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萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

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ネットの(技術)情報の思わぬ島宇宙化から、知的に真摯に生きる事や、そのように生きやすくする手助けの事を考えた - Nov 13, 2018

自分にとって非常に興味深く感じる事例に遭遇したので、Twitterだけでなくこちらにも記録しておきます。

事の発端は、「topコマンドの日本語の検索結果がデタラメばかりだった。原典にあたらず間違いを拡散している人が多い」という趣旨のツイートを見かけた事でした。

自分も過去にシス管系女子の本編でtopの簡単な説明を書いていたので、これは他人事ではありません。 「もしかして嘘を書いていたか?!」と真っ青になって、詳しくお話を伺ってみました。 その結果分かったのは、自分の心配は杞憂だった(自分が書いた解説の範囲についての話ではなかった)という事と、その人は不幸にも検索キーワードの選び方のせいで誤った情報の海に飲まれてしまった、「検索の仕方」によってネットの技術情報が島宇宙化している、という事でした。

(島宇宙化というのは元々は、宮台真司氏が「社会全体で共通の価値観という物が薄れ、同じ価値観を持つ者同士で小さな社会を作っている様子」を指していった言葉だそうです。自分はその言葉が登場した原典を読んでいませんが、物理的な距離によって隔てられた小集団ごとの社会があるだけだったのが、マスメディア等によって大きな社会が形成され、しかし価値観の多様化により再び小集団に分かれていっている、という事から出てきた表現なのかなあと思っています。)

 

その方は当初、topコマンドの出力において「Swap:」と書かれている行の右端にある「cached」という情報の表す意味を調べようとされていたそうです。(※後述しますが、topのバージョンや実装によってはこの情報が表示されていない場合もあります) 
(スクリーンショット:topの「cached」)

検索結果の上位から見て行かれた所、こちらの記事キャッシュしているスワップ量 ような説明の仕方をしているページが上位を占めていたそうです。「スワップのキャッシュとはどういう事だ? 仮想メモリのスワップ領域をわざわざキャッシュする意味などあるのか?」と不思議に思って調べた結果、検索結果の下位の方に出てきていたページの説明の方が正しかったと分かり、それで冒頭の「topコマンドの日本語の検索結果がデタラメばかり」という趣旨のツイートに至ったとのことでした。

 

その真偽を確かめるためには、まず正しい意味を知らなくては始まりません。自分はそもそもそういう情報が表示されているという事自体把握していなかった(自分が使う機能の事しか把握してない)ので、まずは一次情報ということでman topから見てみましたが、そこにはこう書かれていました。

2c. MEMORY Usage
  (中略)
  Line 1 reflects physical memory, classified as:
      total, used, free and buffers

  Line 2 reflects mostly virtual memory, classified as:
      total, used, free and cached (which is physical memory)

単に「cached」としか書かれておらず、その意味までは分かりません。こうなるともうお手上げなのでWeb検索に頼るしかないのですが、先の「日本語の情報はあてにならない」という情報が頭にあったため、「top cached」というキーワードで検索し、日本語ではなく英語の情報をメインに調べてみる事にしました。すると、Stackoverflow的なQ&Aサイトの以下の記事が見つかりました。

これによると、topコマンドのmanには説明がないものの、freeコマンドのmanには説明があるとのこと。リンク先には、「cached」の説明は Memory used by the page cache and slabs (Cached and SReclaimable in /proc/meminfo) と書かれています。直訳すると「ページキャッシュとスラブ」ということですが、そもそもそれらの言葉の意味が分からないのでさらに調べていくと、以下のように分かりました。

  • 「ページキャッシュ」は、平たく言えばいわゆるファイルキャッシュの事。ディスク上のファイルの読み書きは低速なので、最近読み書きしたファイルのデータはまずメモリ上に置いておいて処理を高速化するための物。
  • 「スラブ」は、SLABアロケータというメモリ管理の仕組み用に確保された領域の事。「SReclaimable」は、SLAB用の領域のうち再利用が可能な部分の事。

簡単にまとめると、どちらも「メモリが空いているなら、せっかくだから処理効率向上のために使おう」という意図で確保されているものの、実際にメモリ領域の確保が必要なアプリが出てきたら場所を明け渡すという性質の物なので、実質的には空きメモリ領域と見なせるという事らしいです。という事で、自分の調べた範囲では「ディスクI/Oのためのページキャッシュ(ファイルキャッシュ)と、SLABアロケータ用に確保されたメモリ領域の合計」というのが「topのcached」の意味と言えそうでした。

ここまで分かった段階で、それでは日本語の解説が本当にデタラメだらけなのかどうかを確認してみよう!と意気込んで「top cached」の検索結果の上位の日本語のページから見始めたのですが、どうも様子がおかしいです。 というのも、ページによっていくつか端折られている部分はあるものの、いずれのページも大筋では上記の調査結果とだいたい同じような説明をしているように見えるのです。 単純に「これはファイルI/O用のキャッシュだ」と書かれている物は確かに不正確ではありますが、メモリのサイズ全体から言うとSLABキャッシュの領域はそれほど大きな物ではないそうなので、まるっきりデタラメと言うほどの物でもないように思われます。 これは一体どういう事なのでしょうか?

 

種明かしをすると、その人の見ていた検索結果と自分の見ていた検索結果では、その顔ぶれが全く異なっていたのでした。

というのも、先のツイートをされた方は、「cached」が「Swap:」の行にあるからということで「top swap cached」のようなキーワードで検索されていたそうなのです。それを聞いて試しに自分でそのように検索してみると、確かに前述のような「スワップのキャッシュ」といった説明をしているページが上位にゴロゴロ出てきました

検索キーワードとして「swap」を1つ加えるだけで僕の調べ方ではなかなか到達できなかった間違った説明に辿り着く事ができる。言い換えると、「swap」というキーワードを1つ加えるだけで急に正しい情報が出てこなくなり、間違った説明にしか辿り着けなくなる。何故こんな事が起こるのでしょうか?

