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昨日、母のイトコとその娘さん(僕の一つ下。「またいとこ」「ふたいとこ」「はとこ」にあたる)が我が家にやってきた。娘さんがこっちで就職されて、家が結構近かったので、寄ってみたのだという。
その娘さんというのがまたえらい美人でオシャレさんでですね……某社の受付嬢になるというのも、さもありなんという感じ。それで分不相応な激しい劣等感を感じて、押し潰されそうだったというのが、退散したことの最大の理由だった。
最近でこそ多少は身だしなみというものを考えるようになって、人に会うときはなるべくそうするようにしているのだけれども、しかしその反面僕は、そういう「武装」が無ければ、全く初対面の他人とはまともに接することができなくなってしまったような気がする。もしくは、特に何も気を使っていない素の自分という物を、物凄くみすぼらしく感じるようになってしまったような気がする。
自分なりに「ひのきのぼう」と「かわのたて」と「はがねのよろい」で完全武装して初めて、やっと町の外に出られる……みたいな感覚。
まあそれでも、相対する人間は「ロトのつるぎ」と「ロトのたて」と「ロトのかぶと」と「ロトのよろい」で完全武装してたりするわけで、僕なんていくら装備を整えたところで、勝負にならんくらい全然弱っちいのですけれども。
RPGの装備よりももっと的確な例なら、ヴァンツァーのカスタマイズあたりか(フロントミッションかよ)。腕やら脚やらパーツを「交換」することはできても、パーツを「外す」事はできない。外してしまうと戦闘不能になるから当たり前なんだけど。でも今の素の自己認識において、自分というのは、ヴァンツァーで言うならボディだけゴロッと転がってるようなものなんですよ。そんな状態で的に遭遇しよう物なら、タコ殴りにされるしかないじゃないすか。それで相手は、胴・脚・腕がゼニスVでCPUはカレンデバイス、ドラゴンハンド装備に片腕はダスラークロウⅡ、両肩にドンキーDX2装備なんですよ(しかもSFC版かよ)。
自分が、ボディだけだと気付かなければ、ボディだけでも平気で戦場に出られたのに……下手に気付いてしまったから、何もできなくなってしまった。「知る」ことが、僕を弱くしてしまった。
ラブハラスメント【love harassment】(名詞)恋愛関係などの話題をふって、相手に不快な思いをさせること。話題をふられて、不快な思いをさせられること。例:「○○君は結婚しないの?」「そもそも相手がいませんから……(何でそんな話振るんだよ急に)」「いい歳してそんなんじゃ駄目だよーもっと人付き合いとかするべきだよー」「はぁ……(そうかいそうかい俺はそんなに人間失格かい)」
先日も、間近で露骨なラブハラを目にしてしまった。目にしてしまったというか、その場に居合わせたというか、自分も片棒を担いでしまったというか、何というか。いや、言われた人がそれを気にも留めていないのならば僕の勝手な思い過ごしなんだけれども。
ラブハラでもパワハラでもセクハラでもなんでもそうだと思うけど、本人達はそれが悪いことと思ってやってるわけではないんだよなあ。嫌って言わないと絶対に分からない。下手したら、言っても「嫌よ嫌よも好きのうち」とか前向きに解釈されてしまいかねない。むしろ厚意でやってるつもりだったりもして。
ラブハラと、パワハラ・セクハラとは、根本的な部分で差異があると思う。多くの場合のラブハラの最も厄介な所は、それによって引き起こされる不快感が、外からもたらされる「嫌な奴に触られた」とかそういう感情だけでなく、内からもたらされる「こんな風に言われる自分は駄目なんだ」という劣等感を伴うという点だと思う。
パワハラは、「上司は部下に多少の横暴をふるってもよいもの」という価値観と、「上司だ部下だといっても、横暴は許されない」という価値観のぶつかり合いではないか。セクハラは、「男は度胸、女は愛嬌。女は男の引き立て役」という価値観と「男も女も平等、対等」という価値観のぶつかり合いではないか。前者が後者に自分の価値観を押しつけることが、問題に繋がるのではないか。
対するラブハラの多くのケースは、「恋愛できるのが当たり前、できないのは異常」という価値観を両者が共有している状態で、「恋愛できている者」が「恋愛できていない者」を下に見て説教をし、「できていない者」は「できている者」に対して負い目を持つという形で、被害者は、加害者だけでなく被害者自身からも責められるのではないか。二重の苦しみを感じることになってしまうのではないか。
