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たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

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女性エンジニアが自分の好きなように生きられるように、あるいはただの惚気話 - Dec 08, 2016

妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016その2をご覧の皆様、はじめまして。Piroといいます。

自分は現職のITエンジニアですが、会社の仕事とは別に、日経LinuxというLinux関係の技術情報の月刊誌でシス管系女子と題した漫画形式の記事を連載しています。
まんがでわかるLinux シス管系女子(1巻表紙)

基本的に話も技術面での検証も作画も全部一人でやっているのですが、そのせいで内容を冷静な目で見られなくなってしまうことがあります。そんな時、幸いなことに妻も現職のITエンジニアなので、「話の展開に無理が無いか?」とか「この解説で通じるか?」とか不安を覚えると度々、妻に下描きを見せて率直な感想を聞かせてもらっています。率直に言って大変助かっています。 だというのに、最近は連載の〆切に追われて平日も休日も一杯一杯になってしまっている事が多く、妻には迷惑をかけてばかりで申し訳ない限りです。

さて。「シス管系女子」はとある企業の新米システム管理者の女の子「みんとちゃん」が主人公なのですが、今日の話はみんとちゃんの衣装の話です。

自慢じゃないですが、自分はファッションセンスがありません。そんな自分が女性キャラの衣装を自分でゼロから考えても碌な事にならない、しかし巷のファッション誌を参考にしようにも色々ありすぎてどんな服を着せればいいか分からない、ということでみんとちゃんの衣装はもっぱら妻の私服を参考にさせてもらっています。

シス管系女子 利奈みんと 作画設定(2016年版) by Piro/結城洋志 on pixiv

(そんな訳なので、たまに読者の方に「みんとちゃんの服装かわいいですね!」と言っていただけると、「でしょ!?かわいいっすよね!!」と全力で同意して間接的にのろけているのです。)

実をいうとみんとちゃんの衣装には単純にデザインのみならず、ポリシー面についても妻から学んだ事が反映されています。 それは、「男にウケるためでもなければ、周囲に文句を言われないためでもない、自分(みんとちゃん自身)のために自分(みんとちゃん)が好きな服を着る」ということです。

聞いた所によると、妻の最初の就職先は色々とお堅い会社で、服装規定も結構厳しかったそうです。 女性社員は私服であっても地味目のおとなしい服でなければならず、そのため妻も本人の好みに合わない服を買って着ていたそうです。 そんな訳なので、転職して服装既定の厳しくない会社に移ってからはその頃の服はほとんど全くと言っていいほど着なくなってしまい、結局、クローゼットの中を整理した時にそれらはほとんどすべて処分してしまいました。

社会人、特に普通に会社に通勤するという働き方の人にとっては、人生の中でもそれなりの長い時間を会社で過ごすことになります。 そんな長時間を、いたくもない姿の自分でいることを強いられるというのは実に不毛なことです。

せっかくなら、周囲の目を気にして好みに合わない格好を我慢してするのではなく、自分が本心から「可愛い!」とか「格好いい!」とか「楽だ!」とか思えるような格好でいられる方がいいに決まっていますよね。 一度きりの人生なのですから、しなくてもいい無理をせずに自分の生きたいように生きるのに越したことはないです。

実際に作品中で描いてる服のチョイスは妻の好みと僕の好みの論理積なので、どうしても偏りが生じてしまっているのは否めない(実際には妻はジーンズをはいている時も多々あります)のですが、それでも描き手の思いとしては、(ネタのコスプレ以外では)少なくともみんとちゃん本人が着たいと思わないであろう服は着させないようにしたいし、本人が見せたくないであろう物は見せないようにしたいと思っています。

例えば、みんとちゃんは丈の短いワンピースやミニスカートを着ていることが多いですが、下に短パンをはいているので絶対にパンチラしないということにしています。これには「掲載誌がお堅いのでえっちなのはNGだから」という理由もありますが、それより何より、彼女はかわいい服を着たいだけであってパンツを見せたい訳ではないのです。周囲の男性社員に対するサービスでかわいい服を着ているのではなく、彼女自身がその服を好きだから着ているのです。

「シス管系女子」は技術の話の学習漫画ですが、それとは別のささやかな裏テーマとして、みんとちゃんというキャラクターのありようを通して、女性エンジニアが当たり前に自分の生きたいように生きられている様子を描きたいという思いが自分にはあります。

それが妻の仕事環境や生活環境に何か直接影響を及ぼすわけではありませんが、「そういうのが当たり前」という様子を描いて、そういうコンテンツが増えていくことで、妻や後に続く人達が少しでも生きやすい世の中になってくれれば。 そう思って自分は今月号も、誰に頼まれたわけでもないのにみんとちゃんに先月号とは違う衣装を着せている次第です。 (そして絵を使い回せなくなり、また自分で自分の首を絞めているのでした……)

以上、飛び入りで妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016その2の8日目に参加してみました。 明日の記事もお楽しみに!

自民党の教師通報フォームの一体何が「問題」なのかを考えてみて、これを問題と思わなかった人に言いたくなったこと - Jul 12, 2016

ちょっと前に「政治的中立を逸脱した教員」を通報する窓口を自民党が公開した件が一部の間で話題になってました。

僕自身は、そのフォームの存在にキナ臭いものを感じて、否定的な思いを抱いてる。これは事実。

でも批判の記事をボンヤリ読んでても「悪いから悪いのだ」的な事を言ってるように見えてしまうし、「密告したかった授業」ハッシュタグの様子を見てると市井では「何も問題無い、いいぞもっとやれ」的な盛り上がり方をしている雰囲気すら感じられる。 自分も、その盛り上がりの様子を見て「分かる」という感覚はあって、この種のフォームの存在を肯定するような感情を抱いた。これもまた事実。

この矛盾しているように見える2つの思いにどう折り合いを付ければいいのかを考えていて、自民党のフォームに元々あったであろう意図と、それを礼賛している人達がそのフォームに期待しているであろう物との間にズレがあるんじゃないのか? と思った。

で、「あの頃のあの嫌な先生が憎い」という感情が優先で先のフォームの問題点がスルーされているんだったら、それって良くないんじゃないの、と思った。

この件を問題だと感じた、と書いている時点で「左翼の左翼擁護乙」と思う人もいると思うんだけど、以下の文はそういう人にこそちゃんと考えてもらいたいと思って書いてます。

現実に「問題教員」の通報先は必要だけど……

自分の子供の時の事を思い返してみて、確かに問題教員と言えるような人はいたと思う。 そういう人を「通報」する先は必要だと思う。

でもそれは「自民党が」やるべき事というわけじゃないですよね。 いや、自民党がやってもいいんだけど、本来だったら教育委員会なり何なり、教育関係者の中での監査役みたいな存在がやるべき事だと思う。

いま現在然るべき通報先が無いのならそれは教育関係者の怠慢だし、通報先があっても問題が握り潰されるなどしてまともに機能していないなら、それもまた怠慢です。 教育関係者の間での自浄作用が期待できないから外部からの黒船に頼るしかないんだ、という現実があるんだったら、それは早急に解決されないといけない問題だと思う。

繰り返すけど、それを自民党がやったらいけない、とは思いません。 実際、必要があって生活保護の申請をしてるのに通らないという場面で共産党がコンサルのような事をしているという話はあって、これを「本来は行政がやるべきだけどできていない事を外部の人間が代わりにやっている、それがたまたま政党だっただけだ」と言うなら、同じような事を自民党がやって悪い道理はないです。

で、どういう人が「問題教員」なの?

今はもう削除されてるけど、最初は自民党のフォームには「『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生」という文言、改訂後は「『安保関連法は廃止にすべき』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生」という文言があった。 あくまで例示という形だけど、「そういう人は通報されるべき」という意図の表明ではある。

「戦争法なんてけしからん。子供を戦場に送る悪法だ。そう思う子は手を挙げなさい。ん、なんでお前は手を挙げないんだ? あんな物を良しとするのか? じゃあお前は平和の敵だな。先生はお前には授業をしない。教室を出ていけ。」って言う教員がいたとして、そういう教員をこのフォームから通報したら、当初の説明文の例に似てるし、これはまあ確実に調査対象ですよね。

じゃあここで意地悪なことを考えるんだけど、「同性愛なんてけしからん。子供を作る気がない奴は、国を滅ぼす非国民だ。渋谷区のパートナー条例みたいな物は即刻やめるべきだ。そう思う子は手を挙げなさい。ん、なんでお前は手を挙げないんだ? あんな物を有り難がってるのか? じゃあお前は非国民だな。先生はお前には授業をしない。教室を出ていけ。」って言う教員がいたとして、そういう教員をこのフォームから通報してちゃんと取り扱ってもらえるんだろうか?

