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非モテとナルシシズム - Feb 26, 2006

ってタイトルを付けてみたけど実はそんなに深い考えがあるわけでもなく。強いて言うなら「非モテ非モテと言ってる人は結局自己愛が強くて自意識過剰なだけなんじゃないの」とかその辺の話? モデルケースは僕自身ですが。

自分大好きのナルシストでもいいんだ! でも、自分大好きのナルシストには二種類いるねという話。繊細で感受性豊かなように見えて実はナルシシズムの屈折した形でしかない人の恋愛の話。

おう、オレだよ、オレオレ。(オレオレ詐欺) しかし分かっちゃいるけどやめられないんだな。何と言っても簡単に「いい人」ぶれるし。でもこの病みっぷりは不健全なことは確かで。

こういう問題は、自覚的に「治せる」物なんだろうか? 治せないものなら、僕のような歪んだ人間は生きる資格も他人と関わる資格も無く、自制して生きるしかないのだろうか。自制心がないなら、収容所にでも入れて貰って人様にせめて迷惑をかけないようにしないといけないだろう。昔なら(もしかしたライまでもありますか?)、座敷牢行きとか。でもそんなところ手間で他人様に迷惑をかけるって一体どうなのよ? つまりもう「生きる」という選択肢自体がヤバいということにですね。

……

ところで、綴りはnarcissistとかnarcissismなんだから、言葉的には「ナルシスト」ではなく「ナルシシスト」、「ナルシズム」ではなく「ナルシシズム」が正解だと思うんだけど、それぞれ前者の方が広く使われているような気がするのは気のせいだろうかどうだろうか。やっぱり発音しにくいからですかね?(誰とも無く)

容姿とか性格とか存在とかの評価 - Feb 13, 2006

容姿だけじゃなくて性格を見てくれ、っていうけれどはてブ

性格にしろ存在にしろ技能にしろ容姿にしろ、価値判断をするということは、評価をするということは、値踏みをするということは、「それより優れているもの、交換可能なもの」の存在の可能性を認めるということではないだろうか。

評価そのものをしないこと、ただ受け入れることが、恋愛に至るような関係では、必要なのかも知れない。でも「そうすることが必要」と理屈をつけることで、価値判断を保留する言い訳にしているだけなのかも知れない。「より上」を見ようとしてしまうことによる相手への不誠実を非難されるリスクから逃れようとしているだけなのかも知れない。

黒沢への感情移入 - Feb 08, 2006

「最強伝説黒沢」の序盤を見て、黒沢に感情移入できるか? 彼の悲しみ、恐怖、焦燥感を感じることができるか?

僕は、以前なら確実に、それができた。涙すら流せた。というか実際泣いてた。

それができなくなっている自分に、最近気がついた。むしろ、「安全圏」からこの物語を眺めている自分が嫌にすらなった。

これは、よい傾向なのだろうか? おそらく、そうなのだと思う。というか、そう考えなくてはならない。彼に感情移入できるということは、孤独に震えていて、人付き合いがうまくいってなくて、潤いが全くなくて、経験すらなくて、閉塞感に苛まれていて、足元の「何も無さ」に怯えていて、という状態をリアルに感じられるということだから。そんなドン詰まりの状態でなくなることを「良い」と考えないで、何を良いと考えればよいのか。

でも、寂しくもある。もし今の幸せを失っても、もう完全には戻れないのではないかと思う。戻りたい、とも思わないけれども。ただ、何かが変わってしまったのだということを、これ以上ないほどはっきりと意識させられた。

合理化 - Feb 05, 2006

アキバ系とは - 狐の王国コラム:アキバ系とは - iwatamの個人サーバ「理系」が「アキバ系」に取って代わられ、「理系の町」が「アキバ系の町」に変容してしまった、ではその「アキバ系」の正体とはいったい何なのか、という話。

