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大人の脱オタは、若者のそれと比べ、ローリスク・ローリターンである!を見て。なお、以下の文脈では「脱ヲタ」を主に服装・概観面での向上の意で用いている。
以上のような理由から、Masao氏は「若いうちの脱ヲタはハイリスク・ハイリターン、歳をとってからの脱ヲタはローリスク・ローリターンである」と述べている。
つまり、歳くったら脱ヲタなんてやってもムダ。
確かに言われてみればそれが世の中の事実なのだろう。脱ヲタしたがっている僕のような人間は常々、脱ヲタしさえすれば薔薇色の未来が開けると思っているが、実はそんなものは最初から無い、あってももう永遠に手に入らないようになってしまっている、既に手遅れの状態なのだろう。
僕らは、いや、僕は、脱ヲタが、閉塞した現状を打ち砕き、一度は死んでしまった心を生き返らせる唯一の手段だと無邪気に信じてしまっている。救いを求めてすがりついている。手遅れだと認めてしまえば、絶対に手に入らないと認めてしまえば、希望を失う。脱ヲタを諦める者が臆病者であるなら、脱ヲタを希望する者は、永遠に手に入るはずのない喪われた青春の幻影を追い求めて彷徨い歩く夢想者でしかない。
ファッションに興味を持ち、それを趣味として楽しめるようになるのなら、歳くってからの脱ヲタも、<ruby><rb>QOL</rb><rp>(</rp><rt>Quality Of Life:生活の質</rt><rp>)</rp></ruby>の向上にはなるだろう。だが、ファッションを趣味として楽しむつもりの無い人間にとっては、<ruby><rb>QOD</rb><rp>(</rp><rt>Quality Of Death:死の質</rt><rp>)</rp></ruby>の向上にしかならないのかもしれない。
まあ、僕は淡々と自分のQODを向上することに努めるのみです。
確かに私も社会人になってから、カラーリングしたり、コンタクトに換えたりして、イメチェンを狙いましたが、周囲の私を見る目が著しく変わったとは思えませんでした。学校という空間や、クラスメートという人間関係は、本当に特別な環境だったと思います。
ただ、ファッションと脱オタを同義語で見るには危険かもしれません。
オタクという言葉は(いわゆる蔑称としてみた場合)、顔立ちや性格、動作、口癖など先天性の強い個人の特徴に向けられることも多いため、ファッション面だけでの脱オタは難しいかもしれません。
菊池さんの例の著書を見ました。イラストメインだったため、空気が伝わりにくいのと、地方性や趣味が過分に現れており、参考にしづらい印象を受けました。
業界畑の方は無意味にブランド押しをしますが、プロの目がすべてじゃないので、好きなものを好きに着る、が一番いいと思います。ファッション誌でもダサいものはダサいので。
すいません、ちょっと悲観的に書きすぎました。
Piroさんも書かれているように、あの記事では、「脱オタ=ファッション改善」として書いたのでああいうことになってるんです。つまり、「大人の脱オタ」では、学生時代よりも「ファッション(外見)」の比重が低く、プラスアルファが必要になってくるってことです。
僕が考える「プラスアルファ」は、「出会いを増やす」ことです。つまり、「外」へ出ても劣等感を感じない、馬鹿にされない外見を身に付け、そのうえで様々な人間に会い、「経験」を積む。たとえば習い事を始めるとか、もっとハードにやるなら転職するとか。
服飾面だけでなく、ここらへんまで含めて「脱オタ」だと考えれば、「大人の脱オタ」も、充分な成果を挙げることができると思いますよ。僕が脱オタを決意したのは23歳でした。Piroさんもそれくらいの年齢かと思うので(違っていたらすいません)、まだまだ大丈夫!
このへんのことを、次回の記事で書こうと思ってたんですが、予告を入れ忘れてしまいました。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-01-19_lostdays.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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