フォームの趣旨があくまで「政治的中立性」に関してだから、同性愛云々は政治的中立性とは関係無い事例だから調査対象じゃないと言われるかも知れない。

あるいは、自民党の憲法草案に表れているように自民党としては「伝統的な家族のあり方」を大事にしてるので、伝統的家族観を破壊する同性愛は認められない、だからその教員の言動も党の方針と矛盾してないので問題なし、と判断されて握り潰されるかもしれない。

あくまで悪意に取った想像ですよ。 こういうのもちゃんと調査してくれるかもしれませんよ。 真の保守たる政権与党なら、そういうふうにまっとうに仕事をして欲しいと思ってますよ。

僕は、どっちの教員も問題教員だと思うし、調査されるべきだと思うし、教育の現場にそういう人がいて欲しくないです。 でも、その理由は「政治的に偏ってるから」ではないです。

政治的に中立じゃなくても、そういう問題教員って取り締まれるんじゃないの?

先の例のような左翼先生だけが取り締まられて後の例のような伝統的家父長先生が取り締まられないんだったら、それって結局、ただの左翼狩りになってしまう。 それこそ政治的な偏りだと思う。

両者を等しく取り締まるには、政治と無縁の人だけを集めるか、あるいは、右からも左からも人を集めてきて、事例を握りつぶせないような状況を作るかしかないんじゃないの?と思う。

っていうようなことを言うと、みんな口を揃えて「中立なんてあり得ない」と言うんだけど、論点はそこじゃないでしょう。 中立じゃなきゃ取り締まれない、というタイプの問題じゃないじゃないですか、これ

まあ、教室から出て行けみたいな極端なことを言う人は今時いないと思います(そう思いたい)。 でも細かい所でチクチク嫌がらせされたり嫌味を言われたりってのはありうると思う。 嫌いな子供だけ無視したり、他の子なら聞くような訴えでもその子が言った時だけは握り潰したり、そういう消極的な嫌がらせもあると思う。 僕はそういうのが「問題教員」って事だと思ってるんですよ。 (なので、以下で僕が「問題教員」と書いている箇所は、そういう横暴を働く人の事を指していると思って読んで下さい。)

そういうのを取り締まるのに、右翼か左翼かってほんとに関係あるんですか?

僕が言いたいこと、分かってもらえますでしょうか。 教員であるという立場を利用して、権力を笠に着て、横暴を働いて教え子を虐待するのが問題だと僕は思ってるんです。

体罰の問題と本質は同じですよね。 「教育のためなら『体罰も許されるのだ』」はNGだ、っていうコンセンサスが現状ですでに得られてるじゃないですか。 それと同じように、 「(平和|愛国)教育のためなら『横暴も虐待も許されるのだ』」はNGだ、っていうコンセンサスも得られるんじゃないですか?

もう1回書きますよ。 「教育のためなら『横暴も虐待も許されるのだ』」はNGだ、っていうコンセンサスは左右を問わず得られるんじゃないですか?

実際、左翼が行きすぎて共産党系組織からすら支持されなかったような人が、後に処分された事例もあるそうだし、不可能な事じゃないと思うんですよ。

仮に教育の現場に虐待の問題があって、現場が左翼に牛耳られていて、問題教員が左翼だから問題が表面化してないんだとしたら、なおさら、そういう人達の中の良識的な人達にも同意できる線で解決を図った方が実効性が高いんじゃないんですか? 虐待の問題を本当に早急に解決することを優先するなら、変な反論のできない、ぐうの音も出ない交渉の仕方をした方がいいんじゃないですか?

中立性の維持のためには左右両方が必要なんじゃないの?

「左翼の先生にそういう問題教員が多い」というなら、それは別にいいんですよ。 問題教員をばんばん取り締まった結果左翼先生ばっかりだった、っていうのはありうる話です。

仮にそういう状況なんだったら、「左翼先生を取り締まれば問題教員がいなくなる」っていうのも確かに真ではあります。 左翼先生が100人いて、そのうち50人がそういう横暴を働く問題教員で、左翼先生以外の先生に問題教員がいないんだったら、左翼先生を排除すれば確かに問題教員はいなくなる。 でも、問題教員じゃなかった50人はただの巻き添えです。

教育における政治的中立性を維持するにあたって、一人の人が完全に中立っていうのは非常に希だと、僕は思ってます。

教員には、大学で教職課程を取って、教員免許を取ってそのまま教師になって、学校という社会しか知らないまま大人になった人が多いと聞きます。 そんな世間知らずな先生が、右にも左にもかぶれないで中立を維持できるとは僕にはちょっと思えないです。 なので、右の人も左の人もいろんな思想の教員がいて、両方の話を聞いた子供が結果的に中立になる、というのが現実的な落とし所になるんじゃないかと僕は思ってます。

そう考えると、左翼先生だけがいなくなるのは宜しくないと僕は思う。 別の立場の人からの批判に晒されて考え方が洗練されていくという事が起こらなくなるのは、右翼にとっても宜しくない事だと思う。 批判に晒されてない洗練されてない考え方を盲目的に受け入れてるだけの人は、外に出てちょっと批判されたら、すぐ極端から極端に転向しちゃいますよ。「これが真実だったのだ!!」って目覚めて、良からぬ方向に走っちゃいますよ。

(だから、教員が左翼ばっかりだったらそれもマズイわけです。幼稚な左翼にかぶれてた子供が、ネットで「真実」に触れて一気にネトウヨ化、なんて今でもよくある話じゃないですか?)

問題をすり替えないで下さい

僕がここまでで書いた話を「議論のすり替えだ」って思いますか?

逆じゃないんですか? 問題教員に悩まされてきた人達のやり場のない怒りを、「それは左翼のせい」という政治的立場の話にすり替えて通報を募る方が、議論のすり替えなんじゃないんですか?

いや、自民党のフォームを作った人達がそこまで悪意を込めてやってたとは限りませんよ。 純粋に、彼らは彼らの思いがあって左巻きの教育を苦々しく思っていて、現状を調査したかっただけかもしれません。

(とはいえ、政権与党で、それなりに各方面に影響力の強い自民党が、左翼教師の通報を募ってたら、それって実質的にはやっぱり左翼狩りになるんじゃないの? と僕は思いますけど。)

自分の知る限りは2回の改訂を経て、自民党の件のフォームからは左翼を狙い撃ちにする感のある表現がなくなりました。 右翼思想の教員や、宗教思想の教員を通報するためのフォーム、というふうにも見えるようになっていますし、実際に当初からそのような教員の通報を期待しているのかもしれません。 右でも左でも関係無しに政治的偏り自体を問題視してたなら、最初からそうしておくか、あるいは、こういう余計なゲスの勘ぐりをされないためにも、左翼を想起させる例だけじゃなく右翼を想起させる例もそれ以外の例も併記しておいても良かったんじゃないかと思います。

でも、それでもなお、本来問題にするべきは権力を笠に着て横暴を働き虐待をする教員の方で、何らかの思想に偏っている教員ではないと自分は思ってます。

この文章を「左翼の左翼擁護だ」と思うのはべつにいいですよ。 事実として僕は左巻きを自覚してるし、問題教員としてよく語られる事例はどれも左翼教員ばっかりに見える(日教組が、というフレーズもよく目にします)から、事実として左翼の左翼擁護になってると言われたら否定はできないです。

でも、左翼憎しで雑に考えないで欲しいんですよ。 理性的であって欲しいんです。

これが逆に、共産党が右翼狩りを呼びかけてる例だったら、「ああまたアホなことを……落ち目の奴がそんなことやっても的を増やすだけやろ……」くらいで済ませてしまって、ここまで掘り下げて考えてなかったかもしれない。 「理性的に」って書いたけど、自分自身が理性的に考える前に感情で切り捨ててたかもしれない。 残念だけどそれも否定できないです。 でも、「せやろ。そんな程度の良識しか無いお前が言うなや」で済ませられてしまうのは嫌です。

右からでも左からでも上からでも下からでもどこからでもいいから、より本質に近いところに切り込んでいけるならその方が望ましいと思います。

くどくど繰り返し言うんですが、問題教員は実際いるし、そういう人達に苦しめられた人達が怒ってるのも分かるんですよ。 でも、それで理屈を忘れて本来叩くべき先と違う物を叩くのは、変だと思います。

