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萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! シス管系女子って何!? - 「シス管系女子」特設サイト

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シン・エヴァンゲリオン劇場版(ネタバレ感想) - Mar 09, 2021

以下、ネタバレ感想です。未視聴の方は読まないことを強く強くお勧めします。

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言葉が通じない同士で対話するのが面白い「ヘテロゲニア リンギスティコ」、言葉は通じるのに対話ができないのが辛い「魚頭さんと袋さん」 - Oct 31, 2019

最近ニコニコ静画の通知で流れてきた漫画、当初はよくある異世界物かぁ~と思ってあまり食指が動かなかったんだけど、なんとなく読んでみた。そしたら謎の感動を覚えて、それどころか泣きたいような気持ちになってしまって、既刊の電子書籍も全部ぽちって、さらにその気持ちが強まるという体験をした。べつに「泣ける話」ではないはずなんだけど、泣けてくる。何故なのか。

その漫画のタイトルは「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」(作:瀬野反人)。現代人で言語学者のハカバ君(劇中ではもっぱら「センセイ」と呼ばれる)が、師事する教授の代理として「魔界」に赴いて現地でフィールドワークをする中で遭遇する、様々な出来事を描く作品だ。内容やテーマが似た作品としては、

などが該当するだろうか。

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辻褄はどこへ行った……?「君のまなざし」 - Jun 05, 2017

仏陀再誕 The REBIRTH of BUDDHA神秘の法に続く、幸福の科学制作の映画のチケットを譲って頂いたので見てきました感想です。

  • 朝飛の演技が冒頭から大根で「大丈夫かこれ……?」って思った。
  • ペンションで料理の後片付けをしつつ普通に会話してると思ったら急に真顔になって意味深なセリフを喋るのは、ギャグなのか?
  • 幽霊に「とりあえず下に降りましょ」って普通に話しかける流れも、その後の食道で幽霊交えて3人で会話してる絵面も、ギャグなのか?(映画見ながら笑っちゃった)
  • お堂?の前でオーナーと口論になる所、キレさせ方もキレ方も雑すぎない?
  • 西洋の神様、ブッダ、また西洋の神様、と入れ替わり立ち替わりでてくるの節操ないなあ(って書いてて思い出したけど、前の映画での話によると確か幸福の科学の教えではキリストとかもみんなブッダの生まれ変わりという説なんだっけ……それにしても連続で出てくるのはビジュアルとして強烈だ)
  • 手からビーム出して浄霊するの、唐突かつそこだけ浮いててこれもギャグっぽく見える。
  • 過去生のとこは「AIR」の「Summer編」みたいなのかなと思ってたら、設定も展開もガバガバすぎて……なんで君らそんなきれいなおべべ着て貧民街に出入りしとるん?
  • 地下に降りた所で何の説明も無く唐突に巫女さんの霊?的な人が出てきて「えっ」てなった。
  • 「ここまで全部夢(?)の中の出来事でした」というまとめ方なのかと思ったら最後に朝飛と抱き合ってて、歴史改変されたけど部分的に記憶は持ち越されてる的な事なの? え? どゆこと? ってなってしまった。

総じて、実写にすることで違和感が引き立つというか粗が目立つというか、一線を張ってるプロの脚本家や声優や俳優ってやっぱすごいんだなあという事を逆説的に感じる結果となった次第でした。

宗教本体の教義がアップデートされるわけでは当然ないので、教義の説明部分は回数を重ねれば重ねるほど「あ、また同じ事を言ってるな」となっちゃうのは致し方ないんだけど、それにしても、以前に見た映画と同様に「言いたい事を言う」が優先されていて「伝わるように言う」がなおざりにされてるなあと思った。

例えば「メッセージ」(テッド・チャン「あなたの人生の物語」が原作の物)は「悲劇的な未来が既に決定されていても、それでも人はその選択をする、ということの尊さ」をストーリー内に織り込んでたし、「オデッセイ」(アンディ・ウィアー「火星の人」が原作の物)は「折れないこと、諦めないこと、ユーモアを忘れないこと、の大切さ」を主役の演技から演出からすべてを投じて描いてたし、「LEGOムービー」は「自由な発想を忘れないことの大事さ」を語りつつも「お堅いルールに自由な発想で立ち向かった主人公達が、さらに次元の違う自由さを目の当たりにする」という落とし方をしてたし。上手くやるやりようはいくらでもあると思うんですよ。

例えば、「地獄に堕ちる」とかの恐怖を語るんだったら徹底的にホラーに振り切って救いも何も無しに終わらせるとか。

例えば、修行の大切さを語るんだったら修行そのものにテーマを置くしんみりした作品にするとか。

例えば、退魔的なところにフォーカスを当てるんだったらエクソシストみたいなエンターテインメントに振り切るとか。

全部語ろうとするからシッチャカメッチャカになるんであって、1作で全部語ろうとしないで、それぞれ分けてちゃんと掘り下げなきゃ。

こっちの言いたい事を全部言いたいだけまくし立てても相手が聞いてくれるのは、相手が最初から好意を持ってくれている場合だけなんだよね。そう考えると、これはやっぱりまだまだ「身内」向けの物で、「外」に出す性質ものではないんだと思う。