 

これは恥ずかしながら自分自身も今回調べていて初めてちゃんと把握した事なのですが、topのメモリ関連の情報は「1行目」と「2行目」の2つの括りで分けられているのではなく、実際には以下の画像のように、1行目左が「物理メモリ」、2行目左が「スワップ領域」、そして右が「バッファやキャッシュ」という具合に3つの括りで分けられているのでした。 (画像:Raspbianでのtopの実行結果のうち、メモリの情報を3つのグループに分けて示した様子)

実際、topのバージョンや実装によっては「buffer」と「cached」が「buff/cache」と一括りにまとめられている場合もあります。 Ubuntuでtopを実行した時の結果もそのようになっており、自分は普段はそれしか見ていなかったので、「cached」と言われてもピンと来なかったのでした。 (画像:Ubuntuでのtopの実行結果。bufferの代わりにbuff/cacheという項目があり、cachedの代わりにavailという項目がある)

この事を知らないまま、「Swap:の行にあるからスワップに関係する物なのだろう」と誤解してしまう人がいるという事が、実はすべての元凶なのです。

 

つまり、今回の事態が生まれた背景には、こういう事が起こっているのだと考えられます。

  1. 誰かがtopの解説を書こうとして、一次資料をあたらないまま、「Swap」の行に「cached」があるからということで「スワップのキャッシュ、なんだろう」と解釈して、いいかげんな理解で嘘の説明を書く
  2. 「Swap」の行に「cached」があるからということで、それらのキーワードで検索する人が現れる。
  3. 検索エンジンは「検索語句として与えられたキーワード同士が文章の中に近い位置で出現している記事ほど、探そうとしている物に当てはまる確率が高い」という想定で作られている(※これを「共起」と言い、全文検索エンジンで広く使われている基本的な検索アルゴリズムの一つとなっています)ため、1の記事を検索結果の上位に出す。
  4. 3の結果を見た人が、その説明を鵜呑みにする
  5. 4の人の中から同様の説明(「Swapとcachedに強い関連性がある」という内容の記事)を書いて拡散する人が現れ始める。
  6. そのようにして書かれた記事が検索エンジンのクローラーによって収集され、「Swapとcachedに強い関連性がある書き方をしている記事」の絶対数・拡散度合いが増えていく。
  7. 「top swap cached」のようなキーワードで検索する人が、1や5の記事に誘導されやすくなっていく。

同じ情報(正しい説明)を求めて検索しているのに、与えるキーワードの違い、それも余計なキーワードが一つあるかないかでここまで検索結果に差が出るというのは、考えてみるとそら恐ろしい事です。 自分自身、よく分からない分野の事を調べる時に、上位に出た検索結果を鵜呑みにしてしまう事が無いとは言えません。 そのような知的に怠慢な態度と、共起に基づく検索アルゴリズムの相乗効果によって、デマが拡散されてしまうし、同時に、そのデマが正されにくくなっていってしまう。そうして余計にデマが拡散されるという悪循環が生じる。 ……という事の好例と言えるでしょう。

自分が知らない事・正しいか間違っているか判断できない事を検索するとき、一つの検索結果だけをあてにしないで複数の検索結果を比較するというのは基礎的な情報リテラシーだと思いますが、それだけでなく、キーワードの組み合わせを色々変えて試してみる事も大事だという事が、今回の事例からは言えると思います。

 

また、この事例は同時に、topのユーザーインターフェースが誤解を招きやすい物である(あった)という事も示しています。 topが「cached」の情報を「Swap」の行に置いた上で、これらに直接の関係が無いという事を視覚的に分かりやすく示さなかったせいで、「Swap」と「cached」に強い関連性があると誤解してしまう人が大勢現れてしまった、という事実を無視するべきではないと僕は思います。

ユーザーインターフェースの設計では一般的に、「誤解を招かないように、過ちを犯しにくいようにする」という事が非常に重要とされます。 しかし、開発者向けのツールやサーバーの管理運用に使用するツールのように、使う人自身もある程度その事に詳しい事が想定される場面では、「詳しい人にとっての使いやすさ」や「作りやすさ」、あるいは「なるべく多くの情報を詰め込む事」の方が優先されてしまい、誤解を招かないUIという視点がおざなりにされやすい印象が僕にはあります。 そのようにして作られた「良くないUI」が原因でこのような状況が生まれてしまう事を考えると、専門家向けのツールだからといってUIをおざなりにするのはいかがなものかと僕は思います。

実際の世の中に目を向けてみても、良くできたプロ向けの道具は、「人が使う以上はヒューマンエラーは絶対に発生する、それは訓練では防ぎきれないものだ」という事を前提にして、誤解や早とちりによるトラブルを防ぐように設計されています。 他のレバーと間違えて操作してしまわないように、飛行機の着陸脚を出すための操作レバーはタイヤを模した飾りが付けられているというのも、その有名な例です。

 

ところで、topの「cached」の正しい意味を調べるにあたって僕は、検索結果をタブで開き、気になるキーワードがあればそれをさらに検索して……と芋蔓式に辿りながら最終的に50ほどのタブを開いて、それぞれを行き来して内容を比較しながら正解を探っていました。 
(画像:この事を調べている最中の、僕が常用しているFirefoxの「ツリー型タブ」サイドバーの様子。)

これは自分がFirefoxでツリー型タブを使っていたからできた事だと思います。 仮にツリー型タブを使っていなければ、検索結果を2~3個辿った時点でもう脳の記憶要領の限界を超えてしまい、一度開いたページを無駄に何度も開いたり、まだ見ていなかったページを見落としたりして、「もうこれは自分の手には負えない……」とさじを投げ、掘り下げての調査を放棄してしまっていたでしょう。 それどころか、誤った情報を鵜呑みにして拡散する側に回っていたかも知れません。

優秀な人なら、調べた情報を頭の中にどんどん入れていって脳内で処理するだけで「正解」に辿り着けるのだと思います。
残念ながら僕はそれほど短期記憶力も良くなければ頭の回転も速くないため、自分の脳だけを頼りに調査を進める事は困難です。 そういう一種のハンディキャップを補い、人並みの調査能力を手に入れるためには、僕にはこのようなツールの手助けが必要なのです。 (Google Chromeでタブが増えすぎて「盛り塩」状態になっていた人も多いと聞きますが、僕にはその状態でまともに使える気がしません……)

しかし、これは光明でもあります。
ハンディキャップは技術で補える。それまでは「自分には無理だ……」と諦めていた知的な行動も、ツールの手助けがあればできる。
生まれつき頭の出来が良い人だけの特権であった「複数の情報を比較して、掘り下げて調べて、正しい情報を探し当てる」という知的な行動が可能となる。
自分の能力不足で知的怠惰に陥らずに済むようになり、その結果、より良く生きられるようになる
目が悪ければ眼鏡をかけるように、記憶力が悪いなら「画面の中に全部出しておいて、記憶しなくて済むようになるツール」を使えばよいのです。

「技術は不可能を可能にし、人を幸せにする物だ」という事を、僕はこのような事を通じて日々実感しています。 だからこそ、自分にそのような生き方を可能としてくれたITという物に今なお強い思い入れを持ち、真摯に向き合いたいと考え、自分もそういう光明をもたらす側になりたいと思えているのかも知れません。

シス管系女子とハイヒール - Aug 24, 2018

彼氏と東京旅行をするので沢山歩くことを想定しスニーカーで行ったら、ヒールを履いてほしかった彼氏がブーブー…そこで彼女の取った行動とは?という話題がバズってたのと近いタイミングでみんとちゃんの靴をイメージした靴を作ったので、シス管系女子作中でのヒールの話を書きます。

(みんとちゃんがよく履いている靴の設定画)