これを見て考えたこと。

何らかの理由で対人関係を築く動機または技能を欠いてしまった。それにもかかわらず、対人関係の構築を切望し、理想(対人関係に不自由ない状態)と現実(対人関係を築けない状態)のギャップに苦しんでいる――これは多くの「非モテ」に共通する状況だと僕は考えている。

ただ、対人関係の構築を切望する理由が非モテのタイプによって異なるのではないか。

まず挙げられるのが、上記文言に全てが集約されるタイプ。すなわち、対人関係(特に異性との)を上手く築けないことが最大の問題と自覚しているタイプ。これを非モテA型と仮に呼ぶ。

次に挙げられるのが、別の問題によって上記文言の問題が引き起こされているタイプ。すなわち、本人は対人関係の構築を望んでいない、にもかかわらず、周囲が対人関係の構築を強要してくる――「周囲が価値観を押しつけてくること」、不当な同調圧力が常態化してそれ自体が異常・不当とは考えられなくなってしまい、「押しつけられた価値観に自分は何故適合できないのか」に苦しんでいるタイプ。これを非モテB型と仮に呼ぶ。

そして、もう一つ挙げられるのが、自分自身は非モテB型であると自己認識しているにもかかわらず、実際の所は非モテA型であるというタイプ。周囲と自分の価値観が根本的には同じで、対人関係の構築を切望しているのならば、対人関係構築能力に欠陥がある状態、あるいは、対人関係の構築を切望している状態は、相対的には敗北である。しかし自分が敗北していると認め、常に自分がその状態に置かれていることを意識するのは、精神的苦痛を伴う。そこで、その苦痛から逃れるために、自分が敗者となっているのは自分と周囲の価値観が違うからであって、この敗北は実は敗北ですらなかったのである、異なる価値観を押しつけてくる周囲が悪いのだ、と自分を納得させる(防衛機制のうちの「合理化」)。これを非モテC型と仮に呼ぶ。

プライド(と自分では呼びたがっているけれども、周囲から見れば単なる見栄)の高い非モテA型は、非モテC型に堕ちてしまう傾向があるのではないだろうか?

ただ非モテC型であるだけならば、おそらくそれ自体は問題ではない。ただ、合理化に合理化を重ねていくと、問題はよりこじれていく。非モテC型をこじらせた状態に陥ることこそが、最も忌避すべき事態なのではないだろうか?

トロフィー - Feb 02, 2006

日電のPC-FXのマスコットキャラじゃなくてですね(それはロルフィー(古&マイナー(あれからもう10年以上経っちゃってるんだなあ……)))。

優勝カップとかトロフィーとかとかメダルとか。こういう物がずっとずっと欲しかった。そりゃあ、社会に出ればこれっぽっちも役に立たないだろうさ。かさばって邪魔になるだけだろうさ。でも、欲しかったんだ。

こういう物が欲しかったっていうか、こういう物を手に入れるという栄冠こそが欲しかった。目で見て分かる、ハッタリの効く「勝利の証」が欲しかった。そういうものを受け取る人達の姿を見ると、羨ましいやら悔しいやらやるせないやらで、切なくなる。それを手に入れられなかった僕は、自分のことを「敗者」以外の何者とも思うことができない。

かといって、今から手に入れても、きっと鼻で笑われるだけなんだよな。大人げないとか言われるんだろう。

非モテとか喪男とかは、「恋愛がしたい」んじゃなく、「若い頃(学生時代)の甘酸っぱい恋愛がしたい」んだ、という話がある。それと同じなんだろう。今手に入れて鼻で笑われるようなトロフィーが欲しいんじゃない。世の中というものをまだよく知らない、それを手に入れた人のことを純真に「すげえなあ」と思うことのできるような子供の時分に、それが欲しかったんだ。

叶わない夢と分かっているだけに、なおさらやるせない。

僕が、上位になりたがったり、そこから転落したら死ぬほど落ち込んだりするのは、上位になった証というものを持ったことがなくて、証を欲しがっていて、でもそんな証は手に入らなくて、一度転落してしまったらもはや一瞬でも上位でいたことを証明する物が何も残らないから、なのかもしれない。ああ、なんて虚しい見栄。下らん虚栄心。