トレイラー見てちょっと面白そうかなって思ってチケット譲ってもらったんだけど、実際見てみたら、見せ場だけ繋いで面白そうに見せるトレイラー編集の妙というか、あれはあれで大した技術だよねと再認識したというか……市井のレビューを見ても「宗教映画と知らずに見に行った。(僕の挙げてるようなツッコミの後)お金損した。」みたいに後悔してる物すらあって、なんというか、いたたまれない。身内向けなら身内向けと分かるように振り切る、外向けなら外向けでもっと外の人が見ても面白く作る、どっちつかずが一番罪作りだというのを実感する。単に不出来ならまだ仕方ないけど、「普通のセミナーを装ってて、誘われて行ってみたら宗教だった」みたいな狙ってやってるんなら、騙すのは駄目ですほんと。

対象視聴者でないにも関わらず「見たい」って言ってチケット譲って貰っておきながら(あまりに本編だけでは訳がわからなかったので補足情報を求めてパンフレットは買いました)、批評とも言えないようなくさすばかりの感想を公開するのって道義的にどうなん?というのはあると思うんですが、貰うだけ貰って何も言及しない方が問題かなと思って書いてみました。

BLAME!の映画を見た後で原作を読み返したらもっと映像見たくなった - Jun 05, 2017

NETFLIXで映像化されたやつを映画館で見てきた。「すげえええ~~これまさに『俺の見たかったBLAME!のアニメ』やああ~~」って大興奮だったんだけど、帰宅後原作を読み返したら意外と色々違ってた。「シドニアの騎士を経た後の弐瓶勉」感もミックスされて色々アップデートされたBLAME!と言った方が適切なようだ。パンフレットは売り切れで買えなかったので、以下パンフレットに書いてある話と違う的外れなこと言ってたらごめんなさい。

  • CG WORLDのインタビューでも触れられてたけど、づるがめっちゃ美少女になってて別人過ぎる。
  • あのシャキサク、こうやって食べる物だったの!? しかもうまいの!?! っていうか原作みたいに生(?)で食べたら死ぬ……?
  • 霧亥がアニメで着てたのは原作終盤の衣装で、原作序盤はもっとあっさりした服だった。あの服でこの映像の中にいたら結構ギャグっぽく見えたかもしれない。
  • 種族の違いによる体格差、は今回は省略されてたように感じた。原作だと電基漁師達は大人でも霧亥より小柄だったけど、映像ではそこまで露骨な差は無かったような……?
  • シボは原作では有機的なボディという設定だったのか発見時の腐った体も修復後の体も生身の人間っぽくて「えっ? えっ? なんでこの人腐ってるのに喋ってるの??」って思ってたんだけど、アニメでははっきりメカな描写になっててだいぶ「分かりやすい」表現になってるなあと思った。
  • 偽装端末遺伝子(だっけ?)とか自動工場とか、原作よりスマートで硬質なビジュアルにデザインが変更されててそこも見やすいと思った。工場の新しいビジュアルは、原作終盤にちょろっと出てきた別の施設のデザインの流用か?
  • 珪素生物や東亞重工は出番無し。入れると情報量増えすぎだからこれは妥当だと思う。
  • 工場脱出時にシボが霧亥に「ごめんなさいね」か「残念だったわね」か何か言ってたと思うんだけどあれどういう意味だったんだろう?

総じて、原作のぐにょぐにょした有機的イメージは抑えめで、メカはメカと分かりやすい描かれ方に統一されてるなあと思った。これはCG作画だからという制約による部分もあるのかもだけど。

とりあえず、この1作だけじゃなくもっといろんなエピソードをこのクオリティの映像で見せて頂きたい、そしてそれに浸りたい、なんならVRでこの超構造体に挟まれた階層都市内での生活を体験したい(絶対後悔するけど)、という「もっとこれくれぇぇぇええ!!」感を覚えた次第でした。

アニメ制作の現場を通して仕事というものを描く「SHIROBAKO」 - May 03, 2015

アニメ制作スタジオの日常を描くアニメ、というメタな作品のSHIROBAKO。最初は「え、何? ネタの自主制作アニメ企画か何か?」って認識してたり、主人公達のキャラクターデザインがいまいち好みから外れてたというのもあって、放送時は完全スルーだったんだけど、評判がやたらいいので、ニコニコ動画の公式で無料で見れる1話目を見てみた。そしたら結構印象が良かったので、諸々片付いて時間ができた段階で残りの全話も一気見した。

結論から言うと、ちゃんと物語してて面白かった。仕事論とか社会人としてとかそういう意味で新人の人達に見てもらいたい、と言う人がいるのも分かる(どっちかというと、連絡をちゃんとしないとか、後工程に迷惑をかける人とか、そういう反面教師がたくさん出てきてて「ああ、こういう事をするとスケジュールが破綻するんだなあ……」と思わされる場面の方が多い)んだけど、僕はただただ単純に主人公達5人の成長物語として面白いと思った。

高校時代に1つのアニメを作ったかつての仲間達5人が、いつか再集合することを誓いながら、巣立った後それぞれの現場で一人前になろうと足掻いていて、1人また1人と少しずつ自分の夢に近づいていく中で、1人だけがその中で出遅れてしまう。それぞれバラバラに闘っていた彼女らだけれども、終盤、1つの共通の仕事に各分野のプロとして関わることになっていく、それでもまだ1人だけ出遅れたまま。でも最後の最後に、その1人も思わぬ形での合流を果たす。成長と成功の物語として見事にまとまっていて、2クール分かけてやるだけの事はあったなと思えた。

アニメ制作の現場を描いた作品というと、自分が過去に見かけたことがあるのは動画・原画などの絵描きの人達がメインだった「アニメがお仕事!」と、あとは声優が主人公クラスの作品がいくつかあったかなあというくらいで、「制作進行」という役割の人は口うるさいマネージャーとかそんなくらいのちょい役扱いだったような気がする。やっぱり普通に考えて、抜群に絵が上手い人とか、抜群に演技が上手い人とか、そういう感じで、スター性のある強いキャラクターの方が主役にしやすいんだろうと思う。

