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差別解消のためのマイノリティ枠がマイノリティの立場を却って悪くする、という論文が出たと聞いて思ったこと - May 23, 2025

恥ずかしながら、(アメリカのDEIへの揺り戻しでのトランプ旋風、みたいなのとは別の話で)欧米でアファーマティブアクションが廃止されていっているということは把握していなかった。

以前に、アファーマティブアクションのアメリカ英語表現がpositive discrimination(肯定的な差別)だと知って、それ以降「差別・不公平解消のためなのだから」で思考停止して無条件に推進するのはよくないのだなと思うようにはなった部分はある。
ただ、今存在している「男女比が偏りすぎてて参加しづらい、行っても女性特有の事情への理解がなくて辛い」という問題、困っているという人自身による訴えを無視する気にはやはりなれない。
問題を早急に解消し状況を是正する良い方法を他に思いつかないことから、「女子枠」のようなアファーマティブアクションの「マイノリティ枠」は、状況の変化を踏まえた終了(都立高校の男女枠が、元は女子差別解消のための物だったのに、現代では逆に女子差別になっていたという件のように)を常に意識しつつ、ひとまず肯定する、という立場を僕は今まではとってきた。

しかし、理系分野での論文でまで「逆効果だ」と言われると、その立場すらも取りづらさを感じる。

理想的には、人々の意識が少しずつ変わっていき、その結果として差別がなくなるのが一番いいソフトランディングだ、というのは分かっている。短期間で急激に何かを変えるハードランディングは、どこかに皺寄せが生じて禍根を残す、というのも分かる。
ただ、「時間をかけてのソフトランディング」という理想は、差別を受けていないマジョリティ・強者側にとってはひたすら都合が良い一方で、今まさに不合理な差別を受けているマイノリティ・弱者側には「ただ我慢しててください、今の世代での解消は諦めてください」と言っているに等しく、それ自体が強者の理屈の押しつけではないか、と僕には感じられる。
なるべく早急に不合理を解消することはできないのか、と僕は思ってしまう。

自分が属するソフトウェア開発者コミュニティでは、性別その他のあらゆる差別を許さないCode of Conduct(行動規範と訳される)を自主的に掲げることが流行っていて、圧倒的多数を占める男の側にも「差別を解消していこう」という動きがある。そういう領域でまで、軋轢を増やすリスクを負ってマイノリティ枠を敢えて設ける必要性は、そこまで強くなさそうとは思う(それでも気後れする人や、セクハラを懸念する人はいて、女性のみ参加可能なイベントやカンファレンスといった形の保護的なやり方はまだ必要なのだろう、と僕は思っている)。

しかし、そうでない、差別を温存したい勢力の方が支配的な集団において、集団の自浄作用で差別解消の取り組みが進むことにまでは、僕はどうにも期待を持てずにいる。
それこそ男女雇用機会均等法のように、上から強権的に押しつけて枠を作りまでしないと変わっていかないのではないか? という気がしてならない。
そして、「アファーマティブアクションは逆効果だ」という言説は、そのような差別を温存したい人たちにばかり悪用されていくのではないか、という気がしてしまう。

 

そういう疑念が拭えなくて、「マイノリティ枠」へ反対する人自身がマジョリティに属しているのを見ると、「これって、差別反対と言っておかないと決まりが悪いからポーズを取ってるだけで、本当は差別を減らしたくないんじゃないの……?」と思ってしまう。自身がマイノリティに属している人が反対しているのを見ても、「過剰適応してるってことはないのか……? 名誉白人や名誉男性になってしまってないか……?」と思ってしまう。そういう偏見・先入観を僕は持ってしまっている。

なので、冒頭の2つの記事を書いた人が「マジョリティに属しつつ、マイノリティ差別解消に積極的に取り組んでいて、且つマイノリティ枠に反対している人」だということを認知して、戸惑い、僕自身の持つ先述の通りの強い偏見・先入観を自覚させられた。

 

そして、じゃあそういう人を偏見で見ていた僕自身は、何か差別解消につながる事を実際にできているのか? 偏見をぶつける資格はあったのか? ということを考えてみるに、残念ながらそう多くのことはできていないと感じる。