僕からは、以上です。

選挙の時に熱くなってる人や政治活動に熱くなってる人を見て思った、18歳で選挙権を得た人達や、それより若い人達に伝えたい事 - Jul 09, 2016

僕は今33歳でもうすぐ34歳になろうとしていますが、16年前は17歳か18歳。 2016年7月10日の参議院選挙は選挙権が与えられる最低年齢が引き下げられて以後初の国政選挙で、当時の自分と同じくらいの年代の人も投票できるようになっています。 考えに考え抜いて投票先を選ぶ人も、自分が支持する人の方に勝って欲しいと思う人もいると思います。

当時僕には選挙権はありませんでしたが、それでもテレビで報じられる投票率の低さにイライラしていました。 みんなが選んだと言える事ならまだ納得できなくはないけど、みんなが選んだと言えないほど投票率が低くてどうして納得ができようか、と。

参院選を前にして、16年前の当時書いた文章がなぜか参照されていた形跡があったので改めて読み返してみましたが、いやぁ若いですね恥ずかしいですね。顔から火が出るなんてもんじゃないですね。でもこれも自分を形作ってきた物のひとつという事で、消さずに残しておくことにしました。

ところで昨今、僕が支持している考え方やそれに近い考え方の陣営が下手を打って自ら株を下げているように感じられゲンナリさせられることが度々あります。

中には、事実と確定していないデマと思しきものもあります。 しかし16年前の当時の自分や、自分が体験した事例を思うと、「やらかしててもおかしくない」と思わずにはおれません。 世間からも「こいつらならやらかしててもおかしくない」と見なされている、そういう風潮を感じます。 16年前の自分が書いた文章を読み返して恥ずかしかったのは、それも理由の1つだと思いました。

なので、そういった事例と絡めて、その頃の自分にも聞かせるつもりで、今現在自分が思っている事を改めて書き残しておこうと思います。

(ところで、大前提として選挙には行きましょうね。 そこは当時も今も相変わらず思ってます。 選挙権を20歳で得て以降、自分は今の所、公的な選挙は記憶にある限りでは全部行ってます。)

熱くなって馬鹿な事をしないで下さい

当時の僕は「選挙の後にガタガタぬかしても変わらない。選挙で物事が決まるんだ。だから選挙に行かなきゃいけないんだ。」という感じの事を語ってましたが、浅かったです。実際には選挙と選挙の間、選挙がない時の方が大事です。勉強と同じですね。普段勉強していれば試験でいい点が取れて、勉強してなければ点は取れない。試験は「普段のあなたがどうであるか」が可視化される機会でしかなくて、試験で点を取る事は目的ではありません。それと同じで、趨勢は選挙の前にだいたい決まっていて、選挙もそれが可視化されるというひとつの区切りでしかありません。

だから、選挙の時に熱くならないで下さい

というか、選挙の時じゃなくても熱くならないで下さい

我々には資金や組織力が無いからゲリラ戦を挑むしか無いのだ、みたいな自己正当化をして無関係の他の人の邪魔をしたり迷惑をかけたりしないで下さい

自分は正しい事を広めようとしてるんだから少々の事は許されるのだ、みたいな思い上がりからルールを軽視し犯すような真似はしないで下さい

「協力してくれるなら味方だ」みたいな二元論でもって無限の同意や無償の全面協力を強いたりしないで下さい。 ましてや、勝手に人の名前を使ったり意思を騙ったりしないで下さい

(上記の例には、誰がやったのかも定かでない、事実かどうかも定かでない、という物も含まれています。が、前述の通り自分は「こういう事が実際あってもおかしくない」と思っていますので、以下の話はそれを前提として書きます。)

「今は特別な時だから」とか「自分は正しい事をしてるから」とか、そういう都合のいい例外を自分で作ってルールやマナーを勝手に歪めて考えないで下さい。 そういう傲慢さや、見識の狭さや、頭の悪さは、見透かされます。 そういう人を、良識を持ったまっとうな人は支持しませんし、好感も抱きません。

厳密に言えばグレーゾーンなんだから、黒と確定してるわけじゃないんだから、やっちゃった者勝ちなんだから、やっちゃえばいいじゃん。 「あいつら」がやってるんだから「こっち」だって同じことをやりゃいいじゃん。 おあいこで相殺されるでしょ。 そう思うかもしれませんが、周囲の第三者はそういう甘い判断をしてくれません。 良識ある人達は好意的に見てくれるはずだ、なんて思い上がらないで下さい。 良識のある人は、わざわざグレーゾーンに踏み込みません。 グレーゾーンに踏み込んだ時点で、良識のある人から見れば、あなたはもはや「良識が無い・一顧だにするに値しない、良識に反する敵」なのです。 そこを勘違いしないで下さい。

一発逆転を狙わないで下さい

なぜそんなに熱くなるのか。 当時の自分を思い返すに、「普段の鬱憤を晴らしたい」とか「今までの不利を一気にひっくり返したい」とか「今まで認められていなかったぶん、認められて評価されたい」とか、そういう思いがあったと思います。

選挙の前に趨勢は決まっている、世論という物はだいたい形成されている、という事は、なんとなく皆さん感じていると思います。 そういう物を自分一人の努力で容易に変えられはしないという事も、薄々分かっていると思います。 自分が思った事とか考えた事を披露しても聞いてもらえない、賛同も得られない、言えば言うほど嫌われ避けられる、それどころかそもそも言いだす事すら憚られる、そんな感覚がなんとなくあるんじゃないでしょうか?

だから、選挙というタイミングで一発逆転したくて、もしかしたら一発逆転できるかもと期待して、熱くなるのではないでしょうか。 少なくとも僕は、そう考えていたと思います。

そんな風に虫のいい事を考えているから、嫌われるような事をやらかすんですよね。 今になって改めて、自分はそう思います。

虫のいい事を考えている間は、そういう考えを捨てられないという本質的な人間性が変わらないままでは、「ルールを守って」とか「マナーを守って」とかそういう事に気をつけようとしても、どうせできやしません。 先に挙げたような迷惑行為を表面的に慎もうとしても、違った形で迷惑行為をやらかします。 絶対にボロが出ます。 コーラを飲んでゲップを我慢しても、代わりにオナラが出るのです。

一発逆転できなくてもヤケにならないで下さい

一発逆転を目指さない、とはどういうことか。

  • 地道に誠実にやる
  • 嘘はつかない、捏造もしない、根拠のある事実に基づいて話す
  • 悪あがきしない、自分の非は素直に認める

今の僕は、これが大事な点だと思ってます。

そういう風にやったからといって、人に好かれる保証は無いし、支持される保証もありません。 結局誰にも賛成してもらえないまま、というオチだって十分にあり得ます。 非を認めた途端に、「それみたことか」と得意げに叩き出す人も出てくるかもしれません。 でも、それでも誠実にいきましょう。 それが最低条件です。

僕のここまでの人生、わりとそんな感じです。 自分ではなるべく嘘をつかず真面目にやってきたつもりですが、「大多数の人の圧倒的な支持」は得られていません。

大多数の圧倒的な支持を得ていれば勝ち、そうでないなら負け、という考えであれば、僕の現状は「負け」ということになるでしょう。

でも実際には、僕の活動を意義ある物として評価してくれる人はいて、たまに誉められたりもしてます。 嘘・虚構で得たわけでなく、事実を積み上げた上で得られた評価なので、これは確かな物だと自負しています。 「勝つ」か「負ける」かの2値でだけ考えていると、こういうものを見落としてしまいます。

話を聞いてもらえないからってヤケにならないで下さい

「耳障りのいい嘘をつかなきゃ聞いてもらえないじゃないか」 「嘘でもなんでもいいから聞いてもらえなきゃはじまらないじゃないか」 そんな事はありません。それはあなたの考え違いです。 嘘も捏造も無しに正直に話していて、話を聞いてもらえている人はいくらでもいます

ただし、「あなたが正直に話しさえすれば、誰でも話を聞いてくれる」訳でもありません。 正直に話しても聞いてくれない人はいます。

人に話を聞いてもらえないなら、その人が興味を持ってくれて聞きたくなってくれるような話し方を考えましょう。 間違っても、無理矢理肩を引っ掴んで聞かせるような事はしないで下さい。

話を聞いてもらえないのは、聞く気が無い相手が悪いのではなく、聞く気にさせられないあなたが無力なのでもなく、あなたと相手が違う人間だからです。 そこが分からない限り、永遠に話は聞いてもらえませんし、聞いてもらえても恐らく、「分かってもらえた」と満足できる事は無いでしょう。 相手があなたのコピー人間でもない限り、「あなたが満足できるようなレベル」で相手があなたの考え方を受け入れて同意してくれることはありません。 相手に期待しすぎないで下さい