今作はその「制作進行」のチームに属する人が主人公で、最初は、なんでまたそんな地味な立ち位置の人を?と思ってしまった。でも考えてみたら、アニメ制作の現場全体を俯瞰しようと思ったら、絵を描く人や演技する人みたいな「そのセクションの中でやってる人」よりは、全体の調整役として動いてる人の視点の方が適してるんだろうな。スター選手ではないし、絵も描いてなければ演じてもいない、音楽もシナリオも作らないけれども、確かに彼女は「アニメを作ってる」人だ。むしろ、そういう各セクションの「絵を描く人」みたいな余計な属性が付かないから、制作進行という立場の彼女こそが主人公に相応しいのかもしれない。

アニメが好きで、アニメ誌とか見てて、あの作品にはこんな人が関わってるんだ、みたいな感じでちょっと制作側のことも垣間見ていて……という人は、大いに楽しめると思う。有名な作品やアニメ関係者のパロディがたくさん出てくるし。

IT関係やってるなら見とかなあかんやろ「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」 - May 02, 2015

イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密、やっと見た。

コンピュータの歴史をかじったことがある人なら知らない人はいないだろうと思われる超有名人の、現代コンピュータの礎を築いた1人であるアラン・チューリング(チューリングテスト、チューリングマシン、チューリング完全、といった言葉に今でも名前が残ってる)。エニグマ暗号の解読に関わったものの、晩年は同性愛の嫌疑をかけられて、最終的に自殺した、という程度の事は知ってたんだけど、この映画を見て初めて知った事もたくさんあった。

  • アスペルガー症候群だったらしい。
  • 嫌疑だけじゃなくて、実際に同性愛者だった。
  • でも、女性と婚約もしてた。
  • 少年時代に親友にして初恋の相手がいたが、死別した。
  • 天才数学者でありつつ、アスリートでもあった。
  • 戦時中の業績は国家機密として50年も秘密にされていた。

婚約者になった女性(ジョーン)が参加した経緯とか、脚色の部分も色々あるそうなんだけど、パンフレットを見ると上記の点は全部実話だとのことで、驚くほかない。

チューリングといえば計算機科学、みたいな連想をする人間からすると物足りないくらいにそういう部分の描写や説明は控えめで、メインはあくまで、上記のような特異な人物であったアラン・チューリングその人と周囲の人達の人間ドラマや政治ドラマという感じだった。とはいえ、それは全然正しい判断だし、アラン・チューリングという人の人生のハイライトをドラマティックに描いてるし、1つのストーリーとして綺麗にまとまっていて良かったと思う。IT系じゃない人でも全然面白く見れる。

その時代の常識から外れた「変な人」であったチューリングやジョーンが社会の中でどう扱われるのか、同性愛者として生まれてしまったチューリングが世間からどう扱われるのか、という所の描写もすごく考えさせられた。世の「普通」から外れる事が一体どういう罪だというのか。少なからず世の中のメインストリームから外れた所で生きている自覚があり、メインストリームに完全に合わせては生きられないとも思っている自分としては、他人事に思えず結構感情移入してしまった。

脚色はあるにせよ歴史的な事実の要点を知る事はできるし、それだけでなく、マイノリティの生き辛さを生々しく感じられたり、そういうのをなくしていかなきゃいけないという思いを新たにできたりするし、何より、一人の人の悲しく切ない人生の物語として、大いに見る価値のある映画だと思う。

予想の範囲内に収まってしまった感がある「楽園追放」 - Jan 04, 2015

年が明けてから、ベイマックスを見た次の日(1日で2本ハシゴするのはちょっと体力的に不安があったんです……)に楽園追放も見ました。

事前に仕入れていた情報では、フル3DCGの映画(いわゆる3D映画ではなく、人が人物を手描きしないトゥーンレンダリングのアニメという意味の)で、SFで、主人公のアンジェラの声が釘宮理恵で、3DCGによる生尻描写に妙に力が入っていて素晴らしいらしい、と。なんやそれ。

ほんで感想なんですけど、そこそこ面白かったです。でも突き抜けた感じの印象はなかった。「まあまあ、かな?」ほんとこれ。

いや、決して悪い出来ではないと思うんですよ。むしろよくできたアニメ。でも、期待していたほどの「今まで見た事の無かったすんげえ物を見ちまった」感が無かったっていうか。想定の範囲内に収まってしまったなあ感というか。「そうそう、俺が見たかったのはこれだったんだよ!」を外していたというか。

これは多分、見たタイミングも悪かった。手放しに大絶賛できたベイマックスの直後だったので、どうしても比べてしまって……(莫大なコストのかかった映像と比較して、っていう事だけじゃなく、ディズニーフォーマットの鉄板のシナリオと比べて、っていう意味で) あと、見たっていう人の評判が非常に良かったので期待しすぎたってのもありそう。

まあなんだかんだ言いつつ、限定版のブルーレイ注文したくらいには気に入ってるんですけどね。

どこかで見たなあ……なネタ大集合

思いつくだけでもざっと挙げてみると……

  • 砂の惑星(本作では地球)を這い回る大量のサンドワーム→トライガンとか
  • データ化された人類→ゼーガペイン順列都市ディアスポラとか
  • データ化された人類とそうじゃない人類との対立、アバターとしての体を使ったコミュニケーション→これもディアスポラにあった
  • バイクスタイルで乗るメカ→ゼーガペインコードギアスとか
  • 人類に忘れ去られてもなお頑張る健気な人工知能→HOTELの支配人とか
  • 人と同じように思い悩み、人類の歴史の記憶を持つのであれば、人工知能でも「人類の末裔」を名乗っていいんじゃないか→HOTELの支配人、A.I.のデイビッドとか
  • 数々の妨害を乗り越えて、俺達はロケットを飛ばすんだ!→王立宇宙軍 オネアミスの翼とか

