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ある意味非常にヲタらしい行動 - Dec 24, 2005

一般にオタクは、自分の見える・自分の見ている範囲のことだけにしか目を向けなくて、それ以外のことには疎いという傾向があると言えるだろう。

例えば僕は、今はやりの芸人の名前をほとんど知らないし、今週もっとも売れたCDが誰のものなのかとか、今冬どういったファッションが流行なのかとか、全然知らないし、知らなくて支障を感じていない。それらの情報が無くても成立する閉じた世界だけで生活する、絵描き同人オタクだからだ。

また、自分の世界の価値観を他の世界の人にそのまま押しつけがちであるというのも、オタクの特徴の一つだろう。「自分が好きな作品の、オタク視点から見ての素晴らしい点」を無理解な人にとうとうと語ったりというのは、その典型だ。

だが「他の世界の人との関わり方」という点に注目してみると、マジョリティのオタクとマイノリティのオタクとでは、明らかに異なる点があるように思える。それは「他の世界の人に自分達がどう見られているか」への関心の有無についてだ。

思うにこれは、マイノリティのオタクが身に付けた護身術の一つなのではないだろうか。

殺人犯・宮崎勤がたまたまアニメや漫画を趣味としていたことで、マイノリティであったアニメ・漫画オタク達が、皆殺人鬼であるかのように語られた時代があったと聞く。コミケ会場まで出向いて、TV越しに「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と言い放ったTVレポーターまでいたという。この状況下でアニメ・漫画オタク達は否応なく、「アニメ・漫画オタク以外の一般人」から「無害な存在」として認識されるよう努める必要性に迫られた(「一般人がアニメ・漫画趣味そのものと犯罪との関係についての認識を改めるよう努める」のがもちろん正論であり本来望ましい行動であるが、マジョリティの支持を得てもはや事実上の真実と化してしまったこの言説は、マイノリティの手で全面的に覆すことは不可能である)。

マイノリティのオタクは、圧倒的に弱者だ。それ故、常にマジョリティの顔色を窺っていかなければならない。もしそれを怠れば、宮崎勤と結びつけられ吊し上げられアニメ・漫画オタクと同様、社会的な抹殺に近い仕打ちを受けることになる。

だがマジョリティのオタクは、そのような恐れを抱く必要がない。弁明のチャネルはいくらでもあるし、そもそも「自分までもがその範囲に含まれる」カテゴリを丸ごと攻撃対象と名指しする人間はそういない。マスコミで吊し上げられるのは決まって、「アニメ・漫画オタク」「フィギュアオタク」「ペルー人」「建築業界」のように、マスコミ自身の本質が絶対に含まれないカテゴリだ。マジョリティはマジョリティであるというただそれだけの理由で、攻撃の対象から外される特権を有しているのだ。

だからマジョリティのオタクは、最初に挙げたような「オタクの忌避すべき傾向」を、隠すことも改めることもなく丸出しにして、他の世界の人間(=マイノリティ)に対して露わにするのではないだろうか?

そんなことを、Kammy+氏のエントリに未だ新たに書き加えられていくコメントを見ていて思った。

電車男スタイリング・バイブル - Dec 22, 2005

Kammy+氏のレビューに乗っかってあれこれ書いてたけど、きちんと目を通してからでないと批判する資格は無いと言われるのも何なので、税込み999円出して買ってきましたよ電車男スタイリング・バイブルAmazon.co.jp)。

さて通読してみた感想はというと、概ね購入前の印象と同じだ。とはいえ、立ち読み段階で読んでいなかった部分については、想像していたよりも、対象読者である「現在オシャレでないが、オシャレになりたいと思っている人」に対して好意的なスタンスで書かれているようには思えた。少なくとも、悪く言おうとしてそう書いたわけではないのだろうということは何となく分かる。

ただ、この本のコンセプトを「電車男と呼ばれるような人も含めて、オシャレになりたい人に届けたい(A)。その人たちはこういう内容の本を求めているはずである(B)。」と2段階に分けて解釈すれば、Aから導かれたBの内容がAの実態に即していない、という感想については、通読する前後で変化はない。例えて言うなら、「熱意は分かるけれども、バットの振りどころが外れてるなあ、所々ではキャッチャーの頭をぶっ叩いてしまってたりもするなあ」といったところだろうか。

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地雷をばらまく人 - Dec 21, 2005

まあ最近、余所様のサイトのコメント欄にまで出しゃばって偉そうなこと書いてるけどさ。

女性ブログのキャバクラ化わたしがサービス提供者です と読むと、自分のしてることって大概こういうことなんじゃないのって気がしてきた。すなわち、聞いてくれる人にタラタラ持論を垂れ流して、その人およびその人に関わる全ての人に迷惑をかけまくるという。

自分の城から外には出ないようにしたいんだけどね。そうしてれば少なくとも、ここまでわざわざ地雷を踏みに来る人以外には被害を及ぼさずに済むから。

脱ヲタとファッション - Dec 21, 2005

ファッション界の人は、服のファッション性について「楽しむもの」「自分から関わるもの」という認識で考えているようだ。対するオタク非オシャレ陣営は、服のファッション性を「人に嫌われないための手段」「迫られてやらされるもの」と認識している。この差は大きい。

