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デスマーチテックキャンプをきっかけにしてモヤモヤと考えた事 - Jun 18, 2014

この「デスマーチテックキャンプ」という闇を生み出した背景が

これか……

うさんくささ

記事を紹介している記事やブックマークコメントで、この人の事を「山師」と評している人を見かけた。山師。辞書的には投機的事業をする人の事で、転じて、詐欺師の事を指す言葉だという。そこまで強烈な断定ではないにせよ、「うさんくさい人」というニュアンスを込めてその言葉を選んだのだろうなあ、とは思う。

これを見ていて、なんとなく、ある友人を想起してしまった。そういえばその友人も、「うさんくさい」と冗談まじりに評されるような所はあった。僕はその友人を今非難するつもりではなく、単に、ふと想起させられたというだけなんだけど、何がそう感じさせたのかは、うまく言語化できていない。

  • 「部外者・異質な存在であるところの自分だからこそ、その固定観念をぶち壊して革新できるのだ!」と突っ走っているのを、エンジニアとか技術とかをより多く知っているであろう周りの人達が「それは筋が悪くて駄目だ」って言ってる、っていう構図、なのだろうか?
  • その人自身はきっと悪意からではなく善意でやっているつもりなのだろうけれども、やり方であったり結果であったりが残念な事になってしまっている、という構図の方、なのかもしれない。
  • もっと一般的に言って、問題の当事者でない人が、当事者はきっとこういう事で困っているはずだ、とか、当事者はきっとこうなっていると嬉しいはずだ、とか、(見当違いの)仮定・断定をしてしまっている、という事についてなのかもしれない。
  • それが個人の枠内で収まっていなくて、イベントの主催であるとか、会社を興すであるとか、他の人を巻き込んでいる、という事についてなのかもしれない。

……と、色々挙げてみたけど、一言では上手く言い表せずにいる。

技術的に、筋がいいか悪いか

っていうか僕自身、僕よりも多くのことを知っている人から「それは(技術的に)筋が悪い」と言われるようなことを、素人の浅知恵でよくやっているようなので、そういう意味では全然他人事ではないとも思うんだけど。

「権威と化した先人の言うことに唯々諾々と従っていては、その縮小再生産しかできない。けれども、闇雲に既存のものを否定しても、それは、既に誰かが試して、駄目だったと諦めた道かもしれない。とは言っても、先人が諦めたのにはその時なりの理由があって、今では状況が変わっていて、今こそ挑戦すべき時なのかもしれない。でもでも、まだ時期尚早かもしれない。」……こういう鶏と卵な話って、世の中にはありふれてる。ダイナブック構想だとか、ハンドヘルドPCだとか、ウェアラブルがどうとか、湧いて出てくる度に訳知り顔の古参が「また出てきたよ……あれはもう何年も前にだれそれが通って失敗した道なのに。あんなのオタクのオモチャでしかない。」って辟易して、事実その通り失敗して消えて、また湧いて出てきて、そんな繰り返しの末にiPhoneが大流行するわ僕はいまAndroidなスマホをガンガン使っているわしてるし、世の中の人達はGoogle Mapsや!Ajaxや!HTML5や!って「再発見」して今Office 365で十数年ぶりにOutlook Web Accessを使っているし、何年かに一回は電子書籍元年がやって来ている。

そういう事例を知ると、何か「うさんくさげなもの」に出会った時に自分自身が直感的に「うっ、これはあかんやつや」と思ったとしても、自分の嗅覚の方が、「筋の良し悪し」を見分ける自分の目の方が間違っているのかもしれない、と思えてきてしまう。

それで、このデスマーチテックキャンプの人がほんとに「否定されるべき駄目な事例」なのかどうかまで、僕には分からなくなってきてしまうんだよね。 色々なことに、特に人の感情とか機微とかに鈍感な僕だから分からないだけで、普通の感性を持った人には、本能と言っていいようなレベルで分かる事なのかもしれないんだけど。