などなど、類例は多いんですよね。いや、別にこれらの特定の作品が参考にされたということではなく、これらの作品もまた他のルーツからの引用だったり孫引きだったりするのかもしれなくて、ともかく、今ではむしろ陳腐化してしまったと言えるようなネタだということで。

無論、「ありがちネタ」ばっかりの作品でも、思わず大絶賛したくなったような物はたくさんある。なのに、僕にとっての「楽園追放」は、なぜそうではなかったのか。そこが問題で。

多分、個々のガジェットや設定が「どっかで見たなあ」だったから、じゃあなくて、全体的に「どっかで見たなあ」ばかりに感じられてしまって、「楽園追放」で初めて見たと思えるものを見いだせなかったから、なんじゃないかと思う。「そうそう、俺が見たかったのはこれだったんだよ!」っていうのは、もっと詳しく言うと、「そうそう、俺はこれが見たかったんだけど誰も今までやってくれなかったんだよ! それをやってくれてありがとう! やっとこれで、今まで見たくても見れなかった物を見れたよ!」っていうことなんですよね。発想の転換なのか、予算が付いたのか、技術的ブレークスルーがあったのか、理由は何でもいいんですけど。

作品全体をまとめる一本通った筋というか、本質的なその作品ならではの何か(それがオリジナリティと言われる物なんだろう)があって、それを補強する材料として各種のガジェットや設定がある、という見方をした時に、補強材がどっかで見たようなものの寄せ集めでもそれは全然構わないと思うんですよ。その作品ならではの芯材があれば、「どっかで見たような要素」であっても「おおお、こういう見方ができるのか!」という新しい感動を生み出すから。でもそういう芯材が無い限り、「どっかで見たような要素」は「どっかで見たような要素」の域を出ない。

今まで、僕自身が好きだった作品に対して、他の人が「中身が無い」「空っぽだ」と評しているという場面が何度かあって、不思議に思ってたんですよね。「中身が無いだって? こんなに詰まってるじゃないか!」って。でも、今なら分かる。それはその作品を見る人の持つバックグラウンドによって生じる見え方の違いなんだ、と。古典や名作をたくさん見てきた人達が見た時に「この要素はアレと同じ、こっちの要素はアレと同じ。で、この作品ならではの物はどこにあるの?」と感じてしまう、というのを端的に言い表した言葉が、「中身が無い」という評価だったんだなあ、と。

僕自身そんなに熱心にたくさんSFを読んだり見たりしてる方ではないと思ってるし、映画だってそうしょっちゅう見てるわけでもない、漫画だって読んでる方ではあると思うけどその範囲はごく狭い、そんな視野の狭い僕ですら「あ、これはアレで見たやつだ」「これもアレで見たやつだ」と感じてしまった。それが、僕が本作を心の底から「面白かった!」と思うことができない理由なんじゃないかと思う。

設定だけじゃなく制作面でも、「ハイクオリティなトゥーンレンダリングで美少女キャラが電脳&物理バトル」というのは前年に蒼き鋼のアルペジオで散々見てしまったんですよね。あっちには生尻はほとんど出てこなかったけど。

もちろん、楽園追放の映像が僕の見たことのある既存のSFアニメに比べて高品質なのは間違いないです。お金も手間もかかってると思う。順当に進歩してる事を感じられる(アルペジオ見てなかったら、もっと感動してたかもしれない)。設定も、定番の設定を安直に使ってるわけじゃなく、この作品なりのひねりが加わってると思ったし。

でも残念ながら、僕が見たかったのは「前の作品に比べて良くなってるね。じゃあ前の作品に代わって暫定一位だね。本棚の一番いいところに置いておこう。次にもっと良くできた物が来たら、その位置は明け渡してもらうけどね。」っていう温度の物じゃなくて、「なんだこれ!! 前の作品とか他の作品とかどうでもええわ!! ようわからんけどこの作品単体が大好きになってもうたわ!! お気に入り作品の棚に突っ込んどくわ!!」っていう物だったんですね。ナンバーワンよりオンリーワンな魅力を求めてる。そういう意味で、本作はオンリーワンな物としてのパンチがちょっと弱かったと思うのです。

強いて言うなら「フル3DCGでここまでやれてる」っていうのがこの作品ならではのポイントでしょうか。だとしたら、仮にこれがフル3DCGじゃなかったら、僕は見てみようと思っただろうか。そこでYESって言えないかもしれないなあっていうのが、僕の率直な感想なんですよね。それに、それはあくまで「ナンバーワン」の方なので、いずれは追い越される運命にあるわけで。

ディンゴのキャラクター描写に漂うご都合感

見ていて人物達の個性が掴めないなあと感じてしまう箇所があったのも、僕の中で本作の評価がいまいち高まらない理由の1つな気がします。特にディンゴ。

  • 出会い頭のアンジェラを私欲のために利用するほどのしたたかで飄々としたキャラクターなのかと思えば、彼女の体調を気遣って作戦を変更しようとするほどの律儀さを見せたりもする。
  • 岩山に登ってサンドワームを狙撃していたくせに、高所恐怖症だと嘯いたりもする。
  • 敵を本当に出し抜くためには……とかなんとか言っておきながら、無策で敵の前に身を晒したりもする。