若くて熱くなっている人にはなかなか理解できないかもしれませんが、自分と違う人生を生きてきて、自分と違う考え方をしていて、自分とは相容れない考えを持っている、そういう人達を貶すでもなく取り込むでも無く、そのまま死ぬまでお互いに平行線を行き続けながら、同じ船に乗り続けるのが社会というものです。 「自分と違う考えの人がいなくなればいいのに」とあなたが思うのなら、相手の側から見ても「自分と考えが違うこいつはいなくなればいいのに」と思われています。 あなたは安全地帯にいるわけではありません。 それを念頭に置いて、「何事もお互い様だ」という事を忘れないで紳士的にやって下さい。

それが格好いい大人という物だと、今の自分は思っています。

2016年の現場からは、以上です。

「かわいい」という評価を表明するのは悪い事とは限らない、と思えるようになったことについて - Mar 31, 2015

女の人の容姿を評価するのをためらうという過去のエントリがにわかに参照されだしたようで、これ7年前に書いたやつなんだけど、改めて読み返してみた。そしたら、当時に比べて今は、女の人の容姿を「かわいい」と評価することにそこまでの抵抗を感じなくなっているなあ、と改めて思った。

当時どうして自分が他者の、特に女の人の美醜を評価することについて抵抗があると感じていたのかについては、要約すると「自分にそんなことを言える権利など無い」みたいな見解だったようだ。では、今はどうか。自分に自信を持てるようになったから他者の美醜を軽々しく言えるようになった、のだろうか。

異常に自信がなかったから言えなかったのが、人並みの自信を持つようになったから言えるようになった、というのは確かにあると思う。でも、だからといって、誰彼構わず「うわ、ブサイクだな」とか言い放つほどに横柄になったとは思ってない。そういうのは表明しないで飲み込む程度には弁えてるつもり。

それだけでなく、自信以外の部分で考え方が変わった部分があるからではないだろうか、と自分では思ってる。具体的には、「かわいい」という事はもっとカジュアルに賞賛されてよいと今では考えていて、それは、差別性のないフレーズとして使って支障がないという認識と、Facebookの「いいね」と同程度にカジュアルに使って良いという認識、そして、言わない方が失礼と言えることすらあるという、3つの理由があると思っている。

まず、「カワイイは作れる」というフレーズを知ったという事。それまで僕は、例えば橋本環奈のように素材が非常に良い物だけをカワイイと言い、そうでないものはカワイクナイと言うのだ、カワイイか否かは先天的なものでまずふるいにかけられるのだ、と思っていた。なので、「誰某はカワイイ」と言うのは、「誰某は白人で、だから良い」みたいに言っているのと同じように、生まれ持った性質を褒めているという事で、その性質を持たずに生まれた人にとっては本人の努力で乗り越えられないような差を殊更肯定する、差別性を持った表現だと思っていた。でも「作れる」となると話は違う。可愛くなりたい・可愛くしたいと思った人が努力できて、努力した分だけ確実に「可愛く」なり得る。そうした成果や経過を褒めることに差別性はないと言える。(そんなマガイモノをカワイイというのはおかしい、と思う向きもあるかも知れないが、マガイモノの極致の二次元美少女をカワイイと褒めそやしている人間にそんなことを言う資格はないだろう。)

それと、今はもう放送が終わってしまったけれども、NHKでやってた「東京カワイイTV」という番組。この番組では原宿的な文化圏を中心としつつも様々な価値観の「カワイイ」を紹介していて、世の中には様々なベクトルの「カワイイ」があり得るのだという事を僕は知った。番組パーソナリティの沢村一樹さんが最終回で「理解する必要はない、理解できなくてもいい。とにかく、否定しないことが大事」といった趣旨の言葉を述べていたと記憶しているけれども、そうして大局的に捉えれば、ガングロも「カワイイ」、ロリィタも「カワイイ」、コスプレも「カワイイ」、ギャルも「カワイイ」、なんでもカワイイ。あるベクトルでカワイクナイからといって、別のベクトルでまでカワイクナイということは意味しない。ある物をカワイイと評したからといって、他がカワイクナイという事は意味しない。そう思うようになった。

あと、コスプレイヤーの人達の考え方を知ったのもある。僕は以前は、「自分大好きだから、カワイイカワイイと言ってもらいたくて、それを引き立てるための衣装を着て大衆に媚びて耳目を集めているのだ」と思っていた。確かにそういう人もいないではないけれども、それだけではない、「作り込んだ3次元の作品を見せびらかしたい、自分自身はその素材として使っているに過ぎない」というスタンスの人もいると知った。そういう人達はより良い作品作りのためにメイクアップであったり衣装作りであったりを頑張っているわけで、その努力に対する正当な評価としての「カワイイですね」は、言って何ら悪い物ではない。(同じ事が、普段のメイクや服選びにだって言える。)

総じて、今僕が使う「かわいい」は、「かわいさという1つの基準において他より勝っている」という相対評価ではなく、「これにはユニークな価値がある」という絶対評価としての性質が強くなっているのだと、自分では思っている。そんなわけで、実際に口にする機会はそれほど無いけれども、女の人に対して「カワイイ」というフレーズを使うことに今ではそこまでの強い抵抗感は感じなくなっているように思う。

まあ、誰彼構わず言いまくったらセクハラになるとか、そういう別の問題はまたあるわけだけれども。

シス管系女子で取り扱っている解説の妥当性、危険性について - Mar 15, 2015

シス管系女子(正確には「#!シス管系女子 Season3」)の現在発売されている号の日経Linux 2015年4月号掲載分について、hostnameコマンドは与えられた引数でホスト名を設定する物なので、ホスト名を取得するためだけにhostnameコマンドを使うのは、誤操作で問題が起こり得るから危険だという指摘がありました。

別の話として、実際に指摘を見かけたことはまだ無かった気がしますが、過去の回でcrontab -eを紹介するにあたって色々調べ直していた時に、crontab -eは、確認なしでの削除であるcrontab -rとミスタイプしやすいから使ってはいけないという話も見かけました。

どちらの事例も、「その機能が正常に使われている限りにおいては問題ないが、ヒューマンエラーが発生した時のリスクが大きいので、そもそもその機能を使うべきではない」という、安全側に倒した考え方であるように自分は受け取りました。運用という側面から「シス管」を考えた場合には、尤もな指摘だと言えると思います。

hostnameについては、なぜ$HOSTNAMEを参照するようにしなかったのかというと、以下のような所が理由となります。

  • 自分がその方法で覚えてしまっていた。
  • ホスト名を変えるためにhostnameコマンドを使う、ということが普段無いために、そのリスクに無頓着だった。(hostnameコマンドによるホスト名再設定は、再起動したら状態が戻ってしまうことから「使えねー」「役に立たねー」と思ってしまい、それ以後存在自体をすっかり忘れ去ってしまっていた)
  • なんとなく、環境変数の値は誰かが書き換えうるものという認識があり、コマンドの出力を見た方が安定した結果を得られそうに思った。(環境変数でもコマンドの結果でも同じ情報が得られるのであれば、コマンドの方を使うほうが安心、という認識がある)

crontab -eについては、「そんなん間違えへんやろ」と思っている部分が正直大きいです。が、自分がそう言えるのはcrontab -eというコマンド列を日常的に頻繁に利用するわけではないからかもしれないとも思っています。入力する回数が多いとcrontab -rというtypoの出現頻度が現実に問題となり得るレベルにまで高くなってくるものなのだ、と考えると、管理運用を業務とする人ほど敏感になるというのはありうるかも、と思います。

自分がこの連載で紹介する内容を考える時の判断基準としては、

  • オプションの指定が不要なやり方と必要なやり方の両方があって、結果が同じなのであれば、オプションの指定が不要なやり方の方を紹介する。
  • 簡単なやり方と難しいやり方の両方があって、結果が同じなのであれば、簡単なやり方の方を紹介する。
  • 設定が不要なやり方と設定が必要なやり方の両方があって、結果が同じなのであれば、設定が不要なやり方の方を紹介する。(screenではなくtmuxを紹介したのはこれが最大の理由です)
  • 確実なやり方と不確実なやり方の両方があって、結果が同じなのであれば、確実なやり方の方を紹介する。
  • 安全なやり方とリスキーなやり方の両方があって、結果が同じなのであれば、安全なやり方の方を紹介する。

といったいくつかの基準があるのですが、「簡単だけど危険」「安全だけど難しい」のように判断が難しい時にどうするかというのは悩み所です。自分の中で決着が付かなければそもそもその話題は紹介せずに置いておくということもあります。が、多くの場合はcrontab -eのように、リスクを過小評価して利便性の方に舵を切ってしまいがちな気はしています。

