たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
胸のこの辺がズッキュンズッキュン痛くて見てらんないよ……まあ○井とやらもアニエスとやらも全く縁がございませんがね。つまりある意味この舞台にすら上がれない「落ちてこぼれるまでもなく、そもそも乗れなかった」人間。
iPod nano(iPod情報局の記事)ですと! ラインナップ的にはiPod miniの代替になるらしい。うちのminiは電池がいよいよへたってきたし、乗り換えを検討しとくかなあ……でもminiの画面が対角1.67インチでnanoの画面が1.5インチということは、より一層画面見にくくなったりします? それは地味に困る。
あ、よく考えたらうちのminiはまだ保証期間内じゃないか。ということで修理に出すことにしよう……
オープニングで巨人殖装が出てきてるって事は、割と最近の巻の辺りまでフォローするって事なんだろうか? でも、20年前から連載されてるのに、下手したらアニメの方が追い抜いてしまいそうな気もする……
うわ! 哲郎さんが携帯使ってる! パソコンでインターネットまで! ……原作じゃあガリ版印刷なんてやってたのに、えらい技術の進歩だな。笑
ネットで情報を……と言ってたけど、やっぱ2chみたいなとこに書き込むんだろうか。でもって「自演乙」とか「クマー」とか「1の母です。この度は1が……」とか煽られるんだろうか。そんなガイバー嫌すぎる。
小説版のゾアノイドとかマイナーなのが出てきてたりして。作者さんもよく憶えてたねこんなの……いや、スタッフが憶えてたのか?
AIRの後に見ると色んな意味で辛いんだけど、まあ、そこは思い入れでカバーって事で。動くところはよく動いてるし。(ていうかAIRは異常なんだからそれと比べるなって話か)
やっとDVD全6巻が揃ったわけですが(AIR IN SUMMERを除く)。
いやーホントええもん見して貰いましたわ。「原作付きアニメ」のある意味での究極ですね。こんなん見せつけられたら、並の原作付きアニメは正視できません……
ふぉくす子マンガを描くためにいっちょツール揃えてみっかということで買ったんだけど……Debutで充分なのに、間違えてProの方買ってしまった。痛い出費だ……仕方ないから使いこなせるよう頑張ろう。駄目なら誰か知り合いに売る(ぉ
とりあえずベクターレイヤでペンを使う練習。
NiceLinkというGreasemonkeyスクリプトがある。元々ははてなダイアリー用だったのが、その改造版としてMovableType用も後から作られた、という感じらしい。
MovableType用改造版のページにあるFlashによる紹介アニメーションが非常に分かりやすいのでそっちをみてほしいんだけど、例えば、エントリを書くときにテキストフォームの中で文字列を選択→NiceLinkのボタンをクリック→Google検索結果をリストアップ→選択した項目へのリンクに、選択文字列を置き換える という感じのことをしてくれるもの。視覚的インパクトも凄いけど、知ってるサイトへのリンクをいちいち書くのがめんどくさいとかそういうときに実際便利そうだ。
で、せっかくだからblosxom+wikieditishプラグイン用の物を作ってみた、というかMovableType用の改造版をさらに改造した。blosxom starter kitの標準flavourでもそのまま使える。wikieditish用のflavourをいじっている人は何カ所か書き換える必要があるけど、まあ、どうぞ。
男と女の非モテの話に関連して、非モテ女はなぜ語らないのか?を見て。
男側は「実際に非モテの男」が「俺は非モテだ」と声をあげているのに対し、女側は「実際には非モテではない女」が「私は非モテだ」と声をあげているのではないか、と思えてきた。なぜそのようなことになるのだろうか。
逆の見方をすれば、こうも言える。なぜ「実際には非モテではない男」が「俺は非モテだ」と声をあげたり、「実際に非モテの女」が「私は非モテだ」と声をあげたりといったことがないのだろうか。
このねじれ現象は非常に興味深い。
そういえば、ふと思い出したんですけどね。
中学の頃だったか高校の頃だったか(多分中学だと思うけど)、教室で机に突っ伏してボーッとしてたら、とある女子が僕の目の前に立って、突然スカートをバッ!とめくったんですよね。つまり僕にスカートの中身を見せつけたんですよね。で、だーっとお友達の所に走っていって、こっちの方を見てクスクス笑ってたんですよね。
彼女達は一体何を考えていたのでしょうか。
まあ考える余地なく「答え 3.」なんですけどね。
閉塞的幸福論からの続き。
非モテ論は本質的に排他的なものではないかと思う。「現在進行形で非モテな者」以外は語ることを許されないような雰囲気を感じる。特に「脱非モテ」した人間は、このことに触れるどころか一切の発言を許されないような雰囲気すら感じる。
非モテ界(?)では一般的に、非モテを脱したらモテになるという風に考えられているように、僕には思えるのだが、それは脱非モテした人に対してあまりに厳しすぎる考え方だと思う。実際には、「モテ」とはさらに上のステップだろう。だから多くの「脱非モテ」人は「モテ」にはなれず宙ぶらりんの状態で居続けることになるのではないかと思う。
僕は「モテ化」ではなく敢えて「脱非モテ」という言葉を使いたい。モテと非モテの間に、宙ぶらりんな「ナチュラルな状態」があると僕は考えていて、「ナチュラル」と「モテ」はまた違ったものであると考えている。そして、モテ陣営からは、ナチュラルと非モテは一緒くたに見られていると思う。
Masao氏のようなモテにもなれず、かといって誰からも相手にされない非モテにも戻れず、宙ぶらりんの状態にいる人間に対し、非モテ陣営の態度はあまりに頑なであるように思う。何を言っても「でもモテの言うことだから」と言われてしまっては、ナチュラルは浮かばれない。