シナリオの都合がいいように、その場その場で言う事考える事がコロコロ変わってるというか、作者の操り人形にされてるというか、そんな感じが否めなかった。いや、本当に思ってる・考えてる事と行動が一致していない、嘘をついている、敢えてそういう人物像を演じているだけで実はそういう人物ではない、っていう演出なのかもしれないんだけど。そしてそういう演出であるという事を僕が読み取れてないだけなのかもしれないんだけど。

この感覚に近い物を最近味わったなあと思ったら、あれですよ、アナと雪の女王のハンス王子。あの唐突感。それまで誠実な王子様だったのに、シナリオの都合上悪役が必要になった途端に、豹変して悪人になるっていう。元々のシナリオではエルサが悪の魔女の役回りだったのが、「Let It Go」の歌があまりに良かったからってんでシナリオを変更して姉妹の愛の物語にすることになって(←ここまでの経緯は制作者のインタビューで公式に語られてたので事実なんだろう)、それで悪役不在になっちゃったから適当な人物を代わりに悪役にしちゃいました、みたいな感じ。

「何かを演じている人」を描写するのって基本的に、鬼門っていうか難題っていうか、チャレンジングな事だと思うんですよね。「あ、この人はほんとはこうは思ってないんだな」とか「あ、この人はこう思ってるんだな」みたいなのが視聴者に伝わってないと、シナリオライター的には仮面を外して正体を現しただけのつもりが、正体も仮面も何もないただの操り人形だという風に見えてしまう。「実は、何々でした」っていうのは、丁寧な伏線無しに安直に使うと痛い目を見る。

同じ虚淵脚本のまどマギでキュゥべえがそういう豹変を見せてたけど、あっちがそう不自然に感じられなかったのは、キュウべえが一見すると可愛らしいマスコットキャラ風でありながら、アニメーションの中では妙に無表情で不気味な存在として描かれていたから、豹変した時にも「やっぱりね」と自然に受け入れられたんじゃないかと思う。

……こうも立て続けにこんな感想を抱いてしまうと、逆にやっぱり僕の方が話や空気を読めてなさ過ぎるんじゃないか?って不安になってくる。こんなに金と手間がかかった作品で、僕ごときがこんな風に思ってしまうような程の大穴が、残ったままでリリースされるわけ無いんじゃないのか。実はハンスもディンゴもちゃんと「嘘をついてる」ことを臭わせる伏線が張られていて、僕がそれを見落としていただけなんじゃないか。誰にでも分かる明々白々な伏線を、僕が読み取れていなかっただけなんじゃないか。僕は自分で思っている以上に、読解力も注意力も無い人間なんじゃないのか。どうなんでしょうか、実際の所は。

後で見かけた情報によると、諸々の都合から本来やりたかった尺よりもだいぶ短い尺でやらざるを得なかったそうなので、僕が抱いたような違和感は、本来の尺があれば解消されていたのかもしれませんね。

板野サーカスとかメカ描写とか

人によっては「紛い物じゃないホンモノの板野サーカスや!」みたいなのもあるのかもしれないんだけど、正直、僕はこの種の映像表現については「他の人がやってるのでも十分格好良く見えるんだけどなあ」って思ってるので、あんまりそこは有り難がれなかった。行きすぎると、過去を美化しすぎて新しい物を認められない老人って事になっちゃうし。いや、本作のバトルが格好良かったし見応えあったのは間違いないんですけどね。

クライマックスで出てくる新型メカ、よく見るとディティールが違うのは分かるんだけど、基本的にずっと激しく動いてるからというのもあって、これはあんまり違いがよくわからなかった。話の内容(設定)的に、新型と旧型をビジュアルや性能ではっきり分けると変だよねってのはあるし、現実的で妥当なラインだとは思うんだけども。

細かい所だけど、新型で降下中のバトルでの、コクピットが無人なのにペダルとかだけ動いてるっていう描写、あれはとても好き。ゼーガペインで「実際はこうなんだよな」って思ってたのが、いい感じに映像化されてたと思った。コクピット内に仮想アンジェラを投影するという表現の仕方もあるだろうっていうか一昔前ならそう描写されてたかもなって思うんだけど、ここは敢えての無人描写で正解でしょう。肉体をただのアバターの一形態としか思ってないっていう、データ人類らしさがよく現れてると思った。

あと、絶体絶命のピンチに駆け付ける救援だったり、タイムリミットが迫る中で何分間だけ凌ぎきれっていうミッションだったりっていう状況自体、定番だけどやっぱ燃えますよね。あのいまいち外連味の無いアーハンがあれだけ格好良く見えるっていうのは、そういう状況があるからって部分もあると思う。

まとめ

これも誰かが言ってたと思うけど、「目新しい物は無いけど、無難によくできてて、そこそこ面白い。今の日本のアニメの技術力を表したマイルストーンとして価値がある。」っていうのが、今の所は僕の中でもしっくりくる落とし所ですね。蒼き鋼のアルペジオの視聴動機と同じで、マイルストーンを見るために映画館に行こうと思った、っていうのはやっぱりありますから。その意味では、ちゃんと良い物見れたなあって思ってます。