みんとちゃんは作中で何種類かの靴を履いていますが、一番登場回数が多いであろうこの靴は、ウェッジソールでヒール部分は6~7cmの高さがあるだろうという想定です。モチーフにした靴はパンプス風のスニーカーで、みんとちゃんの靴もそれに倣っている(踵の所にプルストラップが付いているのはそのせい)のですが、絵の質感が完全にパンプスのそれになってしまっているので、再現靴として改めて作った物はウェッジソールのパンプスをベースにしています。

(再現靴の写真)

これは実用ではなく完全にコスプレ・撮影用と割り切っていて、ヒールの高さは11cmあります。ただしつま先側(フォーム)も4cmある厚底なので、踵がつま先よりどれだけ高くなるかという点で言えば実質ヒール高は7cmです。

(再現サンダルの写真)

こちらは上記の靴に次いで登場回数の多いサンダルの再現ですが、これもウェッジソールでヒールは7cmほどです。元々のモチーフになっていたサンダル(手放してしまった)も確か同じくらいだったと思います。

設定上は、みんとちゃんは脚が綺麗に見える靴が好きなのでヒールの高い靴を好んで履いており、ただしある程度安定感があって歩きやすい事からウェッジソールを選んでいる、という事にしています。

実際の所は、元々自分はハイヒールの形はピンヒールやチャンキーヒールくらいしか知らなくて、というかそういう様々な分類がある事すらも知らなかったのですが、妻がかつて普段履いていた靴が「かわいいデザインの、ヒールが高めの、でも歩きやすい(本人談)ウェッジソールのスニーカー」で、「そんなのがあるんだ!」「かわいいのに歩きやすいなんて一挙両得じゃないか!」「見た目のかわいさと実用性って排他じゃないんだ!」と強く衝撃を受けた事から、自分の中で「実用性を諦めない、したたかな『カワイイ』の象徴」として刷り込まれているという部分が大きいのだと思います。

一方の大野先輩については特にこういったこだわりは設定しておらず、それこそテンプレ的な「オシャレなOLが日常的にはいていそうなイメージの、4cmくらいのヒールのパンプス」をはいてもらっているつもりの事が多いです(それより高いヒールに見える絵は単なる作画崩壊です……)。

(大野先輩の靴)

4cmは一般的にはぎりぎりローヒールに分類される高さだと聞いたので、まあこんなもんじゃないのかなあ、みたいな。

とはいえ、彼女らはメタな発言をしがちなので、先輩ももしかしたら「今日はシス管系女子の連載回の撮影があるからちょっとヒールのある靴でオシャレしていこう」と考えてこの靴を履いてきているだけで、普段はもっと低いヒールのぺたんこ靴や普通のスニーカーを履いているのかもしれませんね。

バズッた話題の方では女性が男性からハイヒールを強制される事への恨み辛みが多く語られていますが、シス管系女子の作中世界に関しては、少なくとも服装規定でそうなっているとか、周囲からの圧力があってというようなことは無いです。


ところで、冒頭の靴とサンダルで丸一日写真撮影をこなしたモデルさんは翌日激しい筋肉痛に襲われたそうだという事をここにご報告しておきます。普段からこれを履いて過ごしているみんとちゃんは相当足腰が鍛えられているのでしょう……

Tech系Podcast「しがないラジオ」ゲスト出演しました - Jul 03, 2018

「SIerのSEからWeb系エンジニアに転職したんだが楽しくて仕方がないラジオ」略して「しがないラジオ」というネットラジオ(Podcast)があり、マンガでわかるGit等で知られる湊川さんが出演されていたことで僕はその存在を知った(というか「Tech系Podcast」という物の存在自体この時知った)のですが、その後「インフラガール」で知られるナツヨさんも出演されたと知って、(マンガのペン入れなどの言語野を使わない)作業の時にBGM代わりに聞くようになり、いいなあ自分もこういう所に出てみたいなあと思いながらチラチラと感想ツイートを繰り返すなどの小賢しい消極的アピールを続けていた所に、シス管系女子3の発売というタイミングが重なりまして、「それで今日は何かお知らせがあるということで?」「はい、実は最近こういう本を出しまして……」みたいな定番のアレをやるなら今しかないと思って「出たい!」と自己申告し、押しかけでゲスト出演させていただきました。

自分はFirefoxやThunderbirdの法人サポートを業務でやっていますが、エンドユーザーからの問い合わせを直接受けるのではなく、SIerの方やBtoB/BtoC企業のシステム管理部門の社内SEの方がエンドユーザーから受けた問い合わせのエスカレーション先として回答する立場で、Podcastのタイトルからすると脱出を図られる方の分野に近しい所にいると言えます。IT業界への就職や転職を考えている方でSIerかウェブ系かという二者択一で考える人は結構多い印象がありますが、その二者択一に含まれない選択肢もあるんですよ、そんなにキラキラしてないIT業界でも命を磨り減らさずに自分にできる事で生きていく例はあるんですよ、という事を前半では話してみたつもりです。

(Show Noteの注記にあるとおり、クリアコードの立ち上げ時のメンバーは、Podcast中で言っている「3人」ではなく「4人」です。よりにもよって社長をカウントし忘れておりました。直前のタイミングで実施した社内ミーティング(社長欠席)の様子を思い浮かべながら話していたので……事前に準備していない話題をふられると弱いという事が露呈していますね。)

後半では、OSSにコントリビュートするってそんな難しい事じゃないし、やると得られる物がいろいろありますよ、OSS Gateに来て挑戦してみてね、という話や、シス管系女子を制作する時に心がけている事、分かりやすく説明するためのコツやその逆の「べからず」について、あと、自分が(技術のコミュニティ等で)老害にならないためにはどういう事に気をつけたらいいんだろうね、というような事を話しています。とりとめのない話を思いつくままにしているようで、それらの話題が根底では繋がっている、という事が最後まで聞くと明らかになる構成に図らずもなっていて、結構面白い話になっているのではないかと思います。

パーソナリティのgamiさんとzuckeyさんは僕より10歳くらい若くて、過去の出演者陣の中でも僕(35)は最高齢一歩手前なのだそうです。クリアコードは全員合わせても10人しかいないという零細なので特に「昇進」のような概念が無く、「上司」然として部下を率いるような立場になった事が無いので、いつまでも下っ端気分で若いつもりでいてしまいがちなのですが、こうしてはっきり数字で見えてしまうとドキッとしますね。自分が26とかの頃を思うと、10歳とか離れてる上の人は「大先輩のおじさん」みたいな感覚で、緊張して思うように喋れなかったものです。後編では「老害にならないためには」みたいな話をしていますが、いつまでも若いつもりでコミュニティに居座り続けて(経験の差から)俺TUEEEEEして悦に浸るというのもまた老害の別の形ではあると思うので、重々気をつけねばいけないという思いを新たにしました……

