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「不幸せ感・辛い感情を感じさせるには、わざわざそういうものを与える必要はない。幸せを与えておいて、ただ、それを奪えばいい。」ということなのかなあ、この二つのエントリが電撃的に頭の中で結び付いてしまった理由は。前者は、自分が主体となってそれを実感した例。後者は、その節によって説明可能な事象の例として。
おもちゃマニアが結婚相手を探す方法を考えるスレ よりの抜粋の以下の言葉が鋭いと思った。
本心は人嫌いであっても表面的な人付き合いは上手にこなしておくべき。
その延長線上に恋愛や結婚やSEXがある。
普段の人付き合いは最小限度に留めて恋愛だけ上手くやりたいなんて無理。
「虫がいい」というフレーズが真っ先に頭に浮かぶ。
昨年知ったハリウッド映画「40歳童貞男」が9月に日本でも公開されるんですってね。
こりゃあ見なきゃいかんな!
童貞もしくは童貞マインドを持った男のみ参加可能なトークショー+試写会というのが行われるらしい。童貞エピソードを添えて応募しろとあったので奮って応募してみたよ。エピソードらしいエピソードがないのでほぼ自分語りになったけど。
「で、お前って童貞?」「今まで何人ぐらいと付き合ったんだ?」というありがちな質問に対してどう答えるべきか? という問題。
僕にしてみたら、こんな事怖くて怖くて訊けないよ……今時、僕より年下で大勢とやりまくった挙げ句にできちゃった結婚だとかそんなのも珍しくないだろうに、石を投げれば僕より圧倒的に経験豊富な人間にボコボコ当たりまくるだろうに、訊けば逆に自分の方が優越感ゲームの敗者になることがほぼ確定事項であるというのに、どうして今目の前にいる相手が「そうでない例外、自分よりも下位の存在」と断定できるだろう。いや、できない。(反語)
だから、こういうこと訊けるのはいつでも心理的に優位に立てる人間だけなんじゃないかという気がする。こういうこと訊いてもキレないだろう、とか、こいつの経験人数は俺より絶対下だ、とか、そういう「慢心」がなければ発せないんじゃあないか? こういうこと訊かれる時点で人としてナメられてんじゃないの? と思う。
性の低年齢化から亡国までの道のりで紹介されていた、恋愛・性的コミュニケーションというのは本来は人格的に成熟した人間同士の行う高度なコミュニケーションなのに、恋愛が低年齢化したせいで未成熟な人間が手を出す例が増えてしまい、人格が成熟しないままダメな大人になってしまう、という話。
現実に恋愛したかどうか、容姿改善だとかデートだとかそういうことにリソースをつぎ込んだかどうか、という目に見えるものに限らず、恋愛というものに対して関心の大部分を奪われてしまってその他のことが手に付かなくなる、ということも言えると思う。というか自分がそうだし。いつもいつも非モテとかそういう話題ばっかで、その間他の思考は綺麗にストップしてるわけだから。
そんな風に恋愛に対する興味(女性にどう思われるかといった方の話ではないので注意が必要。そっちに興味があれば、彼女イナイ歴22年11ヶ月なんてことにはならないだろう。)をずっとくすぶらせて地味にリソースを浪費し続けて現在に至ったわけだけれども、それで人格が未成熟なままついに僕は現実に恋愛に手を出してしまって――もしかしたらそれは「恋愛ごっこ」の範疇に収まるようなものでしかないのかもしれなくて、何故ならそんな未成熟な人間のやることだから「ごっこ」でない方がおかしいくらいなのであって……
そう考えると、なんつうか、お先真っ暗って感じですNE!
ネタとしてはいささか旧聞。
確かにそう考えてしまうところがないこともないなあ。
「ルックスが良い人には彼氏がいるに違いない、ルックスがそこそこの人ならフリーなんじゃないか」と考えるというのは、逆に言えば、自分が相手をルックスでしか評価してない(ルックスが評価の第一軸である)ことの表れでもあるんだよね。「性格良い人には彼氏がいるに違いない、性格がそこそこ悪い人ならフリーなんじゃないか」と考えたことがあるのか? と問われたら、まあ、NOだなあ。ああ、我ながら底の浅い人間だ……
ついでで別の童貞話も読んだ。
非モテメンタリティから脱して幸せに生きるためには、彼女を作るとか結婚するとか童貞を捨てるとか子供をつくるとかそういうのは対処療法でしかなくて結局の所、己の内面化された恋愛至上主義を捨て去り価値観の転換を図るしかないのではないだろうか、と思う。人生初の彼女ができても月1しか会えずさらに1年と経たずにリアル遠距離となり電話は常にNG連絡はメールのみという状況で、僕は非モテメンタリティから完全に決別して毎日を幸せ一杯に生きているとは、主観的には、なかなか思えない。
その苦しみを与えているのは他ならぬ内面化された恋愛至上主義、あるいは「理想的恋愛像」だ。恋愛関係なら電話で話して当然、恋愛関係なら悩みを相談しあって当然、恋愛関係なら記念日を祝いあって当然、恋愛関係なら○○して当然……そんなどうでもいい「ルール」を内面化してしまっているせいで、そんなことは達成される方が珍しいというのに、達成されないことで勝手に苦悩している。
下手をすると、今の方がその苦しみをより強く感じている可能性もある。「絶対に手の届かないもの」に対してなら諦めもできようものが、「もしかしたら手の届きそうなもの」となるとついつい勝手な期待を膨らませてしまい、それで勝手に落ち込んで、落差の大きさに苦悩することになる。
恋愛に類することのプライオリティを高く設定しすぎているからそうなる。プライオリティを下げればよいのに。「彼女の(彼氏の)ことなんて後回しだ」そう迷い無く言ってしまえるよう、考え方を改めればよいのに。それをやせ我慢でなく完全に内面化された本音として語れるようになればよいのに。
僕の場合、それに気付いていてもなお妄想を捨てられないのが、輪をかけて酷い点なのだけれども。
アメリカで行われたアニメ・エキスポで電車男(映画版)が上映されたらしい。
電車男の映画を見終わった後で高校生の一人が「こんなのやっぱり夢物語。ギークに恋人はできないんだ」とつぶやいた
というエピソードに全米が泣いた。
よっぽどの幸運を除き、待ってるだけじゃあ機会は訪れない、ということは言えそうな気がする……特にこの業界(何処?)みたいに男ばっかりの所では。