それに、ただの技術デモンストレーションのプロモーション映像ではなく、キャラクター達はキャラクターとして作画的にも演技的にも魅力的に成立しているし(「アンジェラの尻」ってのはそれを端的に言い表してる)、テーマ性もストーリーも演出もちゃんとあって、普通に映画として見れる、そういうラインはちゃんと満たしてる。昔の「DoGA CGAコンテスト」で見られたような、ロボットものパロディを「CGでやりました」っていう事こそがその作品の価値で、キャラクターがカクカクしてるとかデザインがダサイとかシナリオが無いに等しいとかそういう点にはどうか目を瞑ってください、みたいなのとはもう全然違う。そうでなきゃ、キャラ描写がどうとかシナリオがどうとか僕も言いませんもの。

冒頭にも書いたけど、ベイマックス直後の鑑賞での感想ということで、それに引きずられて冷静に見れてない部分はありそうなので、ディスク届いて再視聴したらまた何か書くかもしれません。

万人が楽しめるであろうハートフルヒーローアニメ「ベイマックス」 - Jan 04, 2015

最初はあんまり興味なかったんですよ、ベイマックス。少年とロボットの心の触れ合い的な、いわゆる普通のハートフルアニメなんだろうなと思ってたから。WALL-Eもまだ見てないし、これもそのうち見る機会もあろう……くらいの感じで。

でも、たまたま行った銀座三越でベイマックス展みたいなのやってて、そこに実物大?ベイマックスの風船人形もあったんだけど、それよりもグッズ販売にあったオモチャのアーマーアップ・ベイマックス見て「え、何このオレンジのやつ。ベイマックスのライバルか何か?」と思って、検索したら元々ベイマックスの原作がマーベルヒーローの「Big Hero 6」というやつだということを初めて知って、「え、ディズニーでマーベルヒーロー!? どうなってんの?!」と、俄然興味が湧いてきまして。

年末が多忙すぎて見に行けなかったんだけど、年が明けてからやっと見に行きました。3D吹き替え。

で、感想なんですが、いやー、掛け値なしにとても面白かったです。「万人が楽しめるハートフルヒーローアニメ」って感じ? マーベルヒーローから暴力描写を抜いて可愛らしさをミックスするとああなるのか。ほんと安心して見てられる。ブルーレイ出たら買うんじゃないかな。

子供とその面倒を見るロボが事件を解決というフォーマット自体はよくある話の作り方だし(ドラえもんとか)、そのフォーマットの上で展開されるのはこれまた定番の「力を手に入れる→誤った選択をする→状況が悪化する→正しい選択をする→問題が解決する」っていうハリウッド映画の黄金パターン(自分がぱっと思いつくやつだと、アメイジングじゃないスパイダーマンの「スパイダーパワーを手に入れる→調子こいてたら悪漢におじさんを殺される→正義に目覚める」って話の流れはまさにこれ)。そこに色々なフレーバーを足して定番中のド定番を丁寧に作った良作。横綱相撲っていう評価は非常に的確な表現だと思います。

ケアロボット・ベイマックス

何をおいてもまずとにかく、ベイマックスが卑怯な程にカワイイ。歩く度にきゅむきゅむ音が鳴る(ラピュタの園丁ロボットみたいにわざわざ鳴らしてるんじゃなくて、風船ボディだから音が出るという描写)とか、優しい声だとか、真面目で言う事は杓子定規なんだけどそれでもヒロの言う事には逆らえず、ヒロの事をあの手この手でケアしようとする所とか。お尻が邪魔で本棚を崩してしまったり、空気漏れを自分でセロハンテープで塞いだり、パンチもキックもプニプニでまるで効果が無かったり、アーマーアップした後でも町の上空の機械の上で座ってる時に脚をゆらゆらさせたり、仕草もいちいちカワイイ。

しかし、ただのカワイイだけのキャラでもないんですよね。感情表現は限りなく薄くて、基本的には人をケアするというプログラムに忠実なだけだから、ケアプログラムを抜かれると途端に無慈悲な戦闘マシンに変わってしまう。その辺が、日本のロボット感と西洋のロボット感の差なのかもしれない。でも、ポータルを前に立ち止まる様子や脱出のシークエンス等は、まるでパーソナリティを持っているかのようにすら見えて、それがまたドラマチックさを強調してる気がする。受け手がそこに勝手に感情を見出してしまうというか。

そういえば、劇中では「あなたの健康を守ります」としか言ってないじゃないか、CMの「心とカラダを守ります」ってのは感動系映画に見せようとした恣意的な訳だ、なんて声もよく見かけました。確かに劇中のなんてことのない一言を大げさに切り取りすぎとは言えるかもだけど、これは案外「ケア」ってことの本質を突いてる切り取り方だと思うんですよね。ケアされる方も、常に悪態つかれてたり嫌そうな顔されてたりしたら嫌じゃないすか。それはいいケアの仕方ではないですよね。ベイマックスは見た目も喋りも動きも全て、人に警戒心や不信感を持たせないように設計されている。パンフレットには「実際の介護分野のロボットを参考にした」的な事が書かれてたし。ディズニー侮れない。

ヒロ

そんなベイマックスは、主役の片割れではあるんだけど、ヒロの現状を映し出す鏡でもあるんですよね。ヒロが未熟な間は未熟な振る舞いを見せるし、ヒロが怒りに駆られた時は無慈悲な破壊マシーンになるし、ヒロが成長したら彼の背中を押す親のようになる。そういう意味で主人公はやはり、ヒロなんですよね。

第一印象はちょっと傲慢な少年なんだけど、自分の知らなかった物や事に触れた時にちゃんと受け入れる素直さもある、聡明なキャラクターとして描かれている。安直な天才少年キャラだと、自分の計算結果を過信して頑迷なイメージがある(そして、その頑迷さを打ち砕く事だけで1つのエピソードになりうる)と思うんだけど、ヒロはそうじゃないという所に、僕はより聡明さを感じさせられました。