 

自分の声を聞く事はあまりないので、終始「ドュフフフフwwww」みたいな感じだったらどうしようと戦々恐々としていたのですが、いい録音機材で録っていただいたお陰なのか、音質調整が巧みなのか、そこまで赤面する事も無く安心して「いやーいい事言ってるなあこの人。誰だ。あっ僕だ」と新鮮な気持ちで聞き返す事ができました。パーソナリティのお二人にうまく誘導していただいた事もあり、終始気持ちよく喋らせていただいて、気付けば朝の集合から4時間近く喋り通しでした。調子に乗ってマウンティングじみた俺TUEEEEE話をペラペラ喋るという、これはこれでまた老害っぽさがものすごい事になっていないか心配だったりもしますが、楽しい時間を過ごさせていただき、自分は大いに満足しております。改めて、この機会を頂きありがとうございます。

凍結されても迷惑行為をやめない人にできる事はあるのか問題 - Jun 30, 2018

この事件に関する報道を見ていた感じでは、限りなく通り魔に近いような物だったという印象だった。迷惑行為を繰り返す→通報される→通報されて凍結とかBANとかの対応を取られる→またアカウントを作り直す→迷惑行為を繰り返す……という事をしていた人が、通報・凍結の頻度が上がって追いつめられてストレスを募らせて、そんな時にまた煽られて、たまたま手の届く距離に来た人がいたから暴発した、という。だから、Hagex氏が公然と通報を煽らなければ良かった、みたいに言う人もいるけど、「人生がうまく行ってる人を見て妬む」みたいなのだってあるわけで、「不用意な発言をしないように気をつけましょう」なんてのは何の役にも立たないアドバイスなんすよね。

 

それはそうと、東洋経済オンラインの記事は「加害者を追いつめすぎるな」という論調だけど、かといって「迷惑行為をさせるがままにして、他のユーザーは彼の迷惑行為の被害を我慢しなければいけない」というわけにもいかないじゃないすか。ごく少数の迷惑なユーザーのせいで、一般ユーザーが離れてしまっては元も子もないし。

AbemaTIMESの動画では、よく炎上する事で知られるウーマンラッシュアワー村本氏が「昔は罵倒してくる人をブロックしてたが、ブロックされた人が逆上して余計に罵倒してきていた。今はミュートするようになって、相手はその事を知らずにずっと罵倒し続けているから、自分は快適で相手もスッキリしてWin-Win」みたいなことを発言していて(うろ覚えです。詳細は違ったかも)、やっぱり、こういう迷惑行為からフツーの人を守る鍵になるのは「ブロックよりミュート」という考え方だと思うんすよね。

自分がブロックされる側になる事があんまり無いからか、多くの人が気付いてないんじゃないかと思うけど、ブロックって「拒絶・否定した」というメッセージを相手に対して表明する行為なんすよ。普通に生活してて、明確に拒絶の意思を表明される事ってそうそう無いじゃないすか。これは多分断られるだろうなあ、断られても仕方ないよなあ、みたいな心構えができてる時ならともかく、前触れも無しに拒絶されたらイラッとする人多いと思うんすよ(僕はそうです)。それまでニコニコしてた人が、NOを伝えた瞬間に逆上するってよくある光景じゃないすか。「自分は相手から否定された」という事をわざわざ相手に知らしめる事は、リスクなんすよね。

もちろん、やっちゃいけない事をした人に「それはやっちゃいけない事だ」と指摘して、行為を改めさせる事は大事です。でも、言ったからってやめる人ばかりじゃないし。むしろ、自分の中で反省する準備ができてない人は、何を言われても頑なになるだけで、反省なんかできるはずが無いし、行為だって改めないし、余計に攻撃的になる事だってあるわけじゃないすか(こういった話は、実際に刑務所等で犯罪者の更生に関わった人が書いた「反省させると犯罪者になります」という本が面白いのでオススメです)。行動を改めも反省もしない人に対して、「あんたはブロックされたよ」「あんたはBANされたよ」とわざわざ伝える事に意義なんて無いわけですよ。

「ミュート」の面白い所は、ここがデジタルというかネットというか非物理的なサービスの面白い所なんだけど、見る人ごとに違う物を見せる機能だという点なんですよね。ミュートしてる人からは、ミュートされた人がいないかのように見える。ミュートされた人からは、自分がミュートされているとは分からない、今まで通りの物が見えている。なので、僕はこう思ったのです。迷惑行為で通報された荒らしユーザーは、サービスを使用する権利を全面的に剥奪される代わりに、単に隔離されて、自分以外の全員からミュートされるようになってたらいいんじゃないのか? と。そうすれば、迷惑行為をはたらく人は今までと変わらずに迷惑行為(と主観的には感じられる行為)をしてスッキリできるし、他の人は迷惑行為から守られるし、Win-Win。もっと言えば、サービス運営者も「迷惑な人」一人分のPVを失わないで済むのでWin-Win-Winかもしれない。

ただ、相手の反応なんかお構いなしに暴れ回る人ならそれでいいんだけど、反応される事が自分の快楽ループに組み込まれてる人だと、「無視するんじゃねー!!」と逆上してしまいかねないという問題は残る。これをどう解決すればいいか。

スラドのように、他人からの評価がマイナスの人は「デフォルトでは見えない」「わざわざ見ようと思って見る物好きは見れる」というシステムになっていれば、何かしらの反応はある状態を維持できるかもしれない。でも、本人を逆上させないためには「自分の評価がマイナスという事を本人に知らせない」事が大事と考えると(スラドはそうはなっていない)、荒らしを自ら覗きたがるような意地の悪い物好きだもの、「あんた評価マイナスで見えなくなってるよ」とわざわざ告げ口しかねない。告げ口は無粋、黙って観察せよ、というスタンスの「ウォッチャー紳士」ばかりではない。だから「人に見させる」のはやっぱりリスクだと思う。

それで考えたんすけど、ここはひとつ、今流行りの機械学習でもって「荒らしがされたい反応だけを返す人」を演じるbotも用意して、「一般ユーザーが見てる世界」と「荒らし本人(達)と、それに反応するbotだけの世界」とを用意してみるというのはどうでしょうか。実際、自身が隔離されているという事を本人が認知できるという点を除けば、GTAタイタンフォールといったオンラインゲームにはそれに近い仕組み(違反者とNPCだけがいる、「負け犬サーバー」とか「チータープール」と呼ばれる物)があるそうだし。専用ワールドを維持するコストはかかるけど、Twitterやはてブのように人の悪意が増幅・拡散されやすい仕組みのSNSでは、人の命がかかってるんだから、社会に対する義務を果たすための必要経費として容認してもよいのでは? なんて思っちゃって。

……という事を考えてはみたんですが、自分で言っててすごいディストピア感ありますね。だって、何も言われずに隔離されて、その事に本人で気付けないって、自分で行動を改める機会を奪われるという事だもの。ある意味非常に冷酷で残酷な措置だ。主観的には幸せかもしれないけど、客観的には哀れですよね。というか、そういう物が既に実用化されていて、自分自身も既にそういう世界に隔離されてるんじゃなかろうか? と思うと、背筋が薄ら寒くなってくる。

 

もっと生産的に考えると、単に荒らしがされたい反応だけを返すbotにするんじゃなくて、カウンセラーのように振る舞うbotにするというやり方もあるかもしれませんね。つい最近、カウンセラーにも当たり外れがある(誰もが人間的にできたカウンセラーばかりでなく、未熟で技能的にも不適格な落第カウンセラーもいる)という話を見かけたけど、botだったら「自身の感情」に流されずにカウンセラー役を淡々と勤め上げられるでしょうから。どうでしょう。まだまだSFの世界の話すぎますかね?

