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宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
ビーチスターズ 1(作:森尾正博)(Amazon.co.jp)
たまごまごごはんというサイトの書評を見て、読んでみた。
美少女が砂の上で裸足で飛んだり跳ねたりするビーチバレー漫画。制服で裸足で胸元はだけてパンツまる見えで、と、要素だけ聞くとエロい。でも主人公のキャラがあっけらかんとしてるから実際はエロくない。不思議。
内容の方は……うーん……ちょっと期待はずれかも。主人公がいきなり超人過ぎて、僕はあんまり感情移入できなかった。これよりは、ボンクラがちょっとずつ開花していく展開の「ガンバ! Fly High」の方が好きだ。
2巻も読むかどうかは微妙なところです。
「怖い話」短編集。短編も短編、一話あたりほんの4ページほどで終わったりもする。その短い間に「ゾクッ」と背筋が寒くなる話が詰め込まれている。タイトルの通り、身の回りに「不安」を感じるようになってしまう。そんな作品。あまりに各エピソードが短いから、説明が全然無くて、でもそれが却って、突き放されたような感覚があって怖い。
「+」の方が個人的には怖かったかな、と思うんだけど、単にそれが「不安の種」シリーズで一番最初に読んだ物だったからなのかもしれない。
しかしまあ、小さい頃だったらこういうの読む時は絶対全て照明つけっぱなしのドアはしっかり閉めーの布団を頭からかぶりーのという感じで、「得体の知れない何か」が自分の耳の後ろに忍び寄ってこれない状況を作ってからでないと読めなかったけど、独り暮らしで真夜中に窓(網戸)もキッチンへの引き戸も開けっ放しで読めるようにいつの間にかなっているんだから、人間ってすごいな。
闇金ウシジマくん 9(作:真鍋昌平)(Amazon.co.jp)
現代のリアルホラー、ウシジマくんの最新刊だよ! でも丑嶋社長の出番、最後の方だけだ……
前の巻で始まった、パラサイトシングルニート・宇津井のエピソードの完結編。家を追い出されたり、ネカフェ難民になってみたり、ゲストハウス住いのアルバイターになってみたり、ゲストハウスを追い出されたり、ホームレスになってみたり、オヤジ狩りに遭って殺されかけたり、どこまで墜ちるんだよっていう墜ちっぷりの果てに辿り着く結末。
「馬鹿な他人の話」と見るか、「将来もしかしたらそうなるかもしれない、自分自身の姿」と見るか。僕は恐ろしさに身震いする方です。
書店で序盤だけ立ち読みできるようになってて、気になったので買った。
カイジとかそれ系の話を想像してたんだけど、途中から方向が変わっていった……アクション色とエンターテインメント性が強い感じ。
続きが気になるから今後も読むと思うけど、激しくお薦めという感じはあんまりないかな……
いちごの学校(作:きづきあきら+サトウナンキ)(Amazon.co.jp)
ヨイコノミライの作者の作品ということで気にはなってたんだけど、組長が紹介されていたので、自分でも見てみた。
元教師で、教え子の女子高生を妊娠させたことが原因で失職して電器屋店員として再就職している主人公。元教え子の妻は今では一応専業主婦。これに産まれたばかりの娘を加えた3人家族が中心となっている。教師・女子高生時代のエピソードと、失職後のエピソードとを織りまぜながら、この家族の、主に夫婦二人の心の動きを、主人公の視点から描く。
普通の恋物語だったら「いろんな苦難を乗り越えて二人は幸せになりました。めでたしめでたし。」となって、乗り越えた後の苦難に対してはきれいさっぱり忘れたり割り切ったりで、みんな「カッコイイ」生き方に辿り着く……というのが定番なんだろうけれども、本作では、夫婦二人とも未練たっぷりで非常に格好悪い生き方のままエンディングを迎えている。
多分、現実によくあるリアルな恋愛がここには描かれているのだと思う。少なくとも僕にとっては、共感可能な「リアルさ」がある。つきあい始めて2年以上が過ぎて今なお自分の中で消化しきれていない、手の届かない物への醜い嫉妬であるとか、取り返しの付かない物への下らない執着であるとか、そういう負の感情をいつまでも心の中に持ちつづけてしまうような人間は決して物語の主役を張れるような器ではないのだろう、そういう人間にフォーカスを当てた作品なんてものは無いんだろう、と思っていたんだけれども、これはそういう作品だった。
救いは無い。この先にあるのは絶望だけなのかもしれない。でももう逃げられない、この道を歩き続けないといけない。罪を背負って償い続けないといけない。赦されることは無い。癒えることのない傷を抱えていかないといけない。
きづきあきら氏という作家はこういう、人が目をそらしたい・「理想が描かれていて心地よい、物語の世界」から消し去りたいと思っている物を見せつけるのが本当に好きな人なんだなあ、Sなんだなあ、ということを改めて思った次第なのです。
僕の小規模な失敗(作:福満しげゆき)(Amazon.co.jp)
Masaoさんが紹介されていたのを見て買った。
読むのが辛い一冊だ。自然とページをめくる手の速度が速くなっていく。読み終えた後も、読み返そうという気になれない。「まだ消化できていない、目をそらしたい、自分の中の認めたくない部分」を刺激するエッセンスが凝縮されている。そんな風に思った。
例えば「ウシジマくん」は、エンターテインメント的な部分というか、おもしろおかしいってわけじゃないんだけど、見ててハラハラさせられるというかなんというか、そういう「魅せる」ものがあると思う。「容れ物」の部分で楽しめると思う。でもこの作品には(作者の方には申し訳ないんだけど)そういう要素があまり含まれていない。だからこそ、描かれている「内容」の方がダイレクトに目の前に突き付けられる感じがする。
Masaoさんの書評がすごく良いので、「非モテ」キーワードに反応する人はそっちを見てほしい。
デトロイト・メタル・シティ(3)(Amazon.co.jp)
今回はジャギ様がんばってるなー。「普通にウメー」という褒め言葉が何より似合う。普通な人なんだけど仕事でイヤイヤ悪ぶってます、というキャラは根岸よりも実はジャギ様の方だろう。なんだかんだ言って根岸君ノリノリだし。思春期早漏ヘアとかそんな言葉がポンポン即興で飛び出てくる根岸君は余裕であっちの世界の人だと思います!