……探してみたら一個だけあったよ。幼稚園の運動会で徒競走とかの際に一人一個くらいの割合でおそらく大量にばらまかれた、爪切りにもなるメダル。わらい。

  • メダル状態
  • 爪切り状態

いや、これ、今でも愛用してるんだ。手の中で横向きにしっかりホールドできるので、とても使いやすいの。

そんなオチ。

- Jan 23, 2006

イーマとか阪神百貨店とかをハシゴした時のことなんだけど

O君はバーバリーでカバンを選んでいたんだけれども、二つのカバンをとっかえひっかえしながらどっちがいいかで悩んでる彼を見て、僕はこらえきれなくなって涙があふれて泣き出してしまった。

似たような所にいたとばかり思っていて、僕と相変わらず友達でいてくれてる彼は、しかし、ここ数年でもう、僕の手の届かない遠い世界に行ってしまった。僕には分からないようなハイレベルの所で物を選んでいる。僕なんて、彼が選んでいる物のどっちを買ったところでどうせ使いこなせないし着こなせない。僕はかつて、脱ヲタした別の友人を見て、「彼にもできるんだ、僕にもできるんじゃないか?」と思った。でも昨日は、商品を手に取って選ぶ友人の姿を生で見て、「ああ、僕は彼には永遠に追いつけない。大きく引き離されてしまった」と思った。

それで恐怖と悲しさと焦りと情けなさと悔しさと諦めと羨望と嫉妬と絶望が心の中で急激に膨れあがって、ついに涙となって溢れてしまった。いい年こいたオサーンが人前で涙目で鼻すすり上げてんの。キモイね。キモイにもほどがあるね。

何より大きな、そして絶対追いつくことのできない差は、それで僕のことを慰めてくれる彼の懐の広さだろう。そんな人間にどうすればなれるのだろう。これが分からない限りきっと僕はずっと、怯えて生きていくことになるんだろうな。

脱ヲタしたいと願う人の性格にも色々あると思うけど、僕みたいに激しい劣等感と歪んだ優越感と空虚な自尊心ばかりの人間が人を頼って脱ヲタを望むとしたら、こういう負の感情をいかにコントロールしきるかが大きなポイントになるんじゃないかという気がする。

脱ヲタブランド - Jan 23, 2006

脱ヲタした友人に聞いた話。バーバリー・ブラックレーベルはヲタ御用達の脱ヲタブランドだと言われてる、とかなんとか。

ガノタの僕としては、この状況をガンダムの例で考えずにはおれん。よく分からんのだけど、これは例えて言うなら、ガンダムシリーズではΖガンダムの商品が一番よく売れるという話に似てるんじゃないだろうか。

Ζは顔、脚、胸、腰など、各部のパーツが鋭角的で、平たく言えば、かっこよく見える。また、言うまでもないけれども、変形という最大の魅力を持ってる。要するに、男の子の憧れる要素の塊なんだ。

脱ヲタブランドと呼ばれてしまっているようなブランドも、万人に分かりやすいかっこよさを持ってるから、選ばれるだけなんじゃないのだろうか。格好いいものが欲しい人が、かっこよく見えるものに飛びつくのは当たり前なんじゃないのか。これは、物事の導入編としては非常に妥当な選択なのではないだろうか。

それに対する反発、すなわち、そんな十把一絡げにくくれる有象無象とは俺は違うんだぜ、俺はあいつらには分からないかっこよさを理解してるんだぜ、有象無象に含まれてるお前は浅い人間だな、と揶揄するのが、いわゆる「中二病」。中二病に囚われている人からの攻撃をいかにかわすかが、新しい物事に挑戦する上で挫折しないための鍵になるのではないだろうか。