これは偏見かもしれないけれども、内省的な人ほど引っ込み思案で恋愛の機会に恵まれず、それ故ラブハラにも遭う機会が多くなり、内省的だからまた自分を責めてしまって余計に苦しむ、そんな負のスパイラルがあるんじゃないだろうか。
つまり育ちがいいと言う事は必然的に「すごく元気で社交的」「誰とでも話せ、そして
明るい」と言う事であったのだ
(「貧乏人の正体」より)
人間は先天的な要素(遺伝)と後天的な要素の両方で成り立っている。そして後者の影響は前者を凌ぐこともままある。育ち――教育環境の良し悪しが人の良し悪しにどう影響を与えるのか、「育て方」がその子供の人生をどう変えるのか、それは基本的には親の仕事。しかし親がそれを十分に果たせなかった場合、子供は自分で自分を育てるほか無い。
自分で自分を育てるほか無いんだよね。
05:08 (Piro) ていうか合コン経験者に問いたい 05:09 (Piro) 合コンって何なんだ! 普通の合コンってどういうものなんだ! 05:09 (e***) ぴろさんが書いたもののうち、会費すべて男持ちという条件を除いたもの 05:09 (i***) 王様ゲーム(死語)は死語でも何でもないと思うが 05:10 (i***) 別にイタくないとおもうしなぁ 05:10 (i***) >王様ゲーム(死語)なり何なりのイタいゲームで盛り上げる。 05:10 (e***) それは主観に過ぎないね 05:11 (i***) 少なくともしている最中は痛いと思っているのが痛い 05:12 (e***) まさにそのとおり 05:12 (Piro) それをイタいと思うのが非モテメンタルなのさ 05:12 (Piro) つまり変にプライドが高いとか潔癖とか自意識過剰 05:14 (Piro) なんていうか 05:14 (Piro) そんなことをしない俺カコイイ!みたいな。<非モテ 05:23 (i***) んー 05:23 (i***) 変なのー 05:24 (i***) 楽しきゃやりゃあいい 05:24 (Piro) バカになれないのが非モテなんです 05:27 (i***) 彼女いるんだし別に非モテでもないじゃんよ 05:28 (Piro) 彼女がいなくなったら非モテだよ 05:29 (t***) モテとか押尾先生レベルしか想像できないんですがどこからモテ? 05:29 (i***) 押尾学は、、
押尾学がモテかどうかがカギのようです(嘘)。
「合コン」という言葉、「女性」という属性を持つ人間、そういった「自分にとっての未体験領域」に対する極端なイメージからくる過剰な忌避で、「出会いのない男性」は自らを窮地に追い込んではいないだろうか?
ここで、自分自身の貧弱な経験を以て、自己改善のためのツールとしての「合コン」の活用方法を考えたい。
少女漫画と萌え漫画の罪 - FIFTH EDITION→女は中学高校時代にモテておくべきである。 - 妄想系乙女の末路→脱オタクファッションガイドより脱オタクメンタルガイドを - 妄想系乙女の末路
脱オタクというか「こうすれば普通に見えるよ」という服装を指南するのが脱オタクファッションガイドだとすれば、「こうすれば普通に見えるよ」という考え方を指南する脱オタクメンタルガイドというものも欲しい、という話。こういう分かりやすいキャッチフレーズは大切だろう。
しかし内面の話になると、なんか人格障害とかそっち方向の話になってしまいそうな気もする。脱オタクファッションほど気軽でない(ファッション改造もそう気軽なものではないと思うけど)、素人がいい加減な知識や経験則でどうこうしてよい領域ではないような気がする。医療の領域、扱うのに免許が必要な領域に踏み込んでいる気がする。
ひょっとしたら、脱オタクファッション指南にも免許が必要なのかもしれない。「脱オタ外見改造に失敗するケース」「失敗しない脱オタ外見改造の方針」についての考察や提案は天馬氏やMasao氏等が特に積極的に発言されているように思うけれども、彼らは外見の話だけでなく内面の話へもどんどん踏み込んでいっている。その際の天馬氏の姿勢に不用意なものを感じて、僕は噛み付いたりもした。