科学者達

でもヒロがそういうキャラクターに見えるのは、彼の周りにいる仲間達もまた同様に聡明な人達だからこそなのかもしれない。ヒーロー戦隊の他のみんなは同じ研究室のメンバーでそれぞれが得意分野を持つ科学者だし。フレッドも、本人は知識がないにせよ科学は好きで、分からない物を分からないと認めはするけど軽んじはしない。それってかなり「できた」人の振る舞いだと思うんですよね。

そう、この作品では全編通して、科学者に対するリスペクトが溢れてる感じがあるんですよね。いや、まあリスペクトに溢れてるってのは言い過ぎかも知れないんだけど、でも少なくとも、よくある典型的な「頭はいいけど実戦ではからっきし駄目」「知識はあるし頭の回転も速いけど傲慢」みたいな描かれ方はされてない。一人の天才科学者が人格的にも高潔で……っていうのでもなくて、(優秀な学生達というフィルタリングはなされているにせよ、)普通に科学の徒をやってる人達が、ボサボサ頭にヨレヨレのネルシャツという感じのテンプレートにはまっていない「普通の人達」として描かれていて、自分の持っている力をヒーロー能力として活用するっていうスタイル。それが僕にはとても新鮮に感じられた。

そういう意味で、研究好きな人とか科学好きな人とかで「どうせ俺らは主役にはなれないんだ」みたいな鬱屈した思いを抱えてる人にとっては、鬱憤を晴らしてくれる話かもしれない。だいたい、研究者とか科学者とかでキャラが立ってるキャラクターって、いても全キャラの中では二軍止まりって印象が僕にはあるけど、それが一軍、それもチームで第一線ですよ。これを痛快に思わずにいられますかってもんです。

映像のこととか

3D上映だと空を猛スピードで飛ぶシーンとか臨場感満点で、それだけでも僕としては「映画館で見る価値あったな」と思えました。自宅で気軽にHD映像を視聴できる昨今であっても、視界を覆うような大スクリーンでいい音響で映像を見るというのはそれだけでもうエンターテインメントなので、見るならやっぱり良い物を見たいじゃないですか。

あと、ゴチャゴチャした町並みの感じがCGアニメーションで描かれているという様子そのものも、僕は面白かったです。サンフランシスコと東京の両方をミックスした仮想の未来都市の風景は、それ単体でビジュアルとして見応えがある。帝国少年みたいなイラストや、精巧なミニチュアを鑑賞するような感覚に近いかも。

アバターの時にも思ったけど、モノクロ映像がカラー映像にグレードアップするように、ジェットコースター・ムービーとしての映画において「3D」は明らかに「2D」よりも上のグレードなんだと思います。すべての映画が3Dになるのかどうかは分からないけど、少なくとも、より高いグレードの没入感や爽快感を得るなら3Dだよね、っていうのは言えると思う。本作もブルーレイ出たら買うだろうと思ってるんだけど、そうなるとやはり3Dが見れる再生環境も欲しいなあって思ってしまいます。

まとめ

とりあえず、ディズニー映画にもヒーローものにも抵抗がない人は、見ておいて損はないと思います。ということで。

小粋なセンスがもっと欲しかったな……ロボコップ(2014年) - May 07, 2014

リメイク版のロボコップ見たんですよ。

端的に言うと、映像格好いいしドンパチやってるし結構面白かった。でも、旧作ロボコップ(特に1)のセンスが良すぎて、それを知ってる状態で見てしまうと見劣りしちゃうなあ、と思ってしまった。

  • 旧作にはなかった生前家族との(っていうか今回マーフィーは死んでないから「生前」でもないか)交流があるのが今作の特徴だけど、それを加えたんだったら代わりに何か他の物を引いた方がいいんじゃないかなーと思った。単純に、話として結構詰め込んじゃった感があった。旧作の要素でいうと、1の全部(ロボコップ誕生)と2の半分(仲間の裏切り)が入ってるわけで、そのせいか、ゴチャゴチャしてわけわかんなくなってる気がして。例えば、仲間の裏切りは無理に入れなくてもよかったんでないかなあ?
  • とにかく旧作1ラストの、悪役副社長に対して「親会社の重役には手を出せない」という制限のせいで手を出せずにいた所での、社長の「お前はクビだ!」で制限解除されて「どうも」でズドン、という痛快さが僕には印象深くて、それを上回るカタルシスを今作では得られなかったのが、残念な所だった。
  • 悪役一味が旧作のクラレンス一味ほどにはぶっ飛んでなかったとか、ハゲヒゲのおっちゃんが小物臭が強いとか、悪役関係が肩すかし感あった。やっぱり、主人公の格好良さを引き立てるのは魅力的な悪役だよね。
  • ロボコップのデザインについて。キービジュアルとか止め画とかでは、右手が生身で露出してるとか、顔の周りがピッチリ隙間なく覆われてて旧作ほどグロくなってないとかのせいで、人がスーツ着てる感がかなりあったんだけど、実際動いててウィーンガシャンと効果音が付いてる様子を見てると、違和感は無かった。旧作も、映像見てなかったら「何この着ぐるみ?」って思ってたのかもしれないね。個人的には、黒いバージョン3よりもシルバーのバージョン1の方が好きなので、最後でバージョン1の状態に戻ってたのは嬉しかった。