とかなんとか何となく思った。

脱ヲタとQOD - Jan 19, 2006

大人の脱オタは、若者のそれと比べ、ローリスク・ローリターンである!を見て。なお、以下の文脈では「脱ヲタ」を主に服装・概観面での向上の意で用いている。

  • 学生での脱ヲタは、資金の問題と、失敗時に周囲から注がれる軽蔑の視線の厳しさ、そこから逃れる方法がないことから、リスクが非常に高い。
  • 社会人になってからなら、資金の問題はクリアされ、失敗時の周囲の目も厳しくなくなる。失敗してもほとんど気にされない。もし何かあっても、自分の都合で転職するなどして視線から逃れられる。
  • だが、それは同時に、社会人になってからは、脱ヲタ成功してもほとんど気にされないということでもある。成功してもほとんど報われない。
  • 学生時代であれば、成功時のリターンが非常に大きい。

以上のような理由から、Masao氏は「若いうちの脱ヲタはハイリスク・ハイリターン、歳をとってからの脱ヲタはローリスク・ローリターンである」と述べている。

つまり、歳くったら脱ヲタなんてやってもムダ。

確かに言われてみればそれが世の中の事実なのだろう。脱ヲタしたがっている僕のような人間は常々、脱ヲタしさえすれば薔薇色の未来が開けると思っているが、実はそんなものは最初から無い、あってももう永遠に手に入らないようになってしまっている、既に手遅れの状態なのだろう。

僕らは、いや、僕は、脱ヲタが、閉塞した現状を打ち砕き、一度は死んでしまった心を生き返らせる唯一の手段だと無邪気に信じてしまっている。救いを求めてすがりついている。手遅れだと認めてしまえば、絶対に手に入らないと認めてしまえば、希望を失う。脱ヲタを諦める者が臆病者であるなら、脱ヲタを希望する者は、永遠に手に入るはずのない喪われた青春の幻影を追い求めて彷徨い歩く夢想者でしかない。

ファッションに興味を持ち、それを趣味として楽しめるようになるのなら、歳くってからの脱ヲタも、<ruby><rb>QOL</rb><rp>(</rp><rt>Quality Of Life:生活の質</rt><rp>)</rp></ruby>の向上にはなるだろう。だが、ファッションを趣味として楽しむつもりの無い人間にとっては、<ruby><rb>QOD</rb><rp>(</rp><rt>Quality Of Death:死の質</rt><rp>)</rp></ruby>の向上にしかならないのかもしれない。

まあ、僕は淡々と自分のQODを向上することに努めるのみです。

大人になってからの脱ヲタは難しいのではないか - Jan 17, 2006

昨日、菊地さんとまた会って少し話した。

  • 今オシャレな人でも、オシャレ意識が芽生え始めた小学校とか中学校とかの頃には右も左も分からず不様な格好をしていた。今の僕やら服装面での脱ヲタを図ろうとしてる人やらは、彼らに十年遅れで取り組み始めたのだから、最初は無様で当たり前。
  • 男のヲタは普段は一人一人バラバラで行動し、つるむとしても「趣味の分野で」つるむのみに限られる。それに対して、女のヲタは趣味以外のことについても日常的につるむ。これはヲタかどうかに関係なく、男と女のそれぞれの傾向と言える。そして、女ヲタの場合、日常的につるんでいるため、グループの中で一人でもオシャレ意識に目覚めてる人がいれば、他の人もそれにひきずられる形でオシャレ改善される。しかし男ヲタは、共通する趣味の分野以外でつるまないので、オシャレ改善はされない。(男と女どちらの性質が絶対的に良い、という話ではないことに注意)
  • 女は昔から「オシャレ」「外観」の向上を文化的に強制されてきて、良くも悪くも、オシャレが日常になっているようだ。母親からオシャレの術を伝授される例も多いという。それに対して、男のオシャレが日常化・一般化してきたのは、比較的近年の事ではないか。オシャレが日常であるという世代と、男は質実剛健が一番であってオシャレなんてもってのほかであるという世代の、僕らはちょうど狭間の位置にいるのではないか。それゆえ、このような苦しみに晒されているのではないか。
  • アニメ・マンガ系の最近のヲタは、心情的には自分は「パトロン」であるという風な意識すら持っているのではないだろうか。尤も、金持ちの本当のパトロンではなく、「なんちゃってパトロン」「プチパトロン」とでも呼ぶのが適切だろうけれども。優れた製品を作るメーカーには惜しみない投資をするけれども、出来の悪いフィギュアやアニメや興味の無い物には見向きもしないぜ、という姿勢を誇りに思っていたりするのではないだろうか。それゆえ、自分の気に入らない者が金を取ろうとする姿勢に激しく反発するのではないだろうか。(もちろん、金を払うことを強制されているわけではないのだが、自分が価値を感じていないものに値札が付いていることが、美意識的に許せないのではないか。)