まず、女性ITエンジニアをお飾りでなくプロフェッショナルな技術者として描く、ということを意識した解説漫画を10年以上連載してみてはいるけれど、その点が世に何か影響を与えている実感はない。
「読んだ」「コマンド操作を覚える役に立った」という声を頂くことは何度かあった(それは本来の役割を果たせてたということで、大いにありがたいのは間違い無い)けれど、女性ITエンジニアの描き方については、「オシャレで良い」といった肯定的な声もあったけれど、(恐らくは、中年男性作者である僕が自分の好みを込めて若い女性のキャラを描いているという事実について)「キモい」といった否定的な声もあったように記憶している。
「シス管系女子」というタイトル付け(「草食系女子」のようなフレーズにヒントを得た命名だった)自体が、「女性ITエンジニアが普通にプロフェッショナルとして働く」様子を描く物のタイトルとして相応しく感じられない、却って女性を特別に一段低く見ているタイトルのように思われる時代となったと感じ、新装版で「ITエンジニア1年生のためのまんがでわかるLinux」と改題したけれど、これもマッチポンプといえばマッチポンプで、元々世の中にあった差別的なものを「減らすのに寄与した」わけではない。

Firefox用アドオンのTree Style Tabでは、コンテキストメニュー再現にあたって既成のメニュー提供ライブラリーでキーボード操作に対応した物を見つけられず、アクセシビリティ観点でマシな物をと思ってわざわざライブラリーを自作した。TSTのGUIを音声で操作する人がいると知って、実際にそのためのツールを自費で購入して、検証しながらアクセシビリティ面での改善を図ってみた。また、書字方向が右から左の言語圏の人からの要望を受けて、アラビア語版Firefoxで検証しながら、全体に渡って手を入れてRTL対応を改善してみたりした。これらは、マジョリティの自分の用途だけを指向していては陥ってしまうマジョリティ優遇・マイノリティ冷遇を解消した、と言える事例だと思う。
しかし、擬似メニューはFirefox本体の改善で早々に無用になったし、報告を元にした改善も、報告者の人以外に具体的な声は皆無なので、実際どれだけ意味があったのかは分からないままでいる。多大なコストをかけて無意味な事をしただけに終わってしまっているのかもしれない。

そういった「成果の無さ」を鑑みるに、結局何もしてないくせにSNSやブログで言葉でだけ威勢のいいことを言っている、という誹りは免れ得ないと感じる。
それどころか、冒頭の記事の言説を素直に受け止めるなら、否定されるべきアファーマティブアクションを度々肯定して、却って世界を悪くする方に加担していることになる。

良い影響のないことばかりして、悪い影響のあることばかりして、これでは、自分がありたかった形とはまるで正反対ではないか。

オチはなく、ただ落胆だけ。

誰かがしていることを「差別」と呼んだり、自分のしている・していたことを「差別」と言ったりすることについて - Mar 07, 2025

ゲームセンターのプリクラコーナーではずいぶん昔から、女性客だけで楽しくやっている所に男性客が割り込んでナンパや迷惑行為をすることが問題となっていて、「プリクラコーナーは女性専用」「男性のみのグループは利用禁止」という感じの対応を取っている店舗が多いそう。自分も、友人達と盛り上がった後に「記念にプリクラ撮ろう!」となってゲーセンに行ったらそういう注意書きがあって、幸い女性参加者がいたため事なきを得た、ということや、男性だけのグループで「あーこのグループじゃ入れないな」と諦めた、ということがあった。そのような店舗の対応が「差別」だ、みたいな話題がちょっと前にXで盛り上がっていたらしい。

それで見かけたこちらの投稿。

読んで、僕が色々なことについて差別とか差別性とかを述べる時の感覚に一部近い物を勝手に感じて、色々思ったことを今の自分なりに言葉にしたので、Xで垂れ流した物を編集しながらこちらにまとめてみる。

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マイクロアグレッションの啓発ポスターを見て途方に暮れるであろう、今より若かった頃の僕へ - Nov 26, 2023