友人にずっと前から勧められてたので読んでみた。「四年生」の続編なんだそうだけど、こっちだけ読んじゃったよ……いや読み始めたら止まらなくなっちゃってね。
あらすじ。アキオと芳乃は同棲中の大学4年生カップル。しかし卒業を目前に控えてアキオの単位不足が発覚。同棲解消して、芳乃は東京で社会人一年生に、アキオは大学五年生に。遠距離でやっていくものかと思いきや、アキオはドロドロの四角関係に巻き込まれたり、芳乃はナイスミドルな妻子持ちに一目惚れしたりで、あっちこっちで別れたりひっついたりと泥沼な恋愛模様を描きまくる……という感じ。「げんしけん」で爽やかな青春オタクライフを描いた木尾士目のダークサイド全開です。
先日2巻が発売された「隣死臨死!!江古田ちゃん」は相変わらず切なくて面白いのだけれども、他人、特に女性、もっと言えば若かったり綺麗だったりする人のする事の裏をいちいち勘ぐらずにはいられなくなってしまうのが困る。
どうでもいいけど、「りんし」と入力して変換したら「隣死臨死」とは変換できないのに「輪死」は出てくるAnthyってどうなのよ。なんだよ輪になって死ぬって。
追記。変換できないから正しい漢字を思い出せなくて間違って書いてしまったよ。家に帰ってATOKで正しい漢字を知って慌てて修正した。んもうっ、Anthyのバカバカバカバカっ!!(ツンデレ風に)
Anthyは赤松健を一発変換できるのにATOKはできないんですね。
「痛いニュース」のコメント欄で赤松氏がトークライブで語った内容の一部が紹介されてたのに気がついて、見てみた。
熟女の話で流されてる感があるけど、赤松氏自身がラブひなを「ひきこもり養成漫画」と認識していたという事がハッキリ分かって、自分の中で判断がつかずモヤモヤしていたところが一つスッキリした。この手のジャンルでここまで大ヒットした作家が他にいるのかどうか僕はよく知らないけど、ここまで読者の「こうあって欲しいなあという欲望」を的確に刺激しまくる漫画を、素で作っていたのだとしたらそれは相当頭のおかしい人だと思うし、狙って作っているのだとしたら(そして事実はこちらだったようだ)なんとも罪作りなことだなと思っていた。
どんな漫画であれ映像作品であれ、作者自身のやりたいこと・言いたいことが込められていて、その味付けとして読者への媚びがある、という原則があるからこそ僕は漫画家や映画監督やなんかを創作者、表現者、クリエイターだし、作品は作品たり得ると思っている。でも完全に自分を殺してただ読者ウケのよいものを生産し続けるのなら、それはただの工業製品ではないのか。特に赤松健は、スタジオ方式をとることで究極的には赤松氏自身がいなくても漫画を生産し続けることができる体制を整えてしまっているとも聞く。まさに「工場」ではないのか。
というよりも、そういう工業製品だったからこそ、赤松健の漫画は売れたのではないか。僕らは赤松健の漫画をありがたがって買っていたのではないだろうか。
そういう赤松健という工場を僕はここで非難したいわけではない。それよりも僕が非難したいのは、そういう工業製品に傾倒した僕自身であり、傾倒したファン達だ。工業製品であると僕は知らなかったけれども、でもそこで感じていた嫌な感覚の矛先は間違いなく自分自身に向いているからこそ、僕は、反吐が出たんだ。