シロクマ氏はまさに外見・内面の両方から脱オタの問題に切り込んでおられている。ご自身の回想録からも同様の姿勢が垣間見える、あるいは、その姿勢が、外見・内面の両方からの分析に結びついているのかもしれない。その辺りの事情は僕は知らないけれども。職業としても取り組んでおられて、「脱オタクを扱う免許を持った人」というのを想定するとしたら、氏のような人がそれに該当するのではないかと思える。
シロクマ氏の姿勢は医学・医療で言うところの西洋医学的、近代医療的なものだと思うけれども、それがあるなら、漢方薬とかツボとかそういう東洋医学的な物、前近代医療的な物、オカルト理論に基づいた経験則第一の物もあるのではないか。代官山4000年の歴史、とかそんな感じ。よく知らんけど。
ああ、そこでこういう話が出てくるわけだな。「この水晶を買ったとたん、急にモテはじめるようになったんです!」みたいなのが……(ぉぃ)
男女の性差の一つとして、男性は物事を解決するために会話をするが、女性は共感するために会話をする、という話がある。それがどこまで本当かは知らないけど。
で、こういう話が出てくるときというと大体において、「女性が悩みを愚痴るのは、共感して欲しいからなのであって、解決策を探して欲しいわけではない。なのに男性は、悩みの解決策を真剣に考えて、女性に対して意見する。すると女性は、自分の気持ちを分かってくれない、話を聞いていない、と感じて怒り出す。こういう場合男は、適当に相づちを打って話を聞くのがよい。」という風な話がセットでひっついてくる。
ところで、僕は自分で記憶している限りは、そういうトラブルに見舞われたことがないように思う。その理由を考察してみた。
僕という人間は、頭の回転がひたすら鈍いというか、モーターがかかり始めるが遅いというか、とにかく、思考のキレの宜しくないタイプだ。そのせいで、聞いた愚痴を元に解決策を考えようとすると、軽く数分から数時間、下手をすると日単位でシンキングタイムが発生してしまう。
かといってその間無反応というわけにも行かない。そこで、とりあえずインプットだけ解放して、話は聞く。「うんうん」「そーだね」とか相づちを打ちながら、自分の思考をどうにかまとめ上げようとする。
僕の場合、この時間が知らず知らずのうちに、「話をじっくり聞き、共感している」ような状態になっているのではないだろうか。それで、相手の「愚痴りたい欲求」「共感されたい欲求」が充分満たされた後、忘れた頃になってやっと「さっきの話だけどさ、」と練り上がった解決策を披露できて、結果として、「Yes, but...法」のようなものになっているのではないか。
そんな仮定をしてみた。
……いや、分かってんですよ、ほんとの理由は。ええ。単に女性と話す機会自体が無いだけです。多分。いいじゃないすか、このくらい妄想に浸らせてくれても……ねぇ?
本当はオタク趣味なんて好きでもなんでもない
、仕方なくオタク趣味やっている
、そんな人が脱オタ者には多い、と天馬氏は言う。でも、人は最初から最後までそうであるとは限らないのかもしれない、途中からそうなってしまうものなのかもしれない、と、Masao氏のエントリと天馬氏のエントリを見比べていて思った。
自分の恋愛行為が本当に恋愛と言える物なのかどうか、未だに自信を持てず揺らぎに揺らいで、悩みに悩んでいる自分にとって、「お前は人を愛せなどしていない」と喝破されることは、死の宣告にも等しい。
何故なら、「じゃあどうすればいいの?」では済まされ得ない話だから。
だからやめちまえ、という理屈に反して、それでも自分はパートナーとの関係を続けていきたいんだ、と理に適わぬ事を口走って、矛盾している所をことさらアピールするのが、胸の奥から流れ出て咽を満たした血の赤い泡を飛び散らせながら必死で吸おうとする僕の最後の一呼吸。
今日はいつにも増して嫌らしいことを書いちゃうよ。いやらしいって、エロいって意味じゃなくて、見ててムカツクって意味よ。
脱オタ――オタク趣味を捨てるという意味ではなく、ここでは、オタくさい外観の改善を図るという意味で――ということを考え始めるようになってから、僕は、ずいぶん気が楽になったように思う。自由にものを考え、自由に表現できるようになったと思う。
本格的にエロ同人誌を作って売るなんて、脱オタを意識し始めるまでは、あり得なかったことだと思う。「脱オタ」を意識し始めてからこっちの方が、オタクとしてしたいことをしたいようにやっていると思う。それよりも以前の方が、「健全であること」「一般にも受け入れられること」にこだわって、自ら枷をはめていた気がする。皮肉なことに。