Xに書いた事のまとめ・増補版。

「マイクロアグレッション」に関する香川県の啓発ポスターについての、労ったり褒めたりしてもダメとかどうしたらいいんだよ どうせ触れなかったら「配慮が足りない!」とか言うくせに というコメントを見かけた。

マイクロアグレッションとは、発話者当人に差別の自覚はなく、ともすれば言われた側にも「差別された」といった明確な被害意識はなかったりすらするけれど、言われた側はなんとなく釈然とせずモヤる、という類の「日常の中にある、社会的・歴史的に見て差別性がうっすらある言い方や接し方」のことだ。という理解の仕方を僕はしている。

これまでも度々書いてると思うけど、僕はこの種の「誉め言葉と思って言ったのに、マイクロアグレッションだと言われる」類の指摘に「どないせえちゅうねん」と途方に暮れる側の一人だった。
正直に言えば、「こっちはこれだけ気をつけてるつもりなのに、これ以上を要求されるなんて、なんてめんどくさい!」という感覚はあったと思う。
先のコメントをした人が僕と同じ戸惑いを感じているのかどうかは分からないけど、僕は、「よかれと思って言った言葉で泣かれ、その相手との縁を絶対切られたくなかったので本気で反省する」というクソダサ経験をするまで、心の底では「よかれと思って言うたのに、何が悪いねん」という自己正当化の思いを捨てきれていなかったな、と今から当時を省みて思う。

反発心がなくならない間は、僕は、理屈では分かったつもりでも本心では腑に落ちてなかったのだと思う。
当時の僕に、人を泣かせずにその事を理解させ得ただろうか? なんとなく、無理そうな気がする。そのくらい、パラダイムの大きな転換を要する事だったように思う。

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理解の不可能性と断絶について - Nov 21, 2023

Xに垂れ流したことの再編集。

エッセイ漫画家さん、過去1番共感できない漫画を描いて炎上する【ぬこー様ちゃん】というまとめを見た。人から金を借りて、返す段になって「返したくねーなー」「うわっこいつ(※貸主)、何も言わず受け取るんかよ(※当然です)」と感じる、という件の作者に対して、 「クズ」「最低」等々非難の嵐となっている様子がまとめられたものだ。

まとめられた反応は散々だけど、自分はこの「作者の気持ち」が分かる方だ。
相手を舐めている、世界のすべては自分のためにあると思っている、自分をもてなさない相手に出会うと不機嫌になる……そういうタイプ。
言語化すると「なんて傲慢なんだろう」と思えるのだけど、自分自身ではそれを「当たり前」と思っているから、特段「悪意」があるわけでもない。 悪意も自覚もなしにこう考える人間がいるのだと、我が事として実感しているから、僕は今は他者の善意や返報性に期待しすぎずにいられてるんだと思う。

僕という人間は、ハードウェア的にはそういうクズで、ソフトウェアエミュレーションで社会性を保っている。という自己認識でいる。
むしろ、自分がそうだから「クズに見える人も、やりよう次第で社会的に振る舞えるようになれて、社会の中で問題を起こさず共存できるのだ」と信じられているのだと思う。

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JS開発のつらみ - Nov 20, 2023

JavaScript界隈はソフトウェアのトレンドの移り変わり・流行り廃りが激しい、とはよく聞く。 「だから辛い」とはどういうことなのか、について考えたことのあれこれをXに垂れ流したのを、再編集してまとめた。

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「まんがでわかるLinux シス管系女子」から「ITエンジニア1年生のための まんがでわかるLinux」への改題の意図 - Sep 12, 2023

「まんがでわかるLinux シス管系女子」1巻と2巻前半にあたる部分を収録した増補改訂新装版の「ITエンジニア1年生のための まんがでわかるLinux」について、後書きでは少し触れてたんだけど、恐らく旧版読者だと思われる方の 「時勢に合わせた感じなのかなあ」というコメントを見かけたので、改めて書き記しておきます。

