May 06, 2009

励ましのコメント、同情のコメントなど

  • 苦しんでたり辛い思いをしてたりする人が身の回り(いわゆる半径1クリック)にいる。
  • その人たちはそれをブログや日記で訴えている。
  • そこにコメント欄が付いている。
  • 見ていていたたまれない気持ちになった。

という時に自分が取るべき行動で悩む。

「他人にゴチャゴチャ心配されたくない」という人であるケースを考えたら、その場合は何もしないのがベストだけど……辛いという事をわざわざ表明しているのならそれは救いを欲しているというサインだろう、と僕は妄想する。本当にその手の心配馴れ合いコメント的な反応が嫌いでたまらない人だったらそもそもそういう事を表に出さないように学習しているだろう、と僕は偏見で決めつける

  • 「頑張れ」系のコメントを付けるという選択肢は無い。やはり「本人が一番頑張ってるのにそれ以上何を頑張れというんだ? しかも、頑張ってもいない人間が、どの口でそれを?」という風に真っ先に思う。
  • でもそれ以外の事でも、コメントしたらそれは傍目には「馴れ合い」にしか見えないだろう。僕よりもその人と親しい人が、僕が書いた馴れ合いコメントを見たら、「なんだこの馴れ馴れしいキモい奴は」と思うに違いないと思う。特に僕より人気者の人であった場合にはそのような事になるケースが多くなるような気がする。
  • そもそも、僕なんかが励ましなり慰めなりのコメントをするまでもなく、他の人が既にそうしてるに違いないとも思う。ほとんどの人は僕より人気者で、僕よりは人に想われてると思う。コメントが付いてないとしても、公開のコメントで伝えられていないだけで、直接のメールなりメッセージなり電話なり会って話すなりの方法で既に沢山の人から励ましなり慰めなりを受けているに違いないと思う。そんな中で公開コメントでノコノコと励ましなり慰めなりのコメントを書いても、ただ滑稽なだけだ。

でも上記の「心配」は結局は相手のためではなく、自分自身のための物でしかない。本当に相手のためを思っているのであれば、自分がどれだけ他人から滑稽に思われようとも、相手のためになるようにだけ考えて行動しないといけないだろうし、強制されるまでもなく自然とそういう行動を取るものだろう。その場合の懸念は、鬱の人に「頑張れ」と言うような、タブーを犯していないかどうかだけであろう。

コメントで伝えるべきか、直接の連絡手段を使うべきか。1対1の通信手段で手間のかかるものである方が真心がこもっているという偏見があるから、できれば 会って話す>電話>メール>コメント という風な順位のうちなるべく高い手段を選びたい。でも過剰に真心を込めすぎるとそれはそれでストレスを与えそうだとも僕は勝手に思う。ただのネットの知り合いに、twitterで「風邪ひき中」と書いただけで自宅まで押しかけられて炊事洗濯全部やられたら、それはホラーだ。それに、家族なり恋人なり、その人にとって僕より近い存在である人よりも「出過ぎた真似」をすると、相手にとってもその家族なり恋人なりにとっても迷惑でしかないだろう、と僕は妄想する。

そういうわけで、1人にはメッセージを送り、1人にはコメントし、1人には何もせずスルーした。どうするのが僕の立場では「正解」だったのだろう。誰か教えて欲しい。

自分の場合はどうか。自分の場合はとにかく「そう思ってるのはお前だけじゃないんだよ」「その辛さは嘘じゃないよ、自分にも分かるよ」と言って貰いたい。自分が「辛さ」と思っている感情が本当に「辛さ」と呼んでいい物であると保証されたい。「そんなの辛さのうちに入らない」「そんなのただの『辛いフリ』でしかない」と言われないための裏付けが欲しい。

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