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の動向はもえじら組ブログで。
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帰宅が遅かったり外で食べてきたりとここ1週間ほど自炊をサボっていたのですが、久しぶりに早く帰れたので、冷蔵庫の中にあるものを片付けることにしました。
……もやしがなんかヌルヌルしてるよ?
捨てるのはもったいないから洗って野菜炒めにブチ込んだ……というかほとんどもやし炒めみたいな量になってしまった。とりあえず晩に半分、明日の朝にでも残りを食べるつもり。
もしも更新が止まったら、「当たった」ものとお考え下さい。
ちなみに昨日は、ブロッコリーが白い液体を吹いていて指で触ったら「ぐずっ」とか「ぞるっ」とかそんな擬音を付けたくなるくらい全く抵抗無く形が崩れていました。これはさすがに食べる気にならなかったので捨てました。
最初の数日は外食8割という感じだったけれども、少しずつ自炊にも取り組んでますよ。
サントリーのポーションを買ってきた。ファミマの栄養ドリンクの棚に置いてあった。普通にアホな人用(120mlで税込200円の通常版)と、アホが極まってるハイレベルな人用(100mlで税込630円、特殊瓶・飾り栓・カード付きの限定版)があったけど、当然ながら、アホが極まってる人用の方で。
んで、感想。普通に栄養ドリンクっぽい味ですた。いじょ。
これを不味いと感じる人はアンデッドという説があるそうだ。
におわない納豆料理は、ニオイという納豆の特徴的な良さを排除つまり「素材を殺して」いるのか、それとも、ニオイによって殺されていた納豆の他の良さを引き出して「素材を生かして」いるのか?
そこは表現次第、受けとる人次第ではある。ただ、世間一般では、納豆の良さはニオイではなく味や栄養価の部分にあって、ニオイは大事な要素ではないとされている。だから納豆のニオイを消すことは世間一般では良いこととされる。
でもそれは、そんな世の中の風潮は、臭う納豆が大好きで納豆の真価はニオイにこそあると思っている人には、耐え難いものだろう。あるいは、納豆は食べるのではなく他の使い方をするのがベストだ、とか、納豆は見て楽しむものだ、とかそういう価値観の人であれば、食べるために納豆をあれこれするということ自体がもう我慢ならないことだろう。
「俺は納豆を食うという価値観に世の中が無条件に染められていることに納得がいかんのだ。食うためにどうこうするという価値観を誰彼構わず押しつけることが許せんのだ。食えない納豆は存在を否定され、食えない納豆を好む人間も排除されるという世の中が許せんのだ。」
hazama-hazama氏の発言の意図はそういうことではないかと、僕は見ているのだが、どうだろう。外していたらツッコミを入れて誤解を解いてほしいんだけど。