端的に言うと、これは作者の自分から改題を申し出ました。

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オープンソースの何が自分にとって楽しいのか - Sep 12, 2023

「なぜ自発的にOSSやってるの?」という問いへの答えは十人十色だと思うけど、自分の場合は「ヴィジランティズム」が一番大きいんだと思う。

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告げ口の善悪 - May 10, 2023

いわゆる告げ口について、受け取った側が取るべき態度・行動について僕は、

  • 鵜呑みにしない。
  • 少なくとも、裏が取れていない・確証を得られていない間は、重要な判断材料にはしない。
  • 裏を取ろうと思えば取れる状況であれば、なおのこと、伝えられた情報そのものより自分で裏取りした情報の方を信じる。
  • 告げ口をした人が利害関係者で、自分がその内容を信じる事でその人に得が生じるなら、情報の信用度をより低く見積もる。

と考えてる。

世の中には嘘でも何でもついて相手(僕)の感情や行動をコントロールして自分(相手自身)の利益を最大化しようとする人がいるし、そういう利己的な動機でなく純粋に利他的な善意でなされた告げ口だったとしても、告げ口をした人の主観というフィルターを通したことで情報が変質してしまっている恐れがある。

全く同じ事がマスメディアを通じて届く情報にも言える。 僕への告げ口は、僕個人を狙って届けられる情報だけれど、マスメディアから届く情報も、「自媒体の読者・視聴者の傾向に合った、受け手に喜ばれる(そして自媒体の利益の最大化に繋がる)情報」という観点では、狙い撃ちで放たれた情報と言えるので。

いずれにしても、自分の元に向こうから飛び込んできた情報は(もっと言えば、自分が飛びつきそうな位置にぶら下げられていた情報や、自分がちょっと背伸びしたら届きそうな所に元からあった・アクセスしやすい情報というのも)、鵜呑みにするにはリスクがあると言える。 なるべく一次情報にあたるようにし、正確な事実関係を把握するまで態度を保留する我慢強さを持つ必要がある、と今は考えてる。

――というのは情報を受け取る側の話で、いま考えてるのは情報を送り出す側の話。 告げ口する側のことについてだ。

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「性的に消費」という言葉について、表現の影響について - Apr 30, 2022

表現の自由と表現規制の話題の中でも、特に女性に関する表現の話題でよく出てくるキーワードに「性的に消費」という物があります。自分でも、何かと便利でこのフレーズを使いたくなってしまう場面は度々あるのですが、一方で、厳密な定義づけがないままで、解釈が人によって分かれるフワッとした言葉を自分に都合よく使う事への後ろめたさもありました。

そういうモヤりを抱えたままで、「月曜日のたわわ」の日経新聞全面広告の批判や擁護に関連した一連の発言の中でうっかりこのフレーズを使ったところ、「定義が曖昧な言葉を使う前にまず説明をするべきである」という趣旨の指摘を受けたため、本腰を入れて、このフレーズについての自分の認識を改めて整理し言語化してみようと思います。

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表現の自由と表現規制に関する自分のスタンスの再確認 - Apr 30, 2022

「月曜日のたわわ」の日経新聞全面広告の批判や擁護に関連した一連の発言の中で、表現規制の一種であるレーティングやゾーニングを肯定する趣旨の事を書いたところ、「表現規制をすべきという根拠を示すべき」という趣旨の指摘を受けたため、自分の考えを整理するために、表現規制という物自体に対する自分のスタンスを振り返ってみました。

表現規制について改めて自分の考えを表明しますと、自分は、公権力で表現を規制するべしと強硬に主張はしないけれど、状況によっては一定の歯止めの必要性を支持する、というスタンスです。端的に言うと「表現規制を弱く肯定」(全否定ではない)です

ですが、他の人が自分の言動を見た場合に、表現規制を強く全面的に支持する者と見なされても仕方の無い状況だということを、今更ですが改めて意識しました。
今後は、すでに他の人による批判・非難の言説を目にしたかどうかに関わらず、自分の信条的に批判するのが当然と思える言説に対しては、なるべく自分の言葉でも発言をするようにしようと思います。

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