セクハラを「軽い気持ちでやってしまう」人、の考える事:自分の場合の振り返り - Jun 28, 2018

このエントリは、女性エンジニアの権利を守りましょうとか差別よくないよねとかの社会に対する語りかけとは本質的には関係無い、個人的な述懐です。

女性エンジニアの差別やハラスメントの話と、それをきっかけに考えた差別やハラスメントそのものの話と、立て続けにクッソ長文を書いてしまったのですが、自分でもちょっとどうしたのと思う部分はあります。

「自分がやってる事まで一緒くたにされると困る」「下手したらこっちにまでとばっちり来そうだから先に釘刺しておきたい」みたいな自己保身、予防線というのも動機の一つではあったのですが(その割に、「シス管系女子なんてタイトルの物を作ってる奴がどの口で言うんだ」みたいな明らかに文章を読んでない反応もあったので、藪蛇にしかならなかったのかもしれませんが)、やっぱり最大の動機は、過去の自分を恥じる気持ちが強いからなんだと思います。

自分が言及した記事の反応(の一部)僕の書いたエントリへの反応(の一部)なんかも、見てるとほんと辛いんですよね。憤慨してる人がいる一方で、何が悪かったのか全く分からないという人がかなりいて、それが過去の自分にものすごくそっくりに思えて。なので、「過去こういう中の一人だった自分だからこそ、こういう人達に届く表現ができるのではないだろうか?」と思って、色々な言葉でなんとか表現してみようとしたのでした。結果はお粗末でしたが。

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差別性・ハラスメント性は「どこかの極悪人」だけの物じゃなく皆が持つ物なんだよという話 - Jun 24, 2018

1つ前の女性エンジニアうんぬんの話のエントリの反応を見ていて、「これは差別だ」「これは差別ではない」という軸での対立が見られる事に気がつきました。

そもそも僕が書いたエントリ自体もざっくり言えば「これは差別だ」派に属しているわけですが、それに対して「これは差別ではない」派の方からの言及があり、その対立軸を自分自身がよりはっきりと意識する機会になりました。

  1. Y社のエンジニア炎上について思ったこと -「女性エンジニア少ない問題:元増田
  2. Y社のエンジニア炎上について思ったこと 続き:僕の1つ前のエントリへの言及
  3. それへの僕のコメント
  4. 僕のコメントへの返信

このやり取りを見ると、僕が長文で書いた事の諸々のうち大筋では「これはよいこと」「これはよくないこと」という認識が双方で共有されているものの、「元発言が差別か否か」という点で決定的に認識が対立しているようである事が読み取れます。

自分としては、「こういう点で問題があるから避けよう」「こういう理由で問題無いからこのままやろう」という線引きが明らかになる事で、同様の「やらかし」が世の中から少しでも減りつつ、「なんか炎上しそうだから……」という漠然とした不安からの萎縮も減ってくれる事が望みなので、敢えてこれ以上の事を続ける必要も無いかなとも思うのですが、その一方で、肯定派と否定派の対立が一点に集約されるのも興味深い話だと思ったので、自分の思う所を改めて記しておこうと思います。

あと、自分はこれを「差別」と「ハラスメント」の両方にまたがる話と捉えており、両者は同じ物事の異なる面であって不可分と考えているので、このエントリでは「差別」と「ハラスメント」をワンセットで取り扱う事にします。

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女性エンジニア少ない問題を解決する話、の何が問題なのか - Jun 22, 2018

自分の観測範囲で「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する - ログミーTech(テック)という記事が話題になっていたので見たら「アチャー……」としか言いようがなかった。

概要を説明すると、技術職の男性の発表で「職場に女性がいないとやる気が出ない」「女性エンジニア増やしたい(※文脈的にはITエンジニアという意味のようでしたが、ITに限らず言える事のようなので、以下の文でもそのまま単に「エンジニア」と表記します)」「本物の女性エンジニアを増やすのは人材育成のコストがかかる」「なので機械学習で声質変換を実現した。男の声で喋った内容に対応する女声の音声を出力する仕組みを作った。」という話です。技術的には多分大したことなんだと思う(自分は機械学習には詳しくないのでよく分かってない)けど、その発表の「掴み」のための話が技術の良さを台無しにしていると思いました。

これに対して、自分の観測範囲では「懲戒処分ものだ」とか「この程度で過剰反応しすぎ」とか色々な反応が見られましたが、賛否どちらにしても「何が問題なのか」という点がきっちり共有されていない印象を受けたので、その点にフォーカスして覚書を残しておきたいと思います。「なんかよくわからんけど、この辺の話題は怖いから触れんようにしとこ……」みたいに腫れ物扱いして萎縮してしまわないで済むよう、こういう根拠でこう言えるからこれは改めようとか、こういう根拠でこう説明できるからこれはそのままでいいとかの、明確な判断をするための材料の一つとして読んでもらえたら幸いです。

 

最初に明記しておきたいのですが、僕はこの発表を行った彼個人をやり玉に挙げて個人的な責任を問うべきとは思っていません。詳しくは後述しますが、これを通過させたチェック体制の方だったり、社風だったり、あるいは社会の風潮だったり、そういう事の方にずっと重い責任があると思っています。(そして、彼の所属組織にもイベントの主催団体にもメディアにも自分は全く関係ありませんが、別の所でその責任の一端を自分も負っている、と思っています。)

(28日追記)また、この件を非難している人は必ずしもジョークを解していない訳ではないという事も、本題に入る前に明記しておきます。恐らく発言者の彼にとっては「女性エンジニア云々は技術の本題に入る前のただの枕のジョーク」という認識だったと思いますし、擁護している方も「ただのジョークじゃないか」と思っている様子が窺えますが、批判している人の多くはこれを「悪質なジョーク」として批判しているのだという事は、最初に押さえておくべきポイントです。