こういう状況で「ファッションを楽しみたいと思っているオタク非オシャレ」を探したって、そんな人はいるわけないのだろう。ファッションを楽しむという視点は、ファッションに対して恐怖感や嫌悪感を抱いている人に、宿るはずがない。

言い換えれば、恐怖感や嫌悪感さえ取り除くことができれば、オタク非オシャレであってもファッションを楽しむことは可能なのかもしれない。実際、「脱ヲタして以来、ファッションが楽しくなった」という人もいると聞く。

その過程を無意識のうちにすっ飛ばしてしまったところが、件の本の問題点であり、そして、世間と非モテでの見解の食い違いの原因である、という気がするのだが。

なんか - Dec 21, 2005

知らん間に名前出されてプロジェクト化してますか?

なにこのネタ人生。

ファッションに見る価値観の相違と、不用意に口出しすることの危険性 - Dec 19, 2005

【レビュー】『電車男スタイリング・バイブル』のコメント欄がちょっと面白いことになってる。

「アキバ系をオシャレに改造!」みたいなノリの本について、おそらく想定されていたであろう読者層のKammy+氏が辛辣なレビューを書き、そこに著者の人がコメントを付けて……という展開。

コメントを見て著者の方が色々カルチャーショックを受けているところが興味深い。オシャレ側の人は基本的に、オシャレは楽しいもの、服選びは楽しいものという価値観を持っているから、「いかに無難な服を選ぶかに必死」「服選びなんて苦痛で仕方がない」というマイナス思考の非オシャレ側の考え方をなかなか想像できない。また、「オシャレはみんなのもの」と彼らは思っているけれども、非オシャレ者にとってオシャレとは自分の容姿を嘲笑い攻撃する口実に使われるものでしかなく、つまり「敵の文化」として捉えられている、ということも。

これらの価値観の相違を認識しないままに「キミもオシャレになろうよ!」と呼びかけても、その呼びかけが届くことはない。なぜなら、勘違いで呼びかけているにすぎないから。あるいは、善意で呼びかけているつもりでも、受け取る側には「小馬鹿にされた」としか感じられない。いや、事実、小馬鹿にしているも同然だろう。目線を合わせて理解する努力を怠って、頭ごなしに語っていたのだから。

モテ界に生まれ育った人は、オシャレ界に生まれ育った人は、軽い気持ちで非モテや非オシャレに触ろうとすると火傷することになる。非モテも非オシャレも、想像よりずっと深い心の闇を抱え、想像よりずっと複雑な人間性を有している。高みの安全圏からものを言いたいだけなら、マスメディアだけに閉じこもるのがいい。マスメディアには検閲されないコメント欄もトラックバックpingもない。ただ送り手によってコントロールされた情報があるだけだから。双方向のコミュニケーションが容易で、且つ、その内容が第三者からも見て取れる、Webとかblogとかそういったメディアを軽い気持ちで使おうとすると、火傷することになる。

まあ敵とか味方とか、あっちとかこっちとか、考えるのがそもそも間違ってるというかおかしいことなんだというのは、正論なんだけれども。土曜日の結婚披露パーティでの司会の芸人さんの何気ないラブハラスメントのように、敗者を貶して笑いを取ることが常態化し、且つそれが自然なもの・奨励されるべきものとして受け入れられているこの世の中では、コンプレックスは増幅されこそすれ、解消されることなど無いのではないだろうか。だから、脱ヲタした人がヲタを馬鹿にするといった、コンプレックスを引きずったままの行動、敗者への攻撃の再生産が起こるのではないだろうか。

電車男がウケたのは、そこに流れる童貞非モテアニオタマインドにそれなりのリアリティがあったからだと思う。物語の素性が明らかになっていなかった頃、これを無条件に受け入れてしまった者は少なくなかったはずだ。

おしゃれの話について思ったことから、非モテ話につなげてみたっていうか、妄想が炸裂してきた - Dec 15, 2005

【レビュー】『電車男スタイリング・バイブル』に書き込んだコメントからの発展。

服装に無頓着でいわゆる「アキバ系」だったのが、服装を改善しようとし始めたときに、「うわー、いかにも脱オタ真っ最中ですって感じだね。ぶっちゃけ似合ってないよ。センスなさすぎ。」とか言われた時、どんな行動に出るだろうか。

  • センスある人は、そんな風に馬鹿にされるような酷い選択なんか、最初からしないんだろう。
  • 自分に自身のある人は、「なにくそ」と思って発奮するんだろう。
  • 素直な人は「まあ始めたばかりだから仕方ないよね……指摘に真摯に耳をかたむけて改善していこう」と思うんだろう。