ただ、可能な限り「簡単で、設定いらずで、確実で、安全で」という風に懸念点の少ないやり方を紹介していきたいという思いはあります。連載時の内容についての指摘は再録のタイミングで直せるので、全面的な改稿となると無理ですけども、セリフ回しや1コマの描き直し程度で乗り切れそうないい改善提案がもしあれば、Twitterアカウントへのリプライ等で情報を提供していただけると嬉しいです。

  • 今の所、Season2でやったSSHの公開鍵の登録についてssh-copy-idを使ったほうがラクという指摘は頂いており、これは何かの機会に反映したいと思っています。
  • このエントリに書いているhostnameの事については、既にuname -nhostname -sなどの別案を頂いていますが、hostnameコマンド一発で済ませられるやり方に比べると若干面倒さが増す感があるので、「まんがでわかるLinux シス管系女子」での追加コンテンツのような形で「より安全にやりたいならこういうやり方もある」という補足情報を載せる方向で行くのがいいかなあ、と思っています。

総じて、この連載については「初級者レベルの人がちょっとステップアップする」「文字の説明だけ見ても分かりにくい事を、ビジュアライズして説明する」という所にテーマを設定しているので、安全性最重視の解説にはしにくいと思っており、そこの所は本誌の他の記事の方々に期待しております(丸投げ)。

「シス管系女子」の本のおまけについて - Feb 09, 2015

シス管系女子の本の宣伝も兼ねて。

まんがでわかるLinux シス管系女子 (日経BPパソコンベストムック)

日経BP社 (2015-02-18)
売り上げランキング: 10,129

本の企画が動き出す前、本誌付録の「まとめ読み」を実際に見てみたときから、本編だけだとギュウギュウ詰め感あって読んでて辛いと思ったので、敢えて各話間に必ずおまけという名の緩衝材を入れることは僕の中でずっと決めてた。一般的な漫画単行本でも各話間におまけがあるのでそれを真似た、とか、ページ数が少ないのをごまかすための水増し、とか、そういう性質も無いとは言えないけど、それよりはやはり、読みやすさへの配慮という切実な動機が大きい。

おまけを入れることを提案した後、先方からは「全ページに何かしら役立つ情報を入れたい」という意向を聞いていたんだけれども、上記の通り緩衝材としての役割を強く意識しての提案だったから、「緩衝材が必要だ」とか「キャラクターを好きになってくれた人もいるはずだから絵のコンテンツにも需要はあるはず」とかなんやかやゴネて、最終的に、各話が終わった後の1ページ目には本編の内容に関係する補足情報や豆知識を、2ページ目には内容と関係無いイラストや蔵出しの設定画といった、お役立ちとはほど遠い情報で「ヌキ」を作るというスタイルに落ち着いた。

そこまではよかったんだけど、悩んだのは、その2ページ目の方に何をどこまで入れるのかっていう点で。

途中までは、裏話とかキャラの設定とか思いつく限り色々盛り込もうかって思ってたんだけど、仕上げに近い段階になって「やっぱやめよう」って思って、文字部分をだいぶ削除した。そのとき思い出してたのは、ずっと昔に「るろうに剣心」の単行本を読んで感じてた事。仮に誰が見ても明らかにそうだろうなってバレバレだったとしても、「このキャラのデザインは綾波レイの影響が~」とか、わざわざ言わないで欲しかった。読んでてすごく気持ち悪かった。今にして思えば、あれは読者が知りたいであろう事・見たいであろう物を読者向けのサービスとして提供していたのではなく、作者自身が語りたくてしょうがなかった事をあの場所で発露していたという事なんだろう。商品であるはずの物の中に垂れ流されていた自意識に、僕は「ウッ」てなってたんだと思う。自分自身が、人から認められたい欲の強い自意識過剰なタイプの、相手が興味なさげにしてるにも関わらず自分の喋りたい事をベラベラと一方的にまくし立ててしまうタイプの人間だという事を考えると、同族嫌悪のような物だったのかもしれない。(なので、そういうのは商品の中ではなくこういう所で垂れ流しておきます(垂れ流す事自体をやめるという選択肢が無いあたりが救いようのないポイントである))

正直、最終的にコンテンツとして入ってる物の中にはまだまだ、読者が見たかった物ではなく僕が見せたかっただけの物があると思う。見せたかったっていうか、むしろ、これしか見せられる物が無いんですみたいな。全部を描き下ろしで埋めるのは無理だったので、大変申し訳ないけれどもそこはどうかご容赦頂ければ幸いです……次の本は出るかどうかも含めて未知数だけど、2年目以降で衣装の着回しがほとんどになって新規に衣装の設定を起こしてないというのもあって蔵出しできる素材が圧倒的に少ないので、描き下ろしが増えるんじゃないかと思う。思うっていうか、多分そうしないと成立しない。最近はフキダシに入れてる顔アイコン的なやつを使い回すようにしてて、労力を削減した代わりに、絵を描くモードに頭を切り換えるまでのウォームアップができていない気がするので、ウォームアップがてらイラストを描くようにして少しでも描き溜めて、次に備えておきたく思う次第です。

卒業して10年くらい経って、大学で立ち上げ期から関わってたサークルを再訪して思ったこと色々 - Nov 02, 2014

卒業以来行ってなかったんだけど、母校であるところの大阪電気通信大学の大学祭に行ってきた。サークルのプチ同窓会的な趣旨。

それで、僕らが創設した後も今に至るまでずっと続いているサークル「コミックアート」の今を見たくて、サークルの展示に顔を出した。 落描きコーナーがあったので、しれっと描いてみたりもした。

それを渡す時に「実は初代なんすよ」と明かして、超かしこまってる現役生の皆様方に先輩風ビュンビュンに吹かせて、適当に思いつくままいろんな話をペラペラ喋ったんだけど、あまりに垂れ流しで喋りすぎて脈絡なさすぎたんで、帰りの道すがらちょっと自分の中で話を整理してみた。

サークルの文化の継承のこと

展示の部屋に入って最初に思ったのは、「おお、ほんとに10年続いてるんだ……!」という感慨。

次に思ったのは、「でも、変わってない……っていうより、後退してるのかも……」という軽い落胆。

社会人感覚だと10年って意外とあっという間だし、人の入れ替わりがないことも結構あると思う。 自分がいるのが、毎年新卒をコンスタントに採用してますっていう事が無い小さい会社だからなのかもしれないけど。 そういう状況だと、こういう事は会社としてやりたくないとか、会社としてこういう風に進んでいきたいみたいなことは、一度合意した後はけっこうそのままブレずにいられる。 でも、そうして形成された文化を後から来る人達にどうやって伝えていけばいいのか?という問題はある。 人の入れ替わりが無いから伝える必要が無い、伝える必要が無いから問題も無い、というのでは、高齢化が進んで先細りしてしまうだけ。新陳代謝がない事自体も問題だし。 弊社の目下の課題は、そういう感じ。

大学(のサークル)だと、望むと望まざるとに関わらず、基本的には毎年人の入れ替わりが発生する。 だから新陳代謝という点では悩まなくてもいいんだけど、文化の継承の問題はやはりある。

今回、現役世代を見ていて思ったのは、ノウハウはある程度継承されているようなんだけど、その背景にあった思いはどこかで途絶えてしまったのかな……ということ。

僕らはサークルを創設した世代なんだけど、当時あった既存のオタク系サークルが「既存作品のファンの集い」的な性格が強くて(あと、漫画を専門としてやる感じでもなかったので)、それに絶望して「もっと真面目に絵を描くサークル活動がしたいんやー!!」って思って作ったサークル(会長達がサークルを立ち上げたところに、僕がその噂を聞きつけて後から参加した)で、自主的な活動だったから大学から下りてくる予算なんか当然無いし、伝統的に引き継がれてきたノウハウのような物も無かったし、ほとんどゼロから作り上げるしか無かった。 大学祭の時の展示をどうするか?とか、会誌はどうやって作ればいいのか?とか、そういう部分については僕が高校の漫研の時の文化を色々と持ち込んだんだけど、それ以外の部分、会則作りだったり、(作画技術やシナリオ制作技術などの)技能向上を目的とした「勉強会」の継続的な開催だったりとかは、ほんとに手探りだった。 とにかく、自分達がやらなきゃ誰もやってくれない、教えてもくれない、自分らがやらなかったら何にも進まない、そういう危機感が強かったと思う。 特に、当初の絶望の元だった「ああはなりたくない」「あそこには負けたくない」っていう思いが強かった。

