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初詣の時に偶然出会った方との帰り道で話していた時に、自分の事ばっかり話してしまっているなあと思いながら、それでもやっぱり自分の事ばっかり話していたんだけれども。
よく、ヲタは承認欲求が強くてとにかく「見て見て!!」と他者の迷惑を顧みず自分を押しつけたい衝動のままに喋るから自分語りばっかりになるんだ、というけれども、それだけじゃないと思うんですよ。
なんていうかね、聞き方がわかんない。どうすれば自然に相手の手持ちの話題を、相手が不快に・不安にならない範囲で引き出せるよう水を向けられるのか、分からない。どう聞けばいいかわかんない。なのに沈黙は怖いから、その沈黙を埋めるために、自分から喋るという道を選択してしまう。自分語りで。
それにさあ。ホットリーディングで相手の個人情報を引き出して詐欺にかけようとする人って、いそうじゃないすか。あからさまに根掘り葉掘り訊きまくるのはもちろん怪しいけど、一見柔和な人当たりのいい人を装って実はどんな餌なら食いつきそうかを慎重に調べてる、そんな人だっていそうじゃないすか。そう思うと、何を訊くのも怖くなってしまうんですよ。何か訊いた瞬間に「なんだこいつ、初対面のくせに個人情報を訊き出そうとして……こいつ怪しいぞ」って思われるんじゃないかって。疑われるんじゃないかって。だったらまだ、自分の事ばっかり一方的に喋る空気の読めないバカ、の方がマシなんじゃないか?ってちょっと思ってしまう。見くびられる方が、疑われるよりいいんじゃないか? って。
ちなみにこのエントリのタイトルは最初「ヲタは何故~」だったのですが、僕個人の例だけを挙げて一般化するのは宜しくないなと思ってこのように改めた次第です。コンテキストとしては「会話する時にどうして人の話を聞かずに自分の事ばっか喋るわけ?」っていうのを意図してましたが、このタイトルだとなんだかWeb上での発言一般の事を指してるようにも読めますね。内容まで読めばそれは誤解と分かるとは思いますけれども。
別に相手と有意義な情報交換をしたいわけではないでしょう。ただ「私はあなたを路傍の石だとは思っていませんよ」という意思表示のために会話をつなぐ。よほど特殊な背景の持ち主ならインタヴューにも力が入るでしょうが,ふつうの人から出る情報は「ありふれてる」し「つまらない」。与える/得るものはあまりない。おそらく数日後には忘れてしまうでしょう。それでも,そんなことは百も承知で,暗黙のうちに目配せしあって,お互いに興味があるふりをしてノイズを受発信する。
この儀式性を認めず,「誠実に」相手から話を引き出そうとするから詰まるのではないでしょうか。相手が話せる話題であって,かつ自分の琴線にかかるもの,という二重の絞込みがかかってしまう。後者のフィルタを外してしまえば選択肢が広がるのでは。それこそ天気でも犬でもいい。
私の場合,会話に意味をもたせよう,という努力を放棄したとたん,会話がずいぶん楽になりました。周囲からは社交的になったとの評判です。
>相手が話せる話題であって,かつ自分の琴線にかかるもの
どちらかというと、「相手が話せる話題であって、その相手ならではのユニークなもの」というフィルタリングを行っている気がします。自分の場合は。
誰に聞いてもその人個人と全く結び付かない事ばかりを訊いても、それはそれで失礼なのではないか……と。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2009-01-03_talk.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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