僕は、きっとそうはならない。

  • 自分に自信がないから、「ああやっぱり自分は服装に興味持っちゃいけないんだ……」と意気消沈してやる気をなくしてしまうだろう。
  • そのくせ自意識過剰の見栄っぱりだから、「こいつらに教えを乞うことだけはできない……っ!」と意地を張って、自ら改善のための情報源を絶ってしまうだろう。
  • そして、自己顕示欲の塊だから、「こんな風に俺を痛めつける世間は間違ってる!!」と声高に叫びだすだろう。
  • それでいて寂しがりやの甘えん坊だから、「そんな俺のありのままを受け入れろ!!」とか「俺でもオシャレになれるようにお前らは八方手を尽くせ!!」とか言いだすだろう。

このように、僕のように性根のねじまがった人間が、恋愛のことについて語りだしたのが、「非モテ」問題の一つの正体なんじゃないだろうか。と、ふと思った。

見捨てられることの恐怖におびえること - Dec 13, 2005

「突然フラれるんじゃないか」とビクビクするのは、考え方が間違ってるんだよね。ケンカにならずに突然そうなる時点で、多分もう、終わってるんだと思う。

突然「サイテー!」と言われてそれっきりになってしまうのと、怒られ詰られ泣かれ叱られ……というのと、どっちがいいのか。後者を「うざい」と思ってしまうようなら、むしろ自分の方が終わってる。

常々思ってることだけど、社会人って基本的に他人に対して無関心なものだ。これは非難するべき事じゃあない。自分で自分の人生の舵を取るのは大変なことだから、他人にほいほい奉仕してたら身がもたない。必要最低限以上は、他人のためになんて動かないのが当然だ。

だから、他人は叱ってくれない。こちらが間違いを犯しても、「ああこいつは使えない奴だな」と判断して以後のつきあいを控えるようになるだけで、わざわざ間違いを正して教えてくれたりなんかしない。色々教えてもらいたければ、対価を払わなくてはならない。対価無しで教えてもらえる特権は、子供にしかない。否、親がその対価を肩代わりしてくれているにすぎない。本当に対価や打算無しで色々教えてくれるのは、自分を愛してくれている親だけなんだ。

逃げ出さずに、自分の何がいけなかったのかを叱って教えてくれるということは、それだけ、自分のことを特別に思ってくれているということなんだ。そのことを認識しないといけない。どうでもいい人間なんだったら、相手だって叱ってはくれない。叱られないって事は、どうでもいいと思われてるって事だ。叱られなくなった時点で、もう終わってるんだ。

見捨てられて終わってしまうのではなく、終わってしまってるから見捨てられるんだ、ということを、見捨てられることそのものだけを恐れる前に、思い出すべきなのだと思う。

彼女ができるということ - Dec 12, 2005

「彼女ができる」というのは、例えて言うならば、スポーツで、競技会の場においてスタートラインに立つようなものだと思う。

スタートラインに立つまでには、実力を付けるための日々の練習が必要だろうし、運も必要だろう。レギュラーになるために、代表選手に選ばれるために、皆、自分を高めたり、ライバルを蹴落としたり、神に祈ったり、様々な努力をする。その果ての勝利の栄冠が、競技会のスタートライン。だから、スタートラインに立つまでに至れなかった人と「比べれば」、「勝っている」と言えるかも知れない。

けれども、自分の競技人生全体を考えれば、その比較はほとんど無意味だ。スタートラインに立った瞬間に、また別のステージが始まっている。これからまた走らなくてはならないのだ。スタートラインに立っただけでもう勝ったも同然、だなんて思ったら大間違いだ。

本当に当たり前のことなんだけど、そのことを忘れちゃいけないよね。

いや、「だから先まで見据えて計画的に生きなくてはならない」とかそういう話じゃあなくって。どこかで最終目標を切ってしまったら、その目標を達成した時点でもう何もできなくなってしまうだろう。最終目標とかそんなことを考えない方がいいんだと思う。何かに向かって頑張るというよりも、頑張ることそのものに意義を見いだすのが、人生においては重要なのではないかと思う。

本当に当たり前のことなんだけどね。

文系理系無系 - Dec 10, 2005

よく、「自分は理系じゃないから」とか「自分は文系ですから」とかいうセリフを見かける。文脈にもよるけど、たいていの場合、「論理的思考をするのは理系」「文系は理系より頭が悪い」というニュアンスで使われているような気がする。

益田ラヂヲ氏が「自分は無系だ」とか「物語性の不在こそが非モテ」とかおっしゃってたけど、少なくとも学の無さについて言えば、僕はまるっきり無系だ。

高校では何をトチ狂ったのか理系コースを選択し、卒業までついぞ赤点の領域から抜け出すことができず、自分に理系的センス――数式を解くことや物理法則に美を見出すことの素養の無さを痛感した。このことからも、「理系」でないことは明白だ。

工学系の大学を出たとは言っても、学科はメディア系で、入試には数学の試験が無く、卒論だって「卒業制作」という形で選択制(卒論・卒業制作をしなくても卒業できる)、選択した上で出てくる制作物もおよそ大学のレベルとは思えない、そんなとこを出たにすぎない。

だから、理系の論理的思考も、文系の文学的知識も哲学的思考も、僕には全くない。あるのはせいぜい雑学程度のものだ。

僕のことを理系とかなんとか云う人は、その目で一体何を見てるんでしょうね。

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