「今の僕やら服装面での脱ヲタを図ろうとしてる人やらは、彼らに十年遅れで取り組み始めたのだから、最初は無様で当たり前。」この事について少し考えた。

冷静に考えれば確かに当り前なのだけれども、社会はそれを当たり前と認識するだろうか? その人が「今取り組み始めたばかりで、まだ学習中だから、無様でも仕方がない」のか、「前から取り組んでいるけれども根本的にセンスが無いから無様」なのか、ファーストインプレッションでそれをどれだけの人が見抜けるだろうか?

小学生なり中学生なりの未成年は、色々な事をまだまだ学習中の「社会に出るまでの準備期間」ということで、色々な面で未熟が許されていると僕は思う。対人スキルが未成熟な「ガキっぽい態度」であっても、子供だから仕方がない、という風に周囲も好意的に見守ってくれるのではないか。

しかし成人して社会に出た瞬間から、人は彼のことを「いい歳した大人なんだから、もう色々な事の学習を終えているはずだ」という期待をして見るようになるのではないか。失敗が、取り組み始めた時の無様さが、「大人」になってしまったら社会的に許されなくなるのではないか。無様な失敗が公に許されるのは、子供の特権なのではないか。

もし仮に僕が中学生で「脱ヲタツアー」体験記をこのような形で公開していたら、ここまでボロクソに貶されただろうか。あるいは、もし僕がこの歳でこれから絵を描くことを始め、ひどく無様で失笑すら買い得るような「美少女イラスト」を、自信たっぷりな様子で「できたよ、みてみて〜!」と公開したとしたら、親が幼稚園児を褒めるように「よく描けたね〜、上手いね〜」と頭を撫でてくれる人がいるだろうか。否、許されまい。具体例を挙げるなら、ネットウォッチ板のヘタレ絵スレ(下手なイラストをウォッチするという趣旨)にすらリア消〜リア工のヘタレ系は×(小学校から高校生までで絵が下手なのは許容する)という但し書きが付いているが、これは言い替えれば、いい歳した大人が無様な様子を晒していれば嘲笑われて当然であるということではないのか。

「脱ヲタ」には金がかかる。慢性的に金欠なヲタにとっては、大人になって収入が増えてからが「脱ヲタ」最大のチャンスだろう。だが、大人になってからの脱ヲタは、いい歳した大人が無様な格好を晒すこととなり、嘲笑に晒される。ナイーブなヲタはそれに耐え切れない。脱ヲタを望みながらも動き出すことが難しいのは、それが一つの理由なのではないだろうか?

理想型をイメージすること - Jan 08, 2006

某所で、ファッションとか考えずに純粋にどんなカッコがしたいか、どんなのが好きか、と問われて、何となく出てきたイメージ。

「IT系っぽい頭良さそうな感じ。すらっと細く見えるのが理想。」

というかなり漠然とした言葉から紹介されたモデルさんの例がええなあーと思ったので冗談で首だけ合成してみましたよ。 どこのブランドなのかとか全然知りません。(合成写真)

うは。なんかワロける。服と顔の国籍が合ってねえ! でもまあこうやってイメージ固めてくのって大事なのかもなと思った。

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