まあなんというか、ドハマリするほどでもないんだけど、見て後悔するほどではない、きちんと作ってある今時の映画やなーって感じでした。

若干消化不良な感想を持った、「アナと雪の女王」 - May 07, 2014

アナと雪の女王見てきた。3D字幕。

率直な感想としては、映像美すげーなあと思いました。ほんとに雪山にいるみたい。3D映像のためだけに映画館に行く価値ありだと思います。同時上映のショートフィルムも、3Dならではの演出で面白かった。

映像美以外でも、楽しく見られる映画だなあと感じた。実はこの手のディズニー映画はちゃんと見るのは初めてだったんだけど、いちいち小ネタが効いていて、見てる人を飽きさせないなあと感心する事しきりだった。「映像が動く楽しさ」というか「動く映像だからこその楽しさ」というのか、そのための心配りが隅々にまで行き届いている。ディズニーリゾートの楽しさに通じる気がした。

いまいちノリきれなかったのは、話の運びの細かい所がアラとして気になってしまったからなのかなあ、と思ってる。(あと、字幕の翻訳。直訳が多いせいなのか、こなれた日本語になってなくて「??」ってなる事が多かった。)

  • 王と王妃が死んで3年間も王位が空白ってどうなんだ?(僕が見たある批評でもツッコまれてる)とか。アレンデールは結局何で豊かに潤ってたんだ?とか。一言でいいから、何か説明を……
  • 真実の愛が結局アナの中にあったのかエルサにあったのかが、映像からぱっと自分には分からなかった。「他人のために自分を犠牲にする」という点に着目すると身を挺してエルサを守ろうとしたアナ自身の中に真実の愛があったという事になるようにも思えるし、他方、フツーに考えればエルサの中にアナへの真実の愛があったから氷が溶けたんだよねという見方もできると思うし。パンフレットには後者だと書いてあるから、公式的にはそうっぽいけど。
  • ハンス王子の愛が偽りの物だったということはよーく分かったけど、クリストフはどうだったのかというのがよくわからないままぶん投げられてるのが気になった。アナが凍り付いたとき、クリストフは結局間に合わなくて見てただけじゃん? 真実の愛かどうか試す試練を経て、やっぱりそうじゃなかったねこれは友情だったねとか、やっぱりそうだったねこれは愛情だったねとか、何かしら結論出しておいて欲しかった。
  • ハンス王子が悪役として非常に中途半端に感じた。途中までは義理堅い好青年のように描いているのに、瀕死のアナと2人きりになった途端に手のひらを返すって、伏線が無さ過ぎてポカーンだ。

前出の批評の受け売りだなあと自分で思うけど、総じてちぐはぐな印象を受けた。「両親が死んで姉妹だけが残される」とか「愛してたと思ってた人が裏切る」とか「姉妹の愛が問題を解決する」とか「王女は真実の愛を見つけて結ばれる」とかの断片的なお話を並べて繋げて1つの映像作品にしましたというふうな。あるエピソードから次のエピソードに至るまでの「過程」の描写がことごとく欠けてるように、僕には思えた。まあ、ディズニー映画ってそういうものだよということなら、そういうものか、で納得するんだけど。

誰が言っていたか忘れたんだけど、「自動的なヒロイン」という言葉があったと記憶していて、どういう物かというと、動機付けや翻意のきっかけといった適切な心理描写も無しに何故か勝手に主人公に恋してくるという感じの、客観的に「それならそうなるのも当たり前だよね」と思えるだけの材料の積み上げを省いたままに、作者が「このキャラには最終的にこういう行動を取らせたい」と思った通りの行動だけを取らせてしまって、結果的に「なんでそのキャラがそういう行動を取ったのかが、そういう役だったから、という事でしか説明できない」状態になってしまったキャラ描写を揶揄した言葉だったと思うんだけど、それに近いものがあちこちにあるような気がするんだよね。

例えばハンス王子は、エルサが出奔したときも、アナの馬が戻ってきたときも、「面倒な事になりやがったな、クソッ」みたいな表情をチラリとも見せない。実際の計算高い人間だったら確かにそう簡単に真意を漏らすはずもないだろうし、だから自然な描写としてはそうあるべきなのかもしれないけど、大衆向けの作劇としては、それは分かりにくい。くどくても、ニヤリとした口元であるとかの細かい描写を重ねて「コイツは腹黒いキャラだ」という種を撒いておくべきじゃないだろうか。だって、べつに、ハンス王子の真意を探るサスペンス作品じゃないじゃないすか、この映画って。裏切りの直前まで、隠しておく必要がないでしょ。最初から「いかにもコイツは裏切りそうなキャラだ」と描いておいても、登場人物達にそれを気取らせてさえおかなければ、観客は「ああ、駄目だよアナ! そいつに頼っちゃ駄目!!」とハラハラさせられ、「ほらやっぱり裏切られた! あーあ……」と落胆させられて、どんでん返しで「やった!」と盛り返す、そういう楽しさは十分に味わえるはず。

単に僕に読解力・共感力が無さ過ぎるせいなのだろうか。世の中的には十分ヒットしてるようだし、そうなんだろうな。

……と思って検索したら、ハンス王子は他の登場人物に対する鏡として設定されていたという考察が見つかった。なるほど、それならキャラとしての心理描写の薄さ・動機の薄さにも納得できる。

そういう整合性がどうとかの点を気にしないで、映像美に酔いしれ、動きの面白さに目を奪われる、「アニメーション映画」を見るという事ならではの体験にフォーカスして楽しむ限りにおいては、十分楽しくて面白い映画だと思いました。小難しいこと考えないで頭空っぽにして見るのがいいってことですね、これは。雑念を抱えたまま映画館に行ってしまった僕の負けです。

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