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説明すること、理解を求めること、自分が相手を理解すること、目を逸らさず自分の非に向き合うということ - Feb 26, 2018

sp.13b【ゲスト: pupupopo88】楽しいよちよちRubyistがコミュニティに貢献する理由 | しがないラジオの中でKPTの導入の話があった。KPTとは、今取り組んでいることに対して何かのタイミング(定期的に、が基本)でKeep(よかったこと、今後も続けること)・Problem(よくなかったこと、改善が必要なこと)・Try(改善案、Problemを取り除くための次の取り組み)の3つの観点で振り返りを行う手法のことだけど、これを使って会社の中で物事を改善していくにあたって「問題・対・私達」という姿勢が大事という事が話されていた。それで思い至った話なんだけど。

そもそもなんで敢えて「問題・対・私達、という姿勢で取り組まないといけない」なんて事を言わないといけないのか。言い換えれば、なぜ敢えてそういう風に言っていかないと、我々は、すぐに「えっ困ってる? それ君個人の問題だよね、俺ら関係ないよね?」と考えてしまうのか。

我々って誰だ。KPTでの改善が必要なくらいに、問題が解決されないままになってしまっている集団に属している人々、だ。なぜ問題が解決されないままになってるのか。誰もが自分で責任を引き受ける事から逃げ続けているからだ。自分で責任を引き受けるとはどういうことだ、「それ君個人の責任だよね」と言うことと何が違うのか。まったく違う。「それは君個人の責任じゃないね。そういう事が発生してしまう状況を放置してきた我々(その一員である自分)の責任だね。だから私もこの問題の解決に取り組まないといけないね」、こういう姿勢が要るってことだ。

「問題・対・私達」という考え方で問題に取り組むためには、今まで個人に責任を押しつけて自分は無関係だと無視を決め込んでいた自分を改めないといけない。そういう駄目だった自分がいたという事実に向き合わないといけない。

 

しかしなぜこうも、我々は問題を個人の責任に帰結しようとしてしまうのだろう。僕は、「そういう教育を受けてきたから」「大人がそうしているのを幼い時分から見てきて、そうするのが当たり前と学んできたから」なのではないかと思っている。

こういう話題になったときに僕が決まって思い出すのは、幼い頃の「言い訳するな、他人のせいにするな」と「怒ら」れ「反省を強いられた」体験だ。いや、事実としてそうだったとは限らなくて、主観的にはそう感じられたという事なんだけど。いちいちハッキリ詳細に覚えているわけではないけど、自分の思う正義とか道理とかがあって、それに反した事を頭ごなしに押しつけられて、弁解の余地も与えられなかった、そんな体験の記憶がある。ちゃんと自分が悪かったと納得していたら、こういう記憶の残り方はしなかったのではないだろうか。納得できないままただ反省の言葉を述べることを強いられた、という終わり方だったからこそ、そう記憶しているのではないだろうか。

僕が度々紹介している本で、反省させると犯罪者になります(著:岡本茂樹)という本がある。というか、「反省」というフレーズが関わるような場面での僕の考えや発言のかなりの部分はこの本の影響を受けている。刑務所で犯罪者の更生に関わっていたという人の書いた本なんだけど、「形式的な反省を重視して、本人の納得を軽視する」事は何の解決にも改善にもならない、なぜなら本人が納得しないまま反省のポーズを取ることだけを求めると、処世術としてポーズを取ることだけを覚えるからだ、というような事が書かれている。

そこから考えを発展・一般化させると、こういう事が言えるのではないだろうか。
形式的な反省を強いることは、問題の本質と向き合わずにただその場をやり過ごす(反省のポーズを示す)という処世術や、それを良しとする姿勢を養う。
問題の本質と向き合わずやり過ごす最も簡単な方法は、問題の発生をその問題に直面した個人の責任に帰結させること。
問題が解決されることそのものよりも、「責任を認めた個人がいて、その人が反省して以後改めると言った」ということの方にばかり注目する、そうして「やり過ごす」事が重なっていく。
その結果として、様々な問題が解決されないまま放置され続け、深刻化していくのではないか。
仕事の現場以外での社会の問題、例えば生活保護受給者の自己責任論も、ワープア派遣労働者の自己責任論も、この延長線上にあるのではないか。

 

べつに、何でもかんでも組織や社会のせいにして個人の責任をうやむやにせよと言いたいわけではない。問題の本質を深掘りしていくと、組織やシステムのせいである場合も、個人のせいである場合も、どちらもありうると思ってる。大事なのは、「個人のせいにすればいい」あるいは「システムのせいにすればいい」のどちらか片方に決めつけてしまうという思考停止、をしないこと、ちゃんと問題の本質を理解すること、だと思う。

人には防衛機制という物がある。本当に自分に責任がある事でも、まずは責任転嫁して「自分のせいじゃない」と考える傾向がある。そのため、認知を歪めて世界を自分に都合のいいように解釈してしまう。そしてこれは、問題を起こした人本人だけでなく、その人に関わる周囲の人にも同じ事が言える。その問題が引き起こされた原因はもしかしたら、自分(周囲の人)が属しているシステムの方にあって、その人本人はたまたまその皺寄せが表出するときに居合わせただけなのかもしれない(し、そうでないかもしれない)。問題の本質に近付くためには、双方の対話を通じて慎重に認知の歪みの存在を炙り出して、それを取り除いていかないといけない。どちらか片方でもその姿勢が欠けていれば、途端に本質から遠ざかってしまう。

本質に辿り着いていないままの状態でする議論も対策も、すべて無意味だと僕は思う。本質と離れた状態のままで議論しても、本質が分かっていない分、必ずその結論には歪みが生まれる。プログラミングで言えば、ロクな調査もしないでworkaroundを重ねるのと同じだ(こういうのをカーゴ・カルト・プログラミングと呼ぶという事を僕は最近知った)。問題の真の解決を図るためには、物事や世界を良くしていくためには、問題の本質と徹底的に向き合う事から逃げてはいけない、と僕は思う。

偏見、決めつけ、思い込み、認知の歪み、自分はそういった物に影響され間違った事を度々してしまう残念で平凡な人であるという事を、歳を重ねるごとに思い知らされる感じがある。「できた人」「有能な人」では決してないから、「そういう駄目さをカバーしてちゃんと問題の本質に近付くために」いろいろ工夫して仕組みを作っていかないといけない、そんな気がしている。


僕が常々「正確な説明」とか「分かりやすい説明」とかを心がけているのは、そういう思いが根底にあるからなのではないかと思う。本質の理解を避けて表面的な丸暗記だけに留めてしまうと、応用が利かず、教わったたった一つのやり方を、本来適用するべきでない場面にまで適用してしまい、事態を悪化させてしまう危険がある。そう思っているから、僕はシス管系女子ではできる限り「おまじない」的な思考停止を促すような説明を避けているつもりだ。

