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「頑張れ」と言えない相手がいる。「頑張れ」と命令するに値するほど自分の方が頑張っていると言える自信がない。「頑張れ」と焚き付けるほど「頑張っていない」ところがある、まだまだ「頑張れる」はずだ、と無責任に言ってしまえるだけの自信がない。「頑張れ」と言うことが相手にとって悪いプレッシャーにならないと言える自信がない。
……と考えるのは考え過ぎなのだろうか。もっと軽々しく、何も考えずに「頑張れ」と言うべきなのだろうか。「いただきます」「おはようございます」「こんにちは」「ありがとう」といった言葉の「本来の意味」にまで誰も気を留めないのと同様に、「頑張れ」についても言葉の意味まで深く考える必要なんてないのだろうか。
応援したいんだけどなぁ。
楽しみにしてる。次のはまだ?
鬱の人には言っちゃダメ
そうなんですよね。
鬱の人相手に「頑張れ」は禁句だということは知っているので、それ故になおさらという感じ。
「無理しないでね」とか「できるだけ休んでください」でもいいのではないかと思いました。
要するに、
「貴方のことを軽んじていない・大事に思ってる人間がここに一応居ますよ」
「貴方のことを(存在を・仕事ぶりを・成果を)それなりに認めてますよ」
という情報を、かすかにほんのり伝える ―― ただそれだけで充分に応援の言葉になりえるんじゃないでしょうか。…違うかなぁ。
「全ユーザにデフォルト設定を押し付けるのはおかしい」…ということが、PCの世界では当たり前だと思うのですが、これが人間の世界になると、「デフォルト設定を押し付けるのは当然」「デフォルト設定を受け付けない人はもはやユーザにあらず」になってしまうのかとも思います。
ユーザに合わせて言葉をカスタマイズするのは、別におかしいことじゃないと思うんですよねえ。
別に自分が応援したいなら頑張れって言っても良いんじゃないでしょうか?
実際に私はどんな人から言われても嬉しいですし、応援してくれてるって思うだけで頑張れるものですよ♪(まあ、私が頑張るの好きなだけかもしれませんが・・・)頑張れって別にそんなたいそうな言葉ではない気がします。相手を思いやってるっていう証なだけではないでしょうか?
>>haseru
なぜうつ病患者に「頑張れ!」は禁句なのか?
http://www.xsunx.org/columns/6ba_medical/UtsubyouKanja_GanbareKinku.html
わかりやすい喩えを使って説明されてるページですので
目を通していただければと思います。
「読むのめんどくさい」とか言わないで…頑張れ! ;-)
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2006-07-07_yell.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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