世代を重ねて、10年が過ぎて。 僕が持ち込んだ「こうやれば展示の体裁は整う」「こうやれば本の体裁は整う」といったノウハウは引き継がれていたし、本の表紙がカラーになってたりしたし、アンケートも採ってたし、ノウハウが引き継がれているのは間違いなく感じた。 また、缶バッヂ作りのように、今まで無かったことにも手を広げているのも感心した。 メンバーも相当数に増えたらしいし、合宿はちゃんとした合宿所を借りてやっているという話も聞いたし、「すげえ! ちゃんとしてる!」って思った。

でも、熱は下がってるのかなって思った。 少なくとも、危機感的なものはあまりないのだろうなあと感じた。

というか、まあ、最初の世代の僕らの危機感が異常だったとも言えるんだろうけど。 最初の世代と、後の世代って、そういう物なのかもしれない。 僕らがあまりに「差し迫った危機感」ドリブンで色々やり過ぎたものだから、サークルの公認化やメンバーの増加などによって、差し迫った危機が去って危機感も薄れていったのかなあ。 だとしたら、差し迫った危機感の有無に頼らないで向上心を保ち続けるという文化を、僕達は作り、後の世代に託さなくてはならなかったのかもしれない。

あと、話していて、当時と今とでは色々状況も変わってるんだよなあっていう事は思った。 今はPixivなんていう便利なサービスもあるし、(今時流行らないかもだけど)いわゆる「公式サイト」を作るのにも、GitHub Pagesあたりを使えば、複数人でコミット権を持ってコラボレーションできる。 Circle.msを使えば同人イベント参加もオンラインで申し込めちゃう。 あの時これがあれば……っていうのは、改めて考えてみると、結構ある。

現役世代の人達もPixivは使っているとのことだったけど、それは多分「今のトレンドとしては、絵描きは当然のようにPixivを使うものだから」っていう事なんじゃないだろうか。 それはそれでいいんだけど、一般教養の授業で教わったアンケートの取り方の技術をアンケートの改善に活かしてみるとか、そういう「工夫」としての新しい技術の導入にも、取り組み続けていて欲しいなあ、と思う。

向上心といえば、僕ら世代が卒業する前くらいに、その(勝手に)ライバル視してたサークルの方でクーデターがあったとかで、それ以前に比べてすっごく真面目に取り組むようになったらしくて、最後の年にあっちが出してた制作物は、かなりレベルが高くなってたと記憶してる。 「あそこよりは勝ってるから大丈夫」みたいに思ってたらこりゃあアッという間に追い越されるぞ……!っていう思いで背筋がヒヤリとしたんだった。

僕らが一旦絶望した所でもそういう事が起こったくらいだし、自発的な改善が行われることは今後もあるだろう。 そのとき、そうして行われた改善を彼らがさらに後の世代に継承していけるかどうか、そこが重要なんだと思う。

先輩世代が口出しすることそのものについて

色々偉そうなことを言ったんだけど、あんまり先輩世代がデカいツラするもんでもないよなあ、ってのは思う。

今回も、現役世代の人達があまりにかしこまってるのを目の当たりにして、逆にこっちが申し訳なく思ってしまったほどだった。 僕自身が上記のライバルサークルに仮入部した時の「先輩の意味の分からない横暴、体育会系的な上下関係」にウンザリした記憶を思い出してしまって、自分がああいう風になってしまってるのかなって思うと、すごく申し訳ない気持ちになる。

僕は「先輩がデカいツラして居座り続けること」による「現役世代の萎縮、負の文化の継承」をすごく恐れていて、だから一線を退いた者はさっさといなくなるべきと思ってる。 僕らの時は「上の世代」がいなかったから、そこら辺まったく気にしないで好き勝手できてたっていうのは、初代ならではの特権なんだよね。

この辺のこと、Mozillaがらみでも、後世代の人に言われたんだった。 後世代にしたら、「良い文化を継承しないまま居なくなられることの方が困る」って。 でも、「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるくらいに、良かれと思って焼いた世話がただの迷惑になってしまう事はあまりにありふれているし、何度か自分の知っていることを相手に伝えようとしてバーッとまくし立てて辟易させてきたことを思えば、僕自身が「できた先輩」になれるとは到底思えず、むしろ「よくいる駄目な先輩」の方としか思えず。 過干渉にならない程度の距離感って、難しい。

絵描き、漫画描きを送り出す場としてのサークルのこと

以前に初代会長が訪問したときに聞いた話だそうだけど、過去何人か、在籍者でプロの漫画家としてデビューした人はいるらしい。

いわゆるプロデビューを目指すようなレベルの意識・動機っていうのは、サークルの文化として育てていくような物でも無いんだと思う。 それはサークルに入ってくる時点で「持っている人」と「持っていない人」がいるという物で、その点についてサークルができる事は、動機を持っている人のやる気を削がないことくらいなんじゃないだろうか。

サークルとして積極的にできるのは、絵を描いたり話を考えたり漫画を描いたり本を作ったりっていう、ノウハウの伝達がせいぜいだと思う。 ノウハウを必要としている人がいた時に、伝達できるノウハウをサークルには維持していて欲しい、と僕は思う。 聞いた話では、今、勉強会の文化はあんまり引き継がれていないようだった。 技術向上を図るための勉強会を重視する、という事は僕らが拘っていたはずの部分なので、それが途絶えているのは悲しい。

絵でお金を貰うということ

現役生で、イラストレーターになりたいと思っていると言っていた人がいたと思うんだけど、今の画力がどうかっていうのと関係無く、それでやってくのは今は(これからは)すごい厳しいだろうなって思う。

今Pixivのトップページ見たら、美麗なイラストを描いてる人達が星の数ほど居るのが一目瞭然なわけで。 「今登録したら何々っていうレアカードが貰える!」ってCM打ってるようなオンラインカードゲーでイラスト描いてるような人達。 選手層はとんでもなく分厚い。 でも、そんなハイクオリティの絵でも(酷い会社には特に)安く買われてしまう。

僕が読んでるプロの小説家の人のブログで、小説教室の講師もされているそうなんだけど、その方は、教室の生徒さんで持ち込みとか営業とかを自主的にする人が少ないという事を書かれていたと記憶してる。 今回同行した初代会長も、イラストレーターで賞への応募や営業までしてくる人は全然いないという話をしていた。

Pixivで綺麗なイラストを上げているけれども自分からは応募したり営業したりはしない。 そういう人の中には、ゲーム制作会社や出版社でお金や権限を持ってる人に偶然見出されて評価されてデビューする、っていう流れに期待してる、待ちの姿勢の人が結構いるんじゃないだろうか。 そんな典型的な憧れ産業だから、搾取・買い叩きの対象にされてしまうんじゃないだろうか。

ちょっと話はズレるけど。 描いた絵はどんどん公開してフィードバック貰った方が上達するよ、だから学外に出てでもどんどん絵を人に見せていった方がいいよ、ということを現役当時の僕らは言っていたと思う。 「学外に出て行く」という事だけを見れば、Pixivに絵を公開している時点で、それはできていると言えなくもない。 でも、「人目にさらせてるか?」っていうと、疑問だと思う。 あれだけ美麗なイラストが溢れているPixivの片隅に絵をアップロードしたところで、一体どれだけの人の目に留まるだろうか。 トップページに並ぶようなクオリティの絵が膨大にある中で、自分の描いた絵は本当に人に「見てもらえている」だろうか。

僕の友人で、高校生当時はそれほど画力が高いわけでもなかったけれども、絵を専門に学び直して、その後プロの絵描きとしてゲーム業界で働いている人がいる。 彼は多分、学んだ成果の絵を持って回って就職活動したんだと思う。

本当の意味で仕事に繋げるためには、そういう自分からの効果的なアピールが重要なんじゃないだろうか。 運任せ、人任せにしないで、自分から主体的に掴み取りに行く。 Pixivに投稿して埋没したまま白馬の王子様が来るのを待ってても、チャンスはやってこない。 そういう事なんじゃないかと思う。

あと、待つにしても、見つけて貰いやすい待ち方というのもある。

Pixivのように既に大勢がいる中に、後からノコノコ参加したって、よっぽどの事が無い限りは埋没するだけだ。 ああいう場では、「絵が描けること」は「当たり前」でしかない。 その1次元の評価軸での激戦区に飛び込んで、既にプロで活躍している人達と張り合って目立つってのは、相当困難なことだと思う。

僕はPixivはロクに使えていなかったけど、「技術がそこそこ分かって」「漫画も描ける」という複数のキーワードに引っかかったことで、記者さんの目に留まったらしい。 連載が継続している今は、そこにもうひとつ「解説ができて」という評価も加わっているのかなと思う(というか、そうであって欲しい)。

