽界はとても悲惨な状況になっている。

ということを実際に曲を演奏しながら検証する動画と、JPOPのみならずヲタ好みの曲までもが同じ法則に則っていたことを証明する動画が、紹介されている。

  • 王道進行に則っていて、名曲(日本でも世界でも売れる曲)
  • 王道進行に則っていて、駄曲(世界では売れないが日本でだけ売れる曲)
  • 王道進行に則っていなくて、名曲(世界では売れるが日本では売れない曲)
  • 王道進行に則っていなくて、駄曲(日本でも世界でも売れない曲)

王道進行に則ってさえいれば売れる、ということで下らない曲を粗造乱造する日本の音楽業界の人間を批判しつつ、そのような下らない曲までも名曲と区別が付かずにありがたがって買い求める馬鹿な消費者をも、言外に批判しているわけだ。(買う馬鹿がいなきゃ、駄目な物が売れるわけがないからね。)

音楽の分野に限らずこういう話はよく出てくる(ユニクロとか)と思うけど、そういうのを見る度にいつも思うことがある。

この人のように音楽の専門家には「王道進行に則っていようがいまいが、本質的に名曲かどうかが分かる」のだろう。でも僕のように音楽の才能がない凡人には、「名曲であろうがあるまいが、王道進行に則っているかどうかしか分からない」んだよね。服に至っては、「流行に則っていようがいまいが、本質的にカッコイイかどうかが分かる」プロのファッション専門家や、「本質的に格好良かろうが悪かろうが、流行かどうかは分かる」一般人にすらも劣る、「本質的な良し悪しも流行かどうかすらも分からない」という有り様だ。

そういえば現代芸術というのは、いかにして価値観をひっくり返すかの優越感ゲームになっている、とどっかで言われているのを見た記憶がある。既製の便器に署名したり、演奏しないでピアノの前に4分半座ったりして、それを芸術と言い張った人達の話は知ってる人もそれなりにいるんじゃないだろうか。こういう人達の言う所の「一般人には違いが分からないだろうが、俺達には理解できる芸術性があるのだ。本質的にそれが名作かどうかが俺達には分かるのだ。」っていう話は、凡人の僕にはなかなか理解できない……真の意味を知ることができないのはもちろんのこと、概要すらも分からない。

僕が僕の耳で聞いて「いいな」と思った曲が音楽の専門家から「王道進行に則っていること以外に何もいい所がないクズ」と言われ、同時に、専門家が「これは名作だ」と褒めそやしている物と「クズ」との違いが僕には分からない。「いいな」と思った曲の中に、専門家が良いと言う物と悪いと言う物とが混在している。

彼ら専門家が物を選ぶ時と同じ基準で僕は物を選べていない。彼ら専門家が見ている所とは違う所しか見ないで物を選んでいる。権威たる彼ら専門家が「そこを見て物を選ぶべき」と言っているポイントで判断することができなくて、彼らが「そこで選ぶべきでない」と言っているポイントでしか物を判断できない。自分の素直な判断を信じると非難され、馬鹿にされる。

なのにその一方で、「人の言うことを気にせず自分の素直な判断を信じればいい」と、その専門家の人は言うのですよ。うん、たしかにあんたはあんたの「素直な感性」に従って物を選べば難なく「正解」できるんだろうよ。でもね、僕のような人間が自分の「素直な感性」に従って物を選んだら、「失敗」してしまうんだよ。あんたの言うことに従って行動したら、あんたに「ダメ」って言われるんだよ。訳わかんない。学習される無気力、って言葉をあんたは知ってるかい?

という風に事あるごとに考えるので、僕はその度に、何とも言えないイライラを感じる。

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