別の事例で、僕が公開しているコードに寄せられたプルリクエスト に対して、たった1行だけの変更を入れるか入れないかでコメントのやり取りを2~3往復要したというのもあった。Closeする事だけに着目すれば「まずマージして、その後勝手に直す」という対応を取る所だろうけれども、相手が「これは不備ではなく意図的なものだ」という説明をしていたので、これは双方の意図に食い違いがあるのではないかと思い、改めて自分の意図を丁寧に説明して、相手の誤解が解けた事をもって初めてマージするという事をした。余計な手間をかける事に何の意味があるのかと思う人もいるだろうけれども、自分の方がむしろ間違っている可能性もあると考えると、その可能性を排除しないまま自分のやり方を押し通す事が最良とは思えなかった。

こういうのは、難易度が高い事というよりはとても面倒な事で、色々な事に忙殺されているとなおざりにされがちなのだろう。教育の現場なんてその最たる例で、一人一人の児童に寄り添って丁寧にやってたら成り立たないのだろう、だから前述の僕の嫌な記憶は「学校」とセットになっているんだと思う。

状況が許す限り、僕は問題の本質の理解を蔑ろにしたくないし、それと表裏一体で、本質の理解を蔑ろにしなくても済むように、本質にきちんと向き合える状況を維持していきたいものです。

肩書き迷子 - Feb 23, 2018

「マンガで分かるGit」等で知られる湊川あい氏が転職を決意したきっかが、Webデザイナーとして就職した会社で人手不足のため裏方から事務まで担当していた時に、本分であるはずの「Webデザイナー」ではなく「細々としたことをしてくれている人」と当時の上司から社外の人に紹介された事だった、というのは何度か語られている事だ。なりたい自分になれていないという事実を突きつけられ、現実を直視し、なりたい自分になるための覚悟を決めたのだという。

この話を聞いて「そりゃひどい。本分じゃないことをあれこれやらせておいて、その上、肩書きとしてすら本分が何であるかを認めないとは。」と思い自分の事のように憤慨したのは事実なんだけど、しかしその一方で、仮に自分が「細々としたことをしてくれている人」と紹介されたとして、同じように感じるのだろうか? というと、どうもそこまでのショックを感じないのではないかという気がしている。

 

というのも、就職活動の時期に至ってすら自分は「何になりたいのか」がハッキリしておらず、何なら「雇ってくれるならどこでも行きます! 仕事をやらせてもらえるなら何でもします!」くらいの雑な考え方しかできていなかった(今になって思えば、最初の会社の社長はよくそんな僕を雇ってくれたものだと思う)。それに実際入社が決まって以降も、開発業務ではなく広報のお手伝いのようなデザイン業務(チラシ・ポスター製作、Webサイト制作)をずっとしていたし、日経LinuxにOpenOffice.orgの解説記事を連載して挿絵も自分で描いてたし、OOoの解説本は中身は書かなかったけど装丁をやったし、東京に来てからも週の半分くらいはMozilla Japanでマーケティング活動のお手伝いでチラシやポスターや紙袋を作ったり、動画のディレクションをしたり、配布するCD-ROMに入れるFirefox Portableの起動用スクリプトを作ったり、フォクすけをデザインしたりテキストを書いたりアドオンも書いたり、自社にいるときも名刺やチラシを製作したりWebサイトも制作したり、Railsを使った開発案件もやったしSambaのサポート案件で客先を訪問して本番環境でトラブったりもしたし、あとFirefoxやThunderbirdの導入サポート案件やインシデントサポートもやってたし……とにかくもう何でも、やるように言われた事はやってきたので。要求された仕事をこなすことが社会人としての自分の価値、こなせなければ価値は無い、と思っていたから、それを不思議に思うこともなかった。

プライベートでも、最初の趣味は絵を描く事だけだったけれども、中学でプログラミングをやり始め、高校では漫画研究部で漫画やイラストを描きつつWeb標準に傾倒してCSSでのレイアウトに凝り、大学ではWeb標準技術をきっかけとしてMozillaに傾倒しそれまで以上にプログラミングに本格的にのめり込んでいき……と、やる事が一定していなかった。自分の中での「自分は何者である」という肩書きを、僕は原点がそうだったからという理由で「絵描きです」と思っていたけれど、気がつけばいつの間にかプログラミングの比重の方がずっと大きくなっていて、絵も元々細かい描き込みを面倒臭がるような所から「絵を描くのが好き」というわけではなかったようだという事が露呈してきていて、改めて考えてもますます自分が何者か分からない状況になってしまっていて。

突き詰めると僕は、人に誉めてもらえるなら何でもやる見境のない人間であるし、自分が気に入らないと思ったら領分を踏み越えて余計な手出し口出しをしてしまう傲慢な人間であるという事なのだと思う。やったことを「誉めて」もらえるのならどう呼ばれても構わなくて、「この立場として誉められたい、他の立場として誉められたくない」という事の拘りがないのだとも思う。ITコミュニティでアイドル扱いでチヤホヤされる人に対しても、羨ましさを覚えこそすれ、「ああいう風には扱われたくない」とは実際の所思っていない。何なら、自分がイケメンであってアイドル扱いでチヤホヤされるならそういうのも良いなとすら思う。

そんな生き方をしているから、僕は「こういう人です」と一言で言える肩書きを持てていない、迷子になってしまっている。

 

あるいは別の角度から言うと、僕は自分で肩書きを自称するのを恐れているのだとも思う。「Webデザイナーです」「プログラマーです」「漫画家です」と名乗ったら、その瞬間から「あいつWebデザイナーって名乗ってるけどデザインセンスねえな」「あいつプログラマーって名乗ってるけど全然技術力ないな」「あいつ漫画家って名乗ってるけど全然おもんないし絵も下手だな」というような人格を傷付ける揶揄から逃れられなくなる。それが怖いから肩書きを自分からは名乗れずにいる、という部分は間違い無くあると思う。

そういう恐怖があるから、「自分の職業は戸倉綾です」というような「誰でもない自分」宣言すらもできない。自分の生き方という物にすらもそこまでの強い信念や自身を持てていない、という事実に向き合わざるを得なくなる、それを恐れて逃げ続けているという事なのだと思う。

 

あとは、ほら、なんだ、その、自称より他称の肩書きの方が欲しいんすよ多分。口コミで評判が広まって客の絶えない店と、広告バンバン打ちまくって知名度上げて客の絶えない店と、どっちがおいしそうに思う?って話ですよ。口コミで評判が広まって勝手に「プログラマー」とか「漫画家」とか呼んでもらえるようになる、そういうのに憧れてるんすよ。 自分で名乗ったらその責任は自分に返ってくるけど、他称だったら自分に責任無いじゃないすか。ねえ?

