宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
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恥ずかしながら、(アメリカのDEIへの揺り戻しでのトランプ旋風、みたいなのとは別の話で)欧米でアファーマティブアクションが廃止されていっているということは把握していなかった。
以前に、アファーマティブアクションのアメリカ英語表現がpositive discrimination(肯定的な差別)だと知って、それ以降「差別・不公平解消のためなのだから」で思考停止して無条件に推進するのはよくないのだなと思うようにはなった部分はある。
ただ、今存在している「男女比が偏りすぎてて参加しづらい、行っても女性特有の事情への理解がなくて辛い」という問題、困っているという人自身による訴えを無視する気にはやはりなれない。
問題を早急に解消し状況を是正する良い方法を他に思いつかないことから、「女子枠」のようなアファーマティブアクションの「マイノリティ枠」は、状況の変化を踏まえた終了(都立高校の男女枠が、元は女子差別解消のための物だったのに、現代では逆に女子差別になっていたという件のように)を常に意識しつつ、ひとまず肯定する、という立場を僕は今まではとってきた。
しかし、理系分野での論文でまで「逆効果だ」と言われると、その立場すらも取りづらさを感じる。
理想的には、人々の意識が少しずつ変わっていき、その結果として差別がなくなるのが一番いいソフトランディングだ、というのは分かっている。短期間で急激に何かを変えるハードランディングは、どこかに皺寄せが生じて禍根を残す、というのも分かる。
ただ、「時間をかけてのソフトランディング」という理想は、差別を受けていないマジョリティ・強者側にとってはひたすら都合が良い一方で、今まさに不合理な差別を受けているマイノリティ・弱者側には「ただ我慢しててください、今の世代での解消は諦めてください」と言っているに等しく、それ自体が強者の理屈の押しつけではないか、と僕には感じられる。
なるべく早急に不合理を解消することはできないのか、と僕は思ってしまう。
自分が属するソフトウェア開発者コミュニティでは、性別その他のあらゆる差別を許さないCode of Conduct(行動規範と訳される)を自主的に掲げることが流行っていて、圧倒的多数を占める男の側にも「差別を解消していこう」という動きがある。そういう領域でまで、軋轢を増やすリスクを負ってマイノリティ枠を敢えて設ける必要性は、そこまで強くなさそうとは思う(それでも気後れする人や、セクハラを懸念する人はいて、女性のみ参加可能なイベントやカンファレンスといった形の保護的なやり方はまだ必要なのだろう、と僕は思っている)。
しかし、そうでない、差別を温存したい勢力の方が支配的な集団において、集団の自浄作用で差別解消の取り組みが進むことにまでは、僕はどうにも期待を持てずにいる。
それこそ男女雇用機会均等法のように、上から強権的に押しつけて枠を作りまでしないと変わっていかないのではないか? という気がしてならない。
そして、「アファーマティブアクションは逆効果だ」という言説は、そのような差別を温存したい人たちにばかり悪用されていくのではないか、という気がしてしまう。
そういう疑念が拭えなくて、「マイノリティ枠」へ反対する人自身がマジョリティに属しているのを見ると、「これって、差別反対と言っておかないと決まりが悪いからポーズを取ってるだけで、本当は差別を減らしたくないんじゃないの……?」と思ってしまう。自身がマイノリティに属している人が反対しているのを見ても、「過剰適応してるってことはないのか……? 名誉白人や名誉男性になってしまってないか……?」と思ってしまう。そういう偏見・先入観を僕は持ってしまっている。
なので、冒頭の2つの記事を書いた人が「マジョリティに属しつつ、マイノリティ差別解消に積極的に取り組んでいて、且つマイノリティ枠に反対している人」だということを認知して、戸惑い、僕自身の持つ先述の通りの強い偏見・先入観を自覚させられた。
委員としての男女共同参画推進実績:
- NENENENE@研究 (@SUKANEKI_STI) May 22, 2025
・市の保育士給与助成金を継続へ
・育児講座を男性にも積極実施へ
・男女双方のDV対策を計画に明記
・市のセクハラ対策推進へ
・「男女」にとどまらない性的マイノリティ含むインクルーシブ環境の実現へ(青線は私の提案が丸ごと採用)
などなど。。。 pic.twitter.com/8gQ2SLgEZb
そして、じゃあそういう人を偏見で見ていた僕自身は、何か差別解消につながる事を実際にできているのか? 偏見をぶつける資格はあったのか? ということを考えてみるに、残念ながらそう多くのことはできていないと感じる。
まず、女性ITエンジニアをお飾りでなくプロフェッショナルな技術者として描く、ということを意識した解説漫画を10年以上連載してみてはいるけれど、その点が世に何か影響を与えている実感はない。
「読んだ」「コマンド操作を覚える役に立った」という声を頂くことは何度かあった(それは本来の役割を果たせてたということで、大いにありがたいのは間違い無い)けれど、女性ITエンジニアの描き方については、「オシャレで良い」といった肯定的な声もあったけれど、(恐らくは、中年男性作者である僕が自分の好みを込めて若い女性のキャラを描いているという事実について)「キモい」といった否定的な声もあったように記憶している。
「シス管系女子」というタイトル付け(「草食系女子」のようなフレーズにヒントを得た命名だった)自体が、「女性ITエンジニアが普通にプロフェッショナルとして働く」様子を描く物のタイトルとして相応しく感じられない、却って女性を特別に一段低く見ているタイトルのように思われる時代となったと感じ、新装版で「ITエンジニア1年生のためのまんがでわかるLinux」と改題したけれど、これもマッチポンプといえばマッチポンプで、元々世の中にあった差別的なものを「減らすのに寄与した」わけではない。
Firefox用アドオンのTree Style Tabでは、コンテキストメニュー再現にあたって既成のメニュー提供ライブラリーでキーボード操作に対応した物を見つけられず、アクセシビリティ観点でマシな物をと思ってわざわざライブラリーを自作した。TSTのGUIを音声で操作する人がいると知って、実際にそのためのツールを自費で購入して、検証しながらアクセシビリティ面での改善を図ってみた。また、書字方向が右から左の言語圏の人からの要望を受けて、アラビア語版Firefoxで検証しながら、全体に渡って手を入れてRTL対応を改善してみたりした。これらは、マジョリティの自分の用途だけを指向していては陥ってしまうマジョリティ優遇・マイノリティ冷遇を解消した、と言える事例だと思う。
しかし、擬似メニューはFirefox本体の改善で早々に無用になったし、報告を元にした改善も、報告者の人以外に具体的な声は皆無なので、実際どれだけ意味があったのかは分からないままでいる。多大なコストをかけて無意味な事をしただけに終わってしまっているのかもしれない。
そういった「成果の無さ」を鑑みるに、結局何もしてないくせにSNSやブログで言葉でだけ威勢のいいことを言っている、という誹りは免れ得ないと感じる。
それどころか、冒頭の記事の言説を素直に受け止めるなら、否定されるべきアファーマティブアクションを度々肯定して、却って世界を悪くする方に加担していることになる。
良い影響のないことばかりして、悪い影響のあることばかりして、これでは、自分がありたかった形とはまるで正反対ではないか。
オチはなく、ただ落胆だけ。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2025-05-23_negative-effect-of-affermative-action.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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