フェアネス

「筋がいいか悪いか」とはまた別の言葉として、「フェアネス」がキーワードになるのかもしれない。 フェアネス、辞書的には公正さのことで、多分合法とかそういう事だと思うんだけど、僕は個人的には、もっと一般的に「人の権利を侵害しない」とか「人に迷惑をかけない」のようなニュアンスを持って捉えている気がして、まあともかく、そこら辺の概念。

「YouTubeはグレーゾーンに踏み込んだから他者を出し抜けた。我々もあんな感じで、現行法ではグレーや黒でも他に一歩先んじたサービスを作ろう!」といった見方は、フェアネスを軽視しているように思う。

これをキーワードにすると、パッと思いつく別の事例がいくつかある。

僕の中では、このあたりの人々は同じカテゴリーと認識していて、今回のデスマーチテックキャンプの人もなんとなくそのカテゴリーっぽいという印象は持っている。 (とかなんとか言ってる自分自身も結構不義理をしているので、僕の事を「フェアネスに欠けている」「うさんくさい」「信用するに値しない」と思っている人もいるのだろうけど……)

リスペクト、尊敬、尊重

あるいは、「自分が理解できない物」に対する態度なのかもしれない。

一般的に言って、自分が理解できない物を、自分が理解できる尺度に無理矢理当てはめて評価しようとするというのは、礼を失した行為であると思う。 「ようわからんけど、要するに、こういうことなんやろ! オッケーオッケー!!」と乱暴に切り刻んで、分かったフリをする(本人はそれで分かった気になっているので、フリではないんだと思うけど)と、大事な物が抜け落ちてしまう。 それをよしとするのは、その対象を軽視している事に他ならない。

自分が理解できない物を、自分には理解できないと認めて、自分が持っている尺度では計れないという事実を受け入れて、その上で、それでもなおそれには価値があるのだという事を認め、尊重し、敬意を払って、どうやって共存していくかを考える必要がある。

……っていうのは、僕とは異なる趣味・嗜好・価値観・考え方・バックボーンを持っている妻との共同生活を送る中で、僕自身もここ数年ようやっと意識するようになった事なんだけど。

それまでも、そして今も、自分自身がそういう決めつけやあてはめをやってしまう方ではあるので、やはり他人をことさら断罪できるわけではないんだけど、自分が理解できない物や考え方に対する敬意の払い方というのも、自分がその人にコミットするかどうかを考える際の1つの判断基準になるんじゃないかなあ、と思う。

結論として

色々な判断材料に基づいて、「うさんくさい」に留まらず、明確に批判・否定する人もいる。

このデスマーチテックキャンプの人が、ただのうさんくさい人なのか、それとも革新をもたらす人なのか。残念ながら僕はまだ分からないでいる。 自分の観測範囲で多くの人が「危険な香り」とか「嫌な予感」とか散々アラートを発しているのだけれども、優柔不断でフワフワしている僕は、そこまでの断定ができずにいる。

まあ、でもとりあえず、「自分とこの人の行く道は違うのだな」という事だけは分かる。

(この「行く道が違う」っていう表現、ガンダムUCでミネバがリディをフッた時のセリフ由来なんだけど、色々便利な言葉だなあって思う。「お前は間違ってる!!」と断定できないけど同意もできない時に、今後も使いそう。)

全力でこの人の言う事に乗っかりたいとか、協力したいとか、そういう風にはどこか思い切れない、一線を引いたおつきあいまでに留めておきたい感じというか。 彼が成功者になった暁には羨むかもしれないけど、でも、袂を別った事は後悔しないだろう感じというか。

ともかくそんな感じで、自分はつくづく保守的で優柔不断な人間なのだなあ、という事を意識させられた出来事なのでした。


たらたら書いた後でデスマーチテックキャンプの運営会社の評判を見てみたら、ログインして無くても見える冒頭切り出しの部分だけでもかなり壮観な眺めで、「うっ、これはどう見てもあかんやつや……」と思った。(綺麗なオチ)

分類:出来事・雑感, , , 時刻:12:16 | Comments/Trackbacks (0) | Edit

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