という事を考えると、どうも、僕の肩書きとして適切なのは、「誉められたがりのくせに覚悟の足らないゲス」とかそんな所っぽい感じです。


肩書きがハッキリしてなくてもそのこと自体に不満を感じていないのは、作った・やった成果そのものまで否定される訳ではないからなんじゃないか、と思ってる。成果を知られてないからもっと知られたいとか、成果に対する評価が聞こえてこないから寂しいとか、絵が下手だとかスキルが低くて作った物がヘボいとか、そういう所での辛さはあるけれども、描いた絵はなくならないし作ったプログラムもなくならない、作った物・やった事が無かった事にはなってないからなんじゃないかな、って。

何年に出版されたと奥付に記されている本が国会図書館に所蔵されているとか、何年に開始されたプロジェクトのGitリポジトリがGitHubにあるとか、成果があったという事実やその証拠が世界のあちらこちらに痕跡として残っている以上、無かった事になるというのはまず無いだろうと思えているので、それで僕は今、精神的な安定を得られているということなのかもしれない。

だから、「お前は何もやってない」とか「お前は絵を描いてない」とか「お前はプログラムを作ってない」とかそういう風に言われたとしたら、その時の方が僕は強く動揺してしまう。実際、「マンガで技術解説してる誰々さんすげえ! 新しい! こんなの他に無い!」と他の人がパイオニアとして賞賛されているのを見ると「うっ……僕も何年も前から連載してるんすけど……」と辛い気持ちになるし、その誰々さんの口から「Piroさんて人も漫画で技術解説してる」と言ってもらえたら、それだけで(その事がその誰々さんの読者層の人達に認知されないままであったとしても)溜飲が下がる。本の表紙に名前が載ってても奥付に名前が載ってなかったらものすごく不愉快な気分になる(実はシス管系女子の1冊目の初版がそうだったのです……何らかのミスでそうなったと聞いています)。

自分が思ってる事実の認識と、現実に起こった事としての事実とが、ずれてないといいんだけど。そこがずれてしまうと、何でもかんでも「わしが育てた」って言っちゃう頭のおかしい人になってしまうので。そうはならないでいたいですね。

女性エンジニアが自分の好きなように生きられるように、あるいはただの惚気話 - Dec 08, 2016

妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016その2をご覧の皆様、はじめまして。Piroといいます。

自分は現職のITエンジニアですが、会社の仕事とは別に、日経LinuxというLinux関係の技術情報の月刊誌でシス管系女子と題した漫画形式の記事を連載しています。
まんがでわかるLinux シス管系女子(1巻表紙)

基本的に話も技術面での検証も作画も全部一人でやっているのですが、そのせいで内容を冷静な目で見られなくなってしまうことがあります。そんな時、幸いなことに妻も現職のITエンジニアなので、「話の展開に無理が無いか?」とか「この解説で通じるか?」とか不安を覚えると度々、妻に下描きを見せて率直な感想を聞かせてもらっています。率直に言って大変助かっています。 だというのに、最近は連載の〆切に追われて平日も休日も一杯一杯になってしまっている事が多く、妻には迷惑をかけてばかりで申し訳ない限りです。

さて。「シス管系女子」はとある企業の新米システム管理者の女の子「みんとちゃん」が主人公なのですが、今日の話はみんとちゃんの衣装の話です。

自慢じゃないですが、自分はファッションセンスがありません。そんな自分が女性キャラの衣装を自分でゼロから考えても碌な事にならない、しかし巷のファッション誌を参考にしようにも色々ありすぎてどんな服を着せればいいか分からない、ということでみんとちゃんの衣装はもっぱら妻の私服を参考にさせてもらっています。

シス管系女子 利奈みんと 作画設定(2016年版) by Piro/結城洋志 on pixiv

(そんな訳なので、たまに読者の方に「みんとちゃんの服装かわいいですね!」と言っていただけると、「でしょ!?かわいいっすよね!!」と全力で同意して間接的にのろけているのです。)

実をいうとみんとちゃんの衣装には単純にデザインのみならず、ポリシー面についても妻から学んだ事が反映されています。 それは、「男にウケるためでもなければ、周囲に文句を言われないためでもない、自分(みんとちゃん自身)のために自分(みんとちゃん)が好きな服を着る」ということです。

聞いた所によると、妻の最初の就職先は色々とお堅い会社で、服装規定も結構厳しかったそうです。 女性社員は私服であっても地味目のおとなしい服でなければならず、そのため妻も本人の好みに合わない服を買って着ていたそうです。 そんな訳なので、転職して服装既定の厳しくない会社に移ってからはその頃の服はほとんど全くと言っていいほど着なくなってしまい、結局、クローゼットの中を整理した時にそれらはほとんどすべて処分してしまいました。

社会人、特に普通に会社に通勤するという働き方の人にとっては、人生の中でもそれなりの長い時間を会社で過ごすことになります。 そんな長時間を、いたくもない姿の自分でいることを強いられるというのは実に不毛なことです。

せっかくなら、周囲の目を気にして好みに合わない格好を我慢してするのではなく、自分が本心から「可愛い!」とか「格好いい!」とか「楽だ!」とか思えるような格好でいられる方がいいに決まっていますよね。 一度きりの人生なのですから、しなくてもいい無理をせずに自分の生きたいように生きるのに越したことはないです。

実際に作品中で描いてる服のチョイスは妻の好みと僕の好みの論理積なので、どうしても偏りが生じてしまっているのは否めない(実際には妻はジーンズをはいている時も多々あります)のですが、それでも描き手の思いとしては、(ネタのコスプレ以外では)少なくともみんとちゃん本人が着たいと思わないであろう服は着させないようにしたいし、本人が見せたくないであろう物は見せないようにしたいと思っています。

例えば、みんとちゃんは丈の短いワンピースやミニスカートを着ていることが多いですが、下に短パンをはいているので絶対にパンチラしないということにしています。これには「掲載誌がお堅いのでえっちなのはNGだから」という理由もありますが、それより何より、彼女はかわいい服を着たいだけであってパンツを見せたい訳ではないのです。周囲の男性社員に対するサービスでかわいい服を着ているのではなく、彼女自身がその服を好きだから着ているのです。

「シス管系女子」は技術の話の学習漫画ですが、それとは別のささやかな裏テーマとして、みんとちゃんというキャラクターのありようを通して、女性エンジニアが当たり前に自分の生きたいように生きられている様子を描きたいという思いが自分にはあります。

それが妻の仕事環境や生活環境に何か直接影響を及ぼすわけではありませんが、「そういうのが当たり前」という様子を描いて、そういうコンテンツが増えていくことで、妻や後に続く人達が少しでも生きやすい世の中になってくれれば。 そう思って自分は今月号も、誰に頼まれたわけでもないのにみんとちゃんに先月号とは違う衣装を着せている次第です。 (そして絵を使い回せなくなり、また自分で自分の首を絞めているのでした……)

以上、飛び入りで妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2016その2の8日目に参加してみました。 明日の記事もお楽しみに!

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