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しかしながら、(※引用注:Firefoxは)裏を返せば何をやるにも面倒、とも言える。ふとした思いつきでメニューやショートカットを増やしたい衝動に駆られたとき、すらすらとスクリプトを書けない私は、探すか諦めるかの二択を迫られる。Operaであれば出来るか出来ないかの二択。出来るならちょっとiniファイルに書き足すだけだし、出来ないなら諦めるだけ。決断にもそう時間は要しない。
スクリプトを書く必要は必ずしも無くて、拡張機能で大抵の問題は解決できると思うんだけど、それはともかく、この出来ないなら諦めるだけ
というのが明暗を決めるのかもしれない、と思った。
僕自身を振り返ってみると、PCのこと、ソフトウェア、自分の作業環境というか自分の「デスクトップ環境」に関しては、諦めが悪いというか執念深い気がする。今の環境を捨てて新たな環境を構築し直す労を惜しんで未だにWindows 2000を使い続けているし、ハードウェアトラブルで環境を作り直さないといけなくなった時もレジストリをごりごりいじってどうにか今までの環境を極力引き継ぐようにしたし、もっと前は、Windows 98から2000に移行する時も仮想マシンの中にWindows 98環境をそのまま再現してレジストリの内容をひっぱってきたりしていた。画像編集には今でもFanfare Photographerを使っているし。テキストエディタはマクロを作り込みまくったせいで秀丸から抜け出せずにいるし。
諦める時って、ある意味ではスッキリするんだけど、ある意味では悲しくて悔しい。他人に屈した、負けを認めた、そんな気がしてしまう。ガキっぽい対抗意識をガンガンに燃やしてしまう僕だから、諦めないといけない場面が比較的少ないFirefoxにのめり込むのかもしれない。
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