絵の上手さや発表数の多さという評価軸では僕は上位にはいないけれども、他の評価軸も合わせることで、僕は浮かび上がって来れた。 1つのことだけやっていなかったということが、僕にとっての武器になったのだと思う。

僕みたいな半端者ではないちゃんとしたプロの漫画家として活動している別の友人も、メインの絵柄とは別の絵柄も練習していて、その毒気のない絵柄と、歴史関係に強い……というか、歴女というプロフィールの2つがあったことで、継続的な仕事に繋がったようだった。

既にみんながやってるのと同じ事をやるより、誰もやってないことをやる方が目立つ。 当たり前のことなんだけどね。

絵を描くということ

プロがどうとか色々描いたけど、当然だけど、誰もがプロを目指す必要は無いと思う。

スタンスとして、楽しく絵を描いていられればそれでいい、ってのは全然アリだと思う。 楽しく長く絵を描き続けていられれば、それに越した事はない。 辛くなってやめちゃうよりも、楽しく描き続けている方がいい。

というか僕自身、今まさに原稿料を頂いて漫画を描いているけれども、「プロの漫画家になろう」とは思っていなかったし。 それどころか、今こうしてやっている仕事も、どっちかっていうと「絵の比率が高い技術記事の執筆」だと思ってるくらいだし。 もえじら組の活動を細々とやれていればそれでいいかな、と、連載の仕事を貰う前は思ってた。

長く続けるためには、別に、メチャメチャ美麗で上手な絵を描ける必要ってのはないと思うんだよね。 ただ最低限、自分の絵に自信を持てるポイントがあった方がいいっていうか、自分の絵って絶望的にヘタクソだなって思わずにいられる程度にはなっていた方がいいっていうか、そういう風には思う。

描かれた物が何であるかが分かる程度の描写力。 右向きの顔を描くときに紙をいちいち裏返して確認しなくても大丈夫な程度のデッサン力。 何度も描いて消してを繰り返さなくても狙ったところに狙った線を引ける身体制御能力。 そういう地味な基礎画力があると、絵を描く事そのものを苦痛に感じる程度はだいぶ減じられると思う。 あと、そういうのができてない絵を見たときに「自分の方が基礎はできてる!」って思えるのも結構大きい。

僕自身は突き詰めると、自分が見たいけど他の誰も描いてくれない物を形にしたいっていうのと、「俺TUEEEEEEE」感を味わいたいっていう2点が、絵に関しての大きな動機だと思ってる。 自分の見たい物を形にするのなら、どうせやるなら、上手にできてた方が、観客としての自分が見てて嬉しいじゃないすか。 それでできれば「俺TUEEEEEEE」ってなりたいじゃないすか。 その方が楽しいじゃないすか。

苦手は克服した方が、より「俺TUEEEEEEEE」って思えるようになると思う。 何と言っても、「克服した俺SUGEEEEEEE」って思えるわけだし。その事実は揺らがないわけだし。 右向き描けないから左向きしか描かない、とか、背景描けないから背景描かない、とか、凝った構図は描けないから必ずバストアップしか描かない、とか。 自分で後から見てて、つまんないし情けないじゃないすか。 っていうかそんなの、自分自身が見たかった物じゃないでしょう? 自分が見たい物を手に入れるには、自分で描くしかない。 自分が上手くならなきゃ、自分が見たい物は見れない。 自分が上手くなれば、自分が見たい物を見れるようになる。

だからやっぱり、画力はあるに越した事はないと思うんだよね。 そういう喜びに繋がるためにも、勉強会の文化はあって欲しいなあって思う。

読者(閲覧者)を楽しませるということ

これは当日話した内容ではなく、後から「ああ、こういう話をしておけば良かったかなあ」と思った話題。

主に会誌を見てて、「読者を楽しませる努力はもっともっとしていいんじゃないか?」って事を思った。 僕らの世代がそれをできていたのかっていうのは完全に棚に上げて言っちゃうんだけど。

「大同人物語」で平野耕太氏が書かれていたんだったと思うけど、学校の部活やサークルの出す本、いわゆる「学漫」は、クソだと。 自分達が作りたいから作ってるだけで中身がない、読者がまったく楽しめない、お金を出して他の人に買って貰うには値しない、そういうジャンルだ、と。

前段で書いた事と矛盾してるんじゃないか、自分が楽しくなるようにすればいいんじゃないのか、っていう風に思われるかもしれないんだけど、そうじゃないんだよね。 独り善がりでただ作りたいから作るっていう事をしなさいって話じゃないんですよ。 作る事そのものが楽しいっていうのは、そんなもん当たり前なんですよ。 でもそれでは「作る人の視点」だけしかない。 そこに「読者の視点」も加えて、「自分が読んでも楽しめるような物、自分が欲しくなるような物を」作るのって楽しいでしょ、「読者を楽しませられる俺SUGEEEEEEE」ってなったら楽しいでしょ、って話なんですよ。

そういう風に思うのは、僕自身が大阪で育って、両親からの影響はなかったけど学校の同級生だったりテレビだったりから事あるごとに、「おもろいモンが正義。おもろくないモンはあかん。笑かしたら勝ち。スルーされたら負け。」という感覚を刷り込まれてしまってるからなのかもしれないんだけど。 その通りに実践できる・成功できる確率が低くても仕方ないとは思うけど、そうしようっていう思いは持ってて欲しいなあって思うんですよね。

あと、これも前段の話の繰り返しだけど、「今の自分で描ける物を描こうとする」んじゃなくて、「今自分が見たい(読みたい)物を描こうとする」って事は、ほんとに大事だと思う。

今自分ができる範囲でやろうとすると、何もスキルが身に付いてない段階だったら、表現の引き出しなんてそんなに無いじゃないすか。 斜め45°のバストアップの美少女しか描いたことありませんって人が、自分にできる範囲で物を作ったら、そんなもん、エロゲーの立ち絵が並んでるようなコマにしかならんくてあたりまえですよね。 そんな物を自分は見たかったのか? って話ですよ。 そうじゃないでしょ。好きな漫画みたいに、ダイナミックな構図だとかいろんなアングルだとかいろんなキャラだとかいろんな表情だとかを見たいに決まってるでしょ。

そういう「素直に自分が見たい物」を描けんのか? って話ですよ。 できないんだったら、描けるようになるしかないじゃないすか。 ……っていうのが、技術の上達に繋がるんじゃないかと僕は結構思ってる。

実際、僕も今でも、ラフ段階で微妙に今まで描いたこと無い物・やった事ない事が要求されるようなネーム切っちゃって、四苦八苦してうんうん言いながらそれを完成原稿まで仕上げて、って事を結構やってますし。

まったく目標や課題を定めずにただただ「画力を上げるんじゃ―――!!」って闇雲に努力するよりは、「今これを描けないけど描きたい・描かなきゃいけない」っていう状況を作ってしまった方が、頑張るための力を注ぐ方向を間違えにくく済むんじゃないだろうか。 というのが僕の思うところです。

朝の情報番組が「保守」って言葉の意味に真面目に言及するとは思いもよらなかった - Oct 16, 2014

朝、出がけにテレビ見てたら「そもそも、(政治の文脈での)『保守』って何なの?」という話をやってて、ついギリギリまで見てしまった。朝の情報番組といったら……というか、チャンネル桜みたいな政治思想がはっきりしてる局でもない限り、池上さんの番組以外では日本のテレビはこういう話題には触れないものなのだろうなあと思っていたので、「へえ、案外まじめにやってるんじゃん」と思って、それで見入ってしまった。

どこの局のなんていう番組かは覚えてないんだけど(って今調べたら、テレビ朝日の「モーニングバード」という番組の「そもそも総研」というコーナーだったようだ)、東大名誉教授の人(名前覚えてない)、小林よしのり氏、鈴木邦男氏の3人にインタビューしていて、僕が見て記憶してた範囲では、小林よしのり氏と鈴木邦男氏は「今保守を名乗っている人達(政党、政治家等)は、本当の意味で保守とは言えない」と言ってて、特に鈴木氏は、自身が学生運動真っ盛りの頃に右翼をやってた当時は「右翼」からも「左翼」からも嫌われてたのが「保守」だった、なんてな事も言っていた(ということは、いわゆる「ノンポリ」に近いニュアンスだったのだろうか?)。

「保守=保って守る、という字面だが、じゃあ何を保って守るの?」という素朴な疑問に対しての各人のコメントは、こんなだった(僕の理解では)。

  • 東大名誉教授の人の言う保守とは「体制確立時の主流だったものを守るのが保守。アメリカなら、独立時に中心にいたWASP層が保守。イギリスなら、議会制を立ち上げた時に議会を牛耳っていた貴族層が保守。日本なら、戦後の安保体制を守るのが保守(本流)」
  • 小林氏の言う保守とは「真の保守とは2000年スパンの伝統に基づく文化を守るもの」で、「今保守を名乗っている人達は、高度経済成長の幻影を守ろうとしているだけ」
  • 鈴木氏の言う保守も「本来の意味で言えば、外からの影響を色々と受けて変わり続けてきた寛容さに基づく文化を守るのが保守」で、「今保守を名乗っている人達が守ろうとしているのは、戦前くらいまでの短い期間で見た時の『伝統』に過ぎない」

コーナーの結びとしては、「保守を自称している人達はそれぞれ実は何を守ろうとしているのかちゃんとはっきりしないといけないんじゃないの」という感じの落し所だった。

僕自身は、「保守とは何か?」という定義付けについては、大筋では大学の一般教養レベルで教わった内容をそのまま今でも受け入れている(それ以上に納得できる説明には出会えていない)。それはどいうものかというと、僕の認識では、「保守」とは、端的に言えば現状維持が基本の態度の事。善き事か悪しき事か・正しい事か間違った事かといった価値判断は行わず、理由はどうあれ、変わったり変わらなかったりした結果いまあるものを最大限維持する、とにかく今生きてる人達がなるべく変わらずに惰性でイイ感じに生きていけることを指向するもの、だと僕は考えている。良く言えば慎重、悪く言えば日和見、他人の後追い。他の人が何か新しい事に挑戦して、それでうまくいってたら、やり方を真似て採り入れる。現状維持が基本ではあっても、全く何も変えないわけじゃなく、変えた方がよいとはっきりしてるなら渋々ではあっても変えていく。少なくとも日本人に関して言えば、僕も含めて多くの人に見られる性質だろう。

(そういう「保守」と対置される物として、人は意志の力で今より良く変われるのだ!と信じて、現状を変えてでもガンガン挑戦していこうという向きがあって、その中でも、前例のない新しい事・未来の理想に向かって変えていこうとする革新派が「左翼」で、現実にあったかどうかはともかくとして過去のどこかの時点を理想として変えていこうとする懐古・反動派が「右翼」……なのだろうと、今のところ僕は認識している。)

言う人に言わせると、僕の認識のような「保守」の説明は「保守をただのノンポリに貶めている!」てなお叱りの対象になるみたいなんだけど、僕は、そういう反応をするのは「反動」「封建」あたりと「保守」とを混同しているだけだと思ってる。だいたい、「保守的」という形容詞がどういう様子を指すのかっていうと、一般的に、より新しいもの(考え方、やり方、道具、なんでもいい)が出てきた時に、新しい物にとりあえず難癖を付けて、「自分が今まで採用していたもの」の方にしがみついてしまう事を言うじゃないすか。保守的な政治思想、これすなわち保守。これ以上に説得力のある説明、あり得なくない?(だから、例えば、そのしがみついた先が「封建」で、このご時世に「女性は家を守るべし、社会進出なんてもってのほかだ」とか言っちゃってたら「保守的な封建」だし、しがみついた先が「共産主義」で、あの中国ですら自由経済を導入しているにも関わらず「自由経済は一切認めん!」ってんなら、それは「保守的な共産主義者」と言っておかしくないと思う。)

ともかく、僕は「保守」とはそういう無色透明なものだと思ってて、ここから先の話もそういう前提での話なんだけど。

熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)を援用すれば、現状維持だけやってたらゆるやかに劣化していき、いつかは破綻する。 ただの守りの姿勢ではなく緩やかな改善を含むのだとは言っても、基本的な態度はあくまで現状維持。高度経済成長のように、外的要因からの上向きの風に運良く乗っかる事はできるかもしれないけれど、基本的に、自分から率先してはっきりとどこかに向かおうとはしないが故に、幸せになれるかどうかは他人任せ・運任せ。 うまくいってる時期ならそれでもいいんだけど、うまくいかなくなってる時にいつまでもそのままだと、座して死を待つのみなんてことにもなってしまう。

そういう危機感というか「このままじゃいけないんだろうな」という不安感というか、そういうのがあるから、今の世の中では、大阪維新の会だったり「日本を取り戻す」な安倍首相だったりの、「今の状態から、より良い状態にダイナミックに変わろうとする」呼びかけが好まれるのだろう。

多くの人が漠然と保守的であるのなら、保守を標榜する政党や政治家が人気を集めるのは自然な事だろう。ただ、「自分は保守的な人だから、保守を標榜する人や組織を支持しよう」と、ラベルで物を見てなんとなく判断してしまっていると、見誤る。安倍首相に代表される今の政権を支えている考え方は、「なるべく現状維持」っていうより「現状からダイナミックに変える」なのだから、その時点でもう「保守」じゃないじゃないすか。

そういや今思い出したけど、例えば、自民党の改憲案見た時に思ったけど、文言の修正量の多寡じゃなくて意味合いの方を見ると、言葉尻をちょっと変えただけだけど意味がガラッと変わってた。「国家権力の暴走を縛るための憲法」というコンセプトが、「国家権力が国民を縛るための憲法」に様変わりしてた。そういうのって、「文章としてはほとんど変えてないから現状維持だよね」ってのは詭弁で、「文言を一部変えたことで、換骨奪胎して全然別物に変えてる」ってのが実際でしょ。僕はそんなのは「保守的」とは言えないと思う。

「自分達こそが国民の本来のあるべき姿を目指しているのだ」っていう「右翼」が、そんな感じで詭弁を駆使して、「よく分かんないけどなるべく自分たちのありのままで生きていきたい」っていう「保守」のラベルを勝手に借用して「代弁」して……つまり「あるべき姿」と「ありのままの姿」という別々の物を意図的に混同させて、「右傾化なんかしてないよ、保守だから中道だよ」って言いながら実質右に傾けている、本来以上の支持を集めてしまっている、そんなところがあるんじゃないかなー。

うん、我ながら今いいこと言った気がするから繰り返すけど、「あるべき姿」と「ありのままの姿」は、やっぱ違うんですよ。

「あるべき姿」を指向していて、且つ「それは、本来のありのままの姿とイコールであるはずだ、それが最も自然で美しい姿であるはずだ」と思ってるというのが、ウヨとか右翼とかっていうものなんだと僕は思ってる(「人間本来の姿として、同性愛はおかしいし、専業主婦が家庭を守ってるのが自然で、云々」っていうのも、「同性愛は動物の世界にだって当たり前にある(少数派ではあっても)し、専業主婦という業態は高度経済成長期に流行っただけであってそれ以前にはべつにそうじゃなかったし、云々」と証拠を持ち出して反論されても、考えを曲げたり改めたりしないんじゃないの? ガチガチの右の人って)。マイルドヤンキーとか、滅茶苦茶悪く言えば低学歴な、深くものを考えない態度の人の素朴な感情から、右傾化が加速してくっていうのも、背景にはそういうのがあるんじゃないかなあ。ほっとくとどうしても混同しやすいっていう。

そのあたり、「革命だ!科学だ!」って言ってた陣営のサヨ・左翼は、「あるべき」と「ありのまま」の区別にもうちょっと自覚的なんじゃないかなあ……と一瞬思ったんだけど、9条を守る系の人とか、素朴な感情ベースで運動やってる人達には、そこを自覚してない人は結構いそうだし、先導してる人達もやっぱりそこをごまかして混同して大衆を味方に付けようとしてるんだろうなあ。

とにかく僕が思うのは、似た言葉をごまかして混同させて騙して自分に有利に情勢を動かそうとする態度は、不誠実だってこと。大勢の支持を短期的には集められないとしても、誠実な態度を取り続ける馬鹿正直な(でも、できる限り誠実さを保てる範囲で他人の理解を得られるよう工夫できるような)人が、僕は好きだし、僕自身なるべくそうありたいと思うのですよ。

あと、既存の適切な名前に悪いイメージが付いてしまったからといって、既に別の意味で使われている言葉を安易に代替で使わないで欲しい、とも思う。そんな事をするくらいなら、造語で新しい名前を作る方がまだマシだ。そういう事が思いつかないくらいに素で言葉の意味を混同してしまっているんだったら、もうちょっと言葉というものに敏感になった方がいいと思う。

参考:

(……と、ここまで書いた所でちょっと不安になってWikipediaとか見てみたんだけど、僕の「保守」の捉え方は「数多ある保守に共通する普遍的な性質」の説明としては大筋で間